2004年1月4日。


この日に行われた


BEE-HIVE New Year Live 04 ~Perfume day


において、Perfumeは新曲「モノクロームエフェクト」をライブで初披露します。


モノクロームエフェクト


個人的な感想なんですが、秀作揃いの全国インディーズ期の作品群の中でも屈指の名曲だ、と思って惚れこんでいる作品です。

3人の歌声に合わせた歌詞、歌唱パートの振り分けが完璧。

歌詞の中には少女期の絶望と不安があり、絶望と不安に何とか折り合いをつけようと戦う姿があります。


振り付けも素晴らしく、全国インディーズ期のエース、かしゆかの「歌手」としての存在感が圧倒的。

彼女の声と彼女の歌い方でなければ表現できない独自の世界があ~ちゃんのっちのサポートを受けながら展開されています。


さて、2004年初頭で披露されたこの曲の発売はそれから二ヶ月半後の3月17日。


当時のPerfumeの作品はライブでの披露から発売までの間に数ヶ月単位のタイムラグが生じることが頻繁にあり、この二ヶ月半なんてまだ短いくらい。


BEE-HIVEのオムニバスアルバムの中でだけしか聴くことの出来なかった「おいしいレシピ」も、「モノクロ」のカップリングとしてようやく収録されます。


「モノクロ」のCD発売とともに、Perfumeはいよいよ本格的なプロモーション活動に着手、各地のTUTAYAを中心にリリースキャンペーンを行うようになっていき、合わせてテレビ番組やラジオ放送への出演も果たしていきます。


この時代のPerfumeの姿はライブ、イベント会場での映像だけではなく、テレビ番組の出演シーンでも確認することが出来ます。


現在でもネット上で確認することが出来るのは、テレビ朝日の「Mの黙示録」、メジャーな音楽番組にも実はこの頃すでに出演を果たしていて日本テレビの深夜の音楽番組「AX MUSIC-TV」(音楽戦士の前身番組)で「モノクロ」を披露しています。


ここでようやくリップシンクの話になるわけなんですが、この番組出演時におけるパフォーマンスは「口パク」状態。


CD音源そのものが生歌に近いので分かりづらいんですが、マイクは音声を拾ってません。

「モノクロ」を生歌込みで歌う場合にはあ~ちゃんの「アイドルこぶし」と言われることもある独特の節回しが聴こえてくるので比較的判別は容易です。


「モノクロ」のライブ披露でさえリップシンクが選択されたことは、ある意味象徴的な出来事です。


この曲はインディーズ期における楽曲の中でも、比較的テンポが穏やかな生歌仕様で制作されている作品であり、振り付けも風変わりではあってもおとなしめです。


実際にライブイベント会場では生歌と聴き分けづらいほどの薄い「被せ」で披露されることも多かっただろうこの曲(エキスポ ミュージックパーク2004というイベントでのパフォーマンスでは1:1の『被せ生歌』)でさえテレビ出演時に「口パク」状態になったのはなぜなんでしょう。


3人の歌唱力が原因でも、振り付けが原因というわけでも無く、彼女たちの成長を待つ間の暫定的なライブスタイルの選択でもないとするなら、リップシンクを行っていたことの意味は。


2004年、という年はBEE-HIVEが大攻勢を仕掛けた1年なので、Buzy、ボイスタも積極的にプロモーションを展開していて、特に一押しだったボイスタのテレビ出演時のパフォーマンスも動画で観ることが出来るのですが、基本的には生歌でした。


こちらも若干かぶせてあるのかな、という節はあるにせよ、「empty world」のようなダンスチューンでもバッチリ生歌で披露しています。


となると、BEE-HIVE全体の傾向というわけでもなく、やはりPerfumeのみが「リップシンク」でパフォーマンスを行うことが多かった、ということになります。


ここで、もう一つの仮説を考えることで出来るような気がします。


「テクノ」という、ジャンルミュージックが関係しているのかもしれません。

ただし、これはアンチの「口パクじゃん」という言葉への言い訳としてよく使われる「テクノなんだから」という答えとは、やや趣が違っていたのではないか、と思うんです。


当時BEE-HIVEの中にはユニットが3組ありました。


ボイスタ、Buzy、Perfume。


ボイスタはSPEED直系のダンス系青春ポップス、Buzyはダンス+ロック系のサウンドというように住み分けが行われていました。


当時のガールズユニットとしてのPerfumeのために残されていた選択肢は限られていたんです。


ハロプロ系のような歌謡曲路線の選択、では出遅れてしまっていますし、既存のジャンルの中に選択肢はほとんどなくて、「テクノ歌謡」という古いイメージのリニューアルくらいしか残されていなかったんじゃないのか、と思うんです。


ですから、先鋭的な「テクノ」というジャンルミュージックそのものである必要はなかった。

「テクノ」というコース料理である必要は無く「テクノ風味」のふりかけで充分だった。


もしかしたら「テクノ」というジャンルミュージックへの十分な教養と理解があった上での「リップシンク」の選択、というのではなかったのかもしれません。


当時はまだYMOの時代からはるかに進化してハウスサウンドとの融合を果たしつつあった先鋭的な「テクノ」、中田ヤスタカという若い才能が提出してきた新しい音楽をそのまま理解することが出来ずに(あ~ちゃんたちがつい最近まで中田さんから提供される楽曲を『ハウス』でも『エレクトロ』でもなく『べべべべのテクノ』として表現していたように)、海外のアーティストのライブか何かを参考にしてしまって、過剰に対応してしまった結果だったんじゃないか、という感じで。


これはあくまで妄想レベルの仮説にしか過ぎず、確証はないんですけど、そんなことを言っていたらこのブログの記事は成立しませんので(笑)、一つの意見として提出しておきます。


とにかく。

Perfumeは、生歌仕様だった楽曲でさえ音源を被せるというスタイルを活動のごく早い段階から選択しつつ、ライブスタイルを確立させていきます。


次回ではもしかしたら本格的な「生歌」路線に方向転換する可能性を示唆していた「ビタミンドロップ前後コンドラ~ションションション」の時代のパフォーマンスを考えてみたいと思います。


最後になりますけど、今回の記事でみなさんのコメントやエントリーで様々な意見を拝見することが出来て本当に参考になることが多いです。


リップシンクというPerfumeのライブスタイルの正当性を問う、というのが今回の記事のメインテーマなので、歴史をたどりながらの遠い道のりをさらに迂回してしまっていますが、みなさんの「理論武装」に再考をうながし、補強させることが出来たならそれで僕の目的は達せられます。


僕は自分の記事の中で「正解」を出そうなんて思ってません。

「足がかり」として「踏み台」として、土足で踏みつけ、乗り越えていってもらえたら、とM丸出しで考えております。


「論破」よりは「洗脳」(笑)という売り込み戦略はまったく妥当だと思いますので、みなさんの「結論」を読むときが楽しみです ▽・w・▽ノ