2003年、PerfumeとともにBEE-HIVEプロジェクトに一人の天才が参加します。


MIKIKOさんです。


MIKIKOさんとPerfumeの、というよりあ~ちゃんかしゆかのっちとの出会いは、初代ぱふゅ→む結成の2000年よりさらに遡って1999年、ということのようです。


当時MIKIKOさんは、ASHのダンス部門講師とともに、自身が色々なアーティストのステージに出演するプロのダンサーでもありました(というか、今でもダンサー)。


2003年、BEE-HIVEでもダンス講師そして振り付け担当として参加するとまず動画などでも残っているミュージカル「シカゴ」のレビューシーンを演出、英語表記となったPerfumeの「レシピ」「ドーナッツ」2曲の振り付けも行います。


ブログを通じて麻由美さんにお聞きしたところ、当時MIKIKOさんは寮生たちから「ミキコティーチャー」とか省略して「ティーチャー」と呼ばれていたそうです。


寮生達の評価は「天才」の一言。


もしかしたら今後アミューズの中で、ある意味Perfumeよりも重要な存在となっていくのかもしれません。


ティーチャーのMIKIKOさんのPerfume用の振り付けも、長い歴史とともに変遷を遂げているのですが、僕は勝手に三つの系統に分けて考えています。


広島時代から始まる「小芝居系(ジェットシューズ、OMA☆ぺロ、彼募、メッセージ、ファンデ、GAME、シクシクなど)」


上京三部作から現代まで続き、突発的に傑作を生み出す「ステップ系(レシピ、ドーナッツ、イミテ、TSPS、プラスマなど)」


コンテンポラリーダンスのエッセンスを取り入れつつ、歌詞の世界観を分かりやすく表現する「当て振り系(アトラクション、PSPS、ディスコ、ポリ、マカロニ、テクテク、パピラ、ラブワー、edge、DFなど)」


分類は大雑把で、ほとんどの場合それぞれの要素が複合し、一つの曲の中で共存しています。


2003年、Perfumeの全国インディーズデビュー用に用意されたのは、オリジナル3曲にカバー1曲。


製作順が証言者によって違ってちょっとはっきりしないのですが、基本的には「ジェニー」「レシピ」「ドーナッツ」やや遅れて「メッセージ」か、「レシピ」「ドーナッツ」「ジェニー」「メッセージ」ではないか、と思われます。


ジェニーの振り付けは広島時代から中田サウンドに合わせて変更が加えられていて、さらに「レシピ」でいきなりステップ系の振り付けが始まっています。


レコーディングの際、広島時代には経験したことの無いBPMの速さに3人とも戸惑ったことがインタビューで明らかになっていますが、おそらくMIKIKOさんにとってもそれは同様だったのではないか、という気がします。


既存のダンスミュージックとは違うサウンドに戸惑って、それまでのスタイルでは対応できなくなり、新たに考案されたのが「ステップ系」以降の振り付け、ダンスではなかったのか、と思われます。


上京直前に披露された広島時代のプロトタイプ「ジェニー」の振り付けは、MIKIKOさんらしさも感じられるものの、間奏部分でのダンスを見る限り、アイドルにありがちな踊りに終始していて、まだ大きく空間移動をするように跳ねるステップは見られません。


「ステップ系」の振り付けは中田サウンド専用の新機軸だった、と考えるのが自然かな、という気がします。


「ステップ系」の振り付けは「レシピ」「ドーナッツ」という初期の2曲でいきなり完成された高いレベルの作品として生み出されます。


縦に並んだ3人が順番にジャンプ、縦移動を繰り返してポジションチェンジ、最後尾にいたはずのあ~ちゃんが最前センターポジションに飛び出してきてソロパートを歌う「跳んでるだけレシピ」。


イントロが始まったとたんに横に楕円を描くようにしながら激しくポジションチェンジを繰り返し、間奏部分では左右交互に片足立ちになりながらのステップ移動を披露する消耗度の激しい「ドーナッツ」。


速いBPMに対応するために考案されたであろうこの2曲の振り付けは、まだ中学三年生、15歳にもならない少女たちが歌いながら踊るのにはいささか過酷なものだったのではないか、という気がします。


上京当時Perfumeがライブで披露したのは、基本的にはこの2曲か「メッセージ」、「シークレットメッセージ」は2003年7月13日のサンリオピューロランドでのライブで初披露されています。


動画でご覧いただければお分かりの通り「メッセージ」も「小芝居+ステップ」のけっこう激しいダンスを伴った作品です。


サンストリート亀戸でのライブを行うようになってからは広島時代の持ち歌も披露するようになったようですが、「ジェットシューズ」だって「彼募」だって楽な振り付けというわけではありません。


もしかしたら、チームBEE-HIVEによる「パフォーマンス中の負担を軽減するための措置」として「被せ生歌」が選択された、ということもありうるんじゃないのかな、という気がします。


おそらく、当初はごく暫定的な処置として ▽・w・▽