Perfumeというユニットは、不遇の時代、売れないアイドルだった時代が長かったのにもかかわらず、熱心なファンの存在によって過去の活動のかなりの部分を画像や動画などによって見ることが出来る、ネット時代の申し子のような存在です。


上京してきた2003年、彼女たちの主な活動は


5月3日 BEE-HIVE revue Honey Harmony


を皮切りとして


7月5日から始まるサンリオピューロランドでの


夜を楽しまナイト


を、ひと月に2~6回くらいずつ11月まで継続


7月に


BEE-HIVEファンの集い、東京恵比寿会場


への出演


Girl POP Factory 03


に、當山奈央(NAO名義でのソロ活動)、BOYSTYLEとともに参加


8月6日には初めてのリリースイベントをTUTAYA渋谷店で行い(NAOと一緒)、その後BEE-HIVEメンバーとしてサマーツアーに参加、さらに名古屋のサマーリゾートパーク In オアシス21というイベントにまたもやNAO、BOYSTYLEとともに参加し、9月からはいよいよサンストリート亀戸での定期的なライブ活動が始まります(2004年4月頃まではBuzyとともに)。


このうち、それぞれの時期、もちろんすべての会場の、というわけにはいきませんが各シーズンにおける活動を動画によって観ることが出来ます。


そして、それらの動画を観る限りかなりの割り合いで、音源を被せた状態の生歌、というスタイルでステージパフォーマンスを行っています。


カラオケ音源+生歌、というパターンは「彼募」「ジェットシューズ」という広島時代からの持ち歌くらい。


サンリオピューロランドでのライブ映像やGPFでのステージでは、すでにリップシンク状態になっていることも確認できますね。


これらの映像は、ようつべか、ニコ○コで観ることが出来るので興味のある方はテキストとしてどうぞ。


この2003年頃の活動では、リップシンク以外の場合、「被せ生歌」状態が多かったのではないか、と思われます。

ただし、現在とは違って「生歌+音源」くらいの比率が多かったのではないか、特に地方のリリイベやライブなどでは、と考えているんですが、これに関してはまた当時を知る方からの証言が頼りですね(閣下、いただいた例のブツで確認したところ、『生歌+音源』くらいでしたけど、微妙に被ってました…)。


さて、全国インディーズ期、特に2003年から2004年の前半までにPerfumeに提供された中田サウンドは「テクノ歌謡を歌うアイドル」に合わせて生歌でのパフォーマンスを前提として作られているように思えます。


ボーカルトラックに対する加工も、あまり感じられません。


生歌披露を前提として製作され、さらに生歌披露が充分可能だったはずのPerfumeの楽曲が、じっさいにステージで披露される際に、生歌との比率は様々だったにせよ、なぜ「音源被せ」の状態になったのか、については、「カラオケ音源」にあたるデータがもともとなかったんじゃないか、と僕は書きました。


これに関しては自分で書いておきながら、そんなことってあるかな?とは思うんですけど、この時期の動画を観る限り広島時代の曲を除いては丸っきりの生歌ってまず無いんですね。


では、なぜデータを作らなかったのか、もしくはあったはずなのに使用しなかったか、について考えると。


やはり、振り付けも原因になっているのかもしれない、というところにたどり着きます。


次回では2003年から2004年前半、全国インディーズ期前期の楽曲を中心にさらにPerfumeのパフォーマンスについて考えてみたいと思います


この記事に興味があって、さらに時間的な余裕がある方はテキスト動画も合わせてご覧いただけたら、と思っております ▽・w・▽