僕の知る限り、Perfumeのライブ、イベントレポでネット上に存在する最古の資料は2002年4月のもの。


3月21日にローカルインディーズもみじレーベルから「OMAJINAI☆ぺロリ」でデビューしてちょうど一ヶ月ほど経った頃。


とある広島駅前のデパートの地下イベントスペースで行われたアクターズスクール広島のイベントだったようです。


古参ファンの間でさえ神古参と呼ばれるこの方のレポの中には当時のPerfumeの姿を写した画像もあり、その写真の中でぱふゅ→むはヘッドレスト型マイクをつけています。


歌はもちろん「OMAJINAI☆ぺロリ」、衣装はこの曲のPVの中で着ている衣装。


PVの中で披露されている部分しか知らない「OMA☆ぺロ」の振り付けはマイクを片手で持つことを前提にしないものだったようです。


この時代のぱふゅ→むのステージパフォーマンスはもちろん生歌。


この方の広島時代のレポートは2003年3月30日まで続きます。

その間ぱふゅ→むがステージで披露していた歌は


OMAJINAI☆ぺロリ


彼氏募集中


スーパージェットシューズ


trouble(club TKの中でも歌われていたシャンプーの)


ピーターラビットと私


好きになってよかった


ジェニーはご機嫌ななめ


ほとんどのステージで「OMA☆ぺロ」、「彼募」を発売してからはそれが加わりこの1曲、もしくは2曲が基本セットリスト、広島時代後半になるにつれてステージでの持ち時間が長くなり、お芝居のコーナーが入ったり、曲数が加わったりしながらぱふゅ→むの3人は経験を積むことになります。


ここで我々になじみのある曲は3曲。


「OMA☆ぺロ」をのぞく「彼募」「ジェットシューズ」「ジェニー」は、広島時代から長い間Perfumeのセットリストにその名を連ねる息の長い活躍を続けることになります。


「OMA☆ぺロ」は、ぱふゅ→む、およびPerfumeにとって長いプロ活動の出発点となる記念すべき作品なのですが、どうも3人の好みには合わなかったようで上京してからライブのセットリストに入ったのは昨年2月に渋谷AXで行われたライブ一昨年11月の恵比寿リキッドでのライブのみになってしまいます。


広島時代、ぱふゅ→むのステージパフォーマンスが生歌ばかりだったのは当たり前で、プロとしての興行というよりは、アクターズスクール広島による発表会のような雰囲気が強かったのでしょうから、日頃のレッスンの成果を披露する場所、教育の一環として行われていたのだろうと思われます。


ぱふゅ→む、およびPerfumeのステージパフォーマンス上の基礎のほとんどは、この広島時代に培われたものです。


3人の口からは活動の原点として広島時代が語られることはあっても、BEE-HIVE時代のことが語られることはほとんどありません。

BEE-HIVEファンとしては寂しい限りなんですが…


定期的なレッスンを受け、大勢の中で競い合い、あ~ちゃんの部屋の中で何時間も踊り続け、ASHの中で頭角を現していったこの広島時代こそがPerfumeの3人にとっての始まり。


この時代のぱふゅ→むの歌声は、さまざまな動画サイトを根気よく検索すれば観ることが出来ます。


つい最近も2003年3月16日のASHによる発表会を兼ねたイベント「SPRING ACT」のステージで披露された「ジェニーはご機嫌ななめ」のプロトタイプ動画がアップロードされたばかりですね。


他には、上京するまでの様子を「club TK」という番組への出演シーンを中心に映した動画もアップロードされていて、その中でも当時の3人の歌声を検証することが出来ます。


2003年、Perfumeは上京して全国インディーズデビューを果たします。

そして、Perfumeのリップリンクの基調となる「音源に被せた生歌」は、上京と同時に始まります。


広島時代に生歌ばかりだったぱふゅ→むが、Perfumeになった途端に「音源と被せた状態」とはいえ、なぜリップシンクになっていったのか。


その答えは簡単なんです ▽・w・▽