もっと単純。 | アートバカmumeの制作ノート

もっと単純。

現代アートは、難しく考えなくていいのです。

単純に頭をクリアにして、リラックスして観覧してください。


                    

                         存在



私が、ドラム缶の気持ちがわかったみたいに、たぶんデュシャンは、鉛管屋のショウウインドウ越しに

便器の声を聞いたのでしょう。

「オレは何のために生まれてきたのだ。」デュシャン  「泉」1917 


人の排泄物を受け止めるだけなのか?


「もしこれが、一番そぐわない場所、つまり美術館で、誇らしげにスポットライトを浴びていたとしたら、

人の目にはどう映るだろう。」

デュシャンはいたずらっぽく、人の反応を観察しようとしたのではないでしょうか。


人の考えというのは、ひとつに限らないですけど・・・。
     

単純に伝わる言葉をさがして、ポイントにヒットさせようとすればするほど、ややこしく伝わる。


デュシャンの「泉」は、まさにそんな感じではないのかな。


よけいなことは極限まで排除したところで、あれこれ作家の意図や願望や欲望を探られ、

深いメッセージがあると詮索され、人となりを判断しようとされる。

その滑稽さ。


たとえば、ある人に「素敵なゴールデンウィークを・・・」

という言葉をもらったとします。


素敵な・・・は、自分にとって「素敵」でなければならないことであって、

その言葉をかけてくれた人物にとっての「素敵」とはどんなことなのか、なんて、

普通考えたり探ったりしないでしょう。


素敵という言葉には何通りのものイメージがあっても、社交辞令として受け止めるはずです。


言ってくれたその人の普段の素行から、その人にとって「モラルを無視した快楽」が素敵なことだとしたら、

私に、「モラルを無視した快楽的」なゴールデンウィークを送れと言ってる。

とわざわざ推測なんてしたりしないでしょう。


デュシャンはそんな干渉も押し付けもしてやしないのに、芸術家であるという存在から勝手に、

デュシャンは我々にこんなメッセージを・・・、

と多くの人が勘違いしてきたのではないのでしょうか。


その有識者と呼ばれる人達の反応の右往左往ぶりをも、デュシャンは愉しんでいたのかもしれませんね。

  
                           
                          

                                       Reborn 2006 サイズ ハガキ