司法試験問題回答漏洩事件に対する四宮先生のコメントに対する私見 | 向原総合法律事務所/福岡の家電弁護士のブログ

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司法試験問題回答漏洩事件に関し、國學院大學LSの四宮先生が、NHKでコメントされていたのですが、NHKのサイトから既に消されていました。
ちょっと仕事が落ち着いたのでいろいろと論評しようと思っていたのですが。

というわけで、四宮コメントをダイジェスト化し、それに対して、ツッコミをさせていただきたいと思います。
  
1 四宮コメント① 司法試験合格者数が少なすぎる(絞りすぎ)という主張に対して
(1)LSで受験資格を付与しているがごとき現状においては、
・LS教授の権力は学生にとって生殺与奪権を握っているに等しい
・学生はLSにおいて教授との関係を断絶できない
・すなわち学生は教授に頭が上がらない
・内部の出来事は外部からはわかりづらい
・かといって会社のような世間の多数者が経験するような空間でもなく、「大学」というブランドがあるから、問題にされにくい
・以上の各事情に照らし、セクハラ・アカハラがもっとも起こされやすい場所であるといえる
(2)合格者数が増えたら今度は上位かどうかが就職において大切になるので、合格順位を挙げるというインセンティブが学生側に働く、すなわち「教えてあげるからね近う寄れ」というインセンティブは教員側にも残る(むしろ強まる)
 
2 四宮コメント② 法科大学院ではプロセス教育をしっかりやっている という主張に対して
(1)授業によるとしか言いようがない面もあるが、元利用者・LSの答案添削経験者の私の目からみて、
・実務には役立たない(私は法律事務職員の経験があるが、LSに2年いくよりは、事務員を半年やるほうが実務には大いに役立つと断言できます。なにしろLSには、不動産登記簿の読み方すら知らない民法学者もいた)
・3年次(つまり卒業近い)法的三段論法すらおぼつかない答案、問に答えていない答案、法律上の請求権が何かわからない答案が相当数ある。基本的なことが教えられていないのだろうと推察される
・そもそも司法試験の受験指導は禁じられている
・既修(司法ヴェテ=多年浪人者)これまで数年かけて培ってきた法的基礎知識・解釈能力・論述力を、未修は1年で習得しろというのが当初の制度 設計であったが、明らかに無理がある(もっとも最近では既修も多くが学部新卒者であり、未修との格差は縮減しているものと思われる)
・畢竟、LSは、実務にも、受験にも、役立っていない、もっといえば2年(3年)という人生の時間+高額の学費(年80~140万)に見合ったリターンはない(これらは司法試験受験資格の対価にすぎず授業の対価ではないといわれるでしょうが)
(2)プロセスと言ったって、旧試験の択一・論文・口述から①ロー入試②授業③定期試験④卒業試験⑤新司法試験に分解されたにすぎず、評価の対 象は①③④なのだから、旧試験と本質的に変わらない。それどころか、①~④の評価者はLSの先生であるところ、その7割は法曹無資格者による評価であり、 その選抜「プロセス」は、旧試験時代に劣る。
 むしろ、今回の漏洩事件のように、評価者側における情誼や特別な関係、あるいは好き嫌いによる選抜「プロセス」が上記①~④とは別に介在させ られる余地が高いので、この「プロセス」は、「基本的法律知識・法律解釈の基本能力・論述能力」において優秀な人を選抜するという目的からすると、有害な 制度である。ただし、「自分のいうことを聞いてくれる人」「自分の欲望を満たしてくれる人」を選抜する上では、秀逸な制度である。
(3)早い話、プロセス教育とか言ってるが実態はないどころか、有害である。
 
3 四宮コメント③「多様なバックグラウンドを有する、しっかりとしたプロセス教育を経た、多くの法律家が世に満ちる」ことを国民が望んでいる という主張に対して
(1)そもそも「弁護士に頼もう」なんて、世の中一般ではそこまで思われておらず、弁護士の価値を高く見積もり過ぎ(というか思い上がりにすぎない)
(2)かといって、そこを変えようとするだけの広報活動能力は日弁連には全く存在しない
(3)下手に「あんたの暮らしの応援団」なんて言ったところで、現実には、公式に認められている交通事故の弁護士費用特約を利用して弁護士費用を賄えば、新聞(それも「弁護士激増させろ!甘えんな!」と書いているような新聞)には「弁特利用激増、保険会社悲鳴」みたいにネガティブに書かれた挙句、「弁護士の仕事漁り」よろしく書かれる始末。
つまりは、そんなところにフォーカスしても、弁護士が悪く言われるだけであることにそろそろ気づくべきなのに、気付けていない。
(4)行政との関係がどうとか言ってましたが、行政側の考えとしては、弁護士に予算をつけるという発想は「予算不足」を理由に、殆どない(たいして役に立ってるとも思えない公共施設の建設には過剰な予算がつくが)。
 思うに「めんどくせえ揉め事多いな―。未納給食代の回収とか。そうだ!弁護士が余ってるらし いぜ!あいつらをウマく利用してさ、タダか安くで弁護士にやらそうぜ。」という程度の発想しかないと思われる。
 福祉分野として行政が予算をつけてやるべきことを、弁護士にタダでやらそうとし、弁護士会は「おお!行政様がおっしゃるならブランド価値がある!シナジーもある!」ということで安請け合いし、費用が出ないことについては「公益」ないし「業務拡大」という念仏をかける。
(5)要するに、上記主張は、とても大事な要素を見落としている。実際に「望まれている」ことは下記の「→」以下の太文字に書かれたことでしょう。
・「多様なバックグラウンド」→そんなものを有するかどうかはどうでもいい
・「プロセス教育」を経た→プロセス教育とかバックグランドとかよくわからんけど、要するに弁護士資格がありゃいいんじゃね?
・「多くの」→まあそりゃ多いにこしたことはないよね。しかも、タダで動いてくれる人がいいよね(これがキモでしょう)
・「法律家が世に満ちる」→そりゃ満ちた方が便利だね。採算取れるかとかどうでもいい

なかんずく、赤文字で示した「タダで動いてくれる人がいいよね」。これが一番重要視されているように見えます。タダだから弁護士じゃなくてもいいはずなんですが、なぜか弁護士がやってほしい、ということになっている。と、所詮そういうふうにしか見られていないんだろうなーと感じることが多々あります。
ところが、日弁連や弁護士会は、こういう「利用」(悪い意味)をされているということに対して、私の感覚からすると、びっくりするぐらい鈍感です。わかっちゃいるのかもしれないですが、「市民の理解」「公益」という観点から、反論できない状態に陥っているように見えます。

これでは、この就職売り手市場の大チャンスにおいて、輝かしくて楽しい社会人生活が待っているのに、お金を取られたうえ、しこしこと地道で苦しい勉強を、LSが教えてくれるとも限らないのに自力でやり、ときには教員から迫られたりし、司法試験で落っこちてもLSは知らんぷり。
しまいには、合格しても「食えるかどうなんて知ったことではない」とLS側陣営から言われるような世界ですから、これで、どういう大義でもってLSをお勧めできるのだろうか、というのは個人的には思います(入る人には罪はない)。 
 
4 四宮コメント④ 合格者を少なくして、無用な競争を煽るから、こんな問題が起こる という主張に対して
1に同じ。
そもそも旧試験のときはもっとひどい競争だったのに、こういう問題は起きなかった。
 
5 四宮コメント⓹ もっと一杯合格させたら、こんな問題がそもそも起こらなくなる という主張に対して
司法試験を廃止し、LSを廃止し、誰でもが「弁護士」を名乗れるようにすれば、そもそもこんな問題は起きないと言っているのと同じです。

6 最後に私見
これらのコメントは、コメントというより「コント」じゃないかと思っているのですが、こういうことをいう人が法曹養成のコアを握っていると対外的に思われるのは、現役法曹として一応「弁護士」を名乗らせていただいて日々真面目に仕事をさせていただいている自分としては、恥ずかしいので、法曹養成にかかわらないでいただきたいと心底思います。
大体、LS制度に強い利害のある人がコメントとしたところで、信用性のあるコメントにならないと思うのですが。

※後日談
本日、新たなニュースがありました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150920-00000556-san-soci
「司法試験問題漏洩 元教授、短答式の論点も漏らす? 大学院授業で学生に」

学生を誘惑する材料に司法試験問題を使い
授業でも問題を漏らし

これで、どうやって司法試験を、LS制度を信じろというのか、わかりません。
LSをなくしても解決しない、というご指摘もあろうかとは思いますが、上記のとおり、LSというのは、学生と教える人の人間関係が存在します。
人間関係というのは、簡単にコントロールできないですし、平均化できません。したがって、これを資格取得のシステムに組み込むことは、危険です。
そこに高度の倫理観や信頼関係があれば危険(リスク)を減らすことはできますが、教員の多くが法曹無資格者であるということを考えても、そこまでの倫理観や信頼関係を客観的に担保できるものがありません。

LSがその危険(リスク)を超えるだけの成果を挙げているのであれば格別、そのような成果は何一つ論証されていません(必要性がない)。にもかかわらず、上記のような、絶対にあってはならない危険(リスク)を抱く制度であることがわかったことからすると、この問題一点だけで、その存在に対する許容性までも大きく減殺させることになったことは否定できないでしょう。

LS制度には、必要性に大きな疑問がありましたが、許容性も大きく減殺されたことになります。

私が書くと悪口みたいになってしまいますからこのくらいにしますが、このようなバカげた制度に対する志願者の回答は、10年前の1割に減ったというエピソードを見れば、いわずもがなでしょう。