デタラメ意見書を「評価」しちゃった日弁連会長声明の残念っぷりを嘆く | 向原総合法律事務所/福岡の家電弁護士のブログ

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やや前のネタですが

日弁連は、6月30日付で法曹養成制度顧問会議(以下「顧問会議」)が出した
「法曹養成制度改革の更なる推進について」
という意見書(以下単に「意見書」といいます)に対し、以下のとおりの会長声明を出しています。

「今回の推進会議決定においては、なお課題とされていることも少なくないが、司法試験合格者数や法科大学院制度改革、司法修習生に対する経済的支援などの法曹養成制度の整備・充実に向けた一定の改革案が示された。

つまり、意見書を肯定的に評価しています。
そして、そのエンフォースメントとして

「当連合会は、司法の一翼を担うものとして、この改革案を踏まえ、関係諸機関、諸団体と連携して法曹養成制度の改革に尽力し、法科大学院における教育や司法修習の充実に取り組むとともに、法曹の活動領域の拡大や司法アクセスの拡充等を図り、質・量ともに豊かな法曹が社会において幅広く活躍できるよう、その責任を果たす

と述べています。

この会長声明を読むときは、前半の、意見書を評価する部分と、後半の、エンフォースメント部分に分けて読むとわかりやすいように思います。
以下、これらについてレビューさせていただきます。

1 エンフォースメント部分について
この意見書は、エンフォースメント部分を読めばよくわかりますが、
とにかく法科大学院が大事。法科大学院における教育をどうにかしよう。という気持ちがつよく現れています。
だからこそ「司法修習の充実」よりも「法科大学院における教育」という文言が先に書かれているのでしょう。
また、「質・量共に豊かな法曹」という文言がここでも使われています。
この文言は、以下2つの特別な意味を持っています。
①弁護士爆増を正当化するための象徴。
 従来の法曹養成制度改革路線(司法試験合格者を3000人として爆増させる、その結果弁護士だけ爆増させるという路線)から一貫して使われている文言で、法曹というより弁護士のみの爆増をある意味受け入れるための方便として使われてきた文言です。
②法科大学院制度を創設・維持するための大義名分。
 弁護士爆増路線と同時に、「量」を供給する上で「質」を維持するための建前として法科大学院制度がつくられたという経緯がありました。つまり、この文言は、法科大学院制度を創設・維持するための方便としても使われてきたわけです。

もっとも、現実としては、司法試験合格者が3000人になろうが1500人になろうが、数値上は今後も弁護士が爆増することは明らかなのですが、この声明の文言からすると、日弁連は、従来型の法曹養成制度改革路線について、特に大幅な変更をする気はなく、従来型路線を維持するという方向について「評価」したものと読むのが正しいものと思われます。

まあこれは仕方ないでしょう。結論ありきですから。

2 意見書を評価した部分について
 問題視すべきはここでしょう。
 意見書にはこのような文言があります。
「法務省において、法科大学院を経由することなく予備試験合格の資格で司法試験に合格した者について、試験科目の枠にとらわれない多様な学修を実施する法科大学院教育を経ていないことによる弊害が生じるおそれがあることに鑑み、予備試験の結果の推移等や法科大学院修了との同等性等を引き続き検証する」
そのうえで
「法科大学院を経由することなく予備試験合格の資格で司法試験に合格した者の法曹としての質の維持に努めるものとする」とまで述べています。

つまり、法科大学院教育のほうが優れている、というのが、この意見書の中での前提とされています。

ところが、客観的なエビデンスに基づいた論稿(衆議院議員河井克行氏のブログ)によりますと、
「考試では民事裁判、刑事裁判、検察、民事弁護の各科目で予備試験出身者の方が法科大学院出身者よりも成績「優」を得た者の割合が高く、集合修習では民事裁判、刑事裁判、検察、民事弁護、刑事弁護の全科目で予備試験出身者の方が「優」を多く得ています。」
「この結果から、両者の学力の格差は司法研修所を終える段階でも解消できないことが明らかになりました。」
とあります。

考試とは、司法試験合格者が受ける司法修習の卒業試験と考えてください(通称・二回試験)。これを通って初めて法曹資格を得られる試験です(司法試験合格だけでは法曹資格は得られません)。

つまり、予備試験出身者は「弊害」どころか、司法修習においても成績が優良ということが実証されているのです。
一方で、司法試験合格率については、予備試験出身者が法科大学院出身者を圧していることは有名です。

つまり、この意見書の言っている「法科大学院のほうが予備試験より優れているんですよ。予備試験には弊害があるんですよ」という前提事情と、現実は、まるであべこべであり、もっといえば、その前提前提事情に基づいて法曹養成制度改革の組み立てを語っているこの意見書は、

デタラメ

と断じて差し支えなかろうと考えます。

もっとも、顧問会議のメンツを見ていれば、意見書がデタラメになることはわかりきっていることなので、いまさらそのことをどうこう言うつもりはありませんし、言っても仕方ありません。

問題は、このようなデタラメ意見書を、疑うこともなく、議論することもなく、我々弁護士の総意かのごとく、日弁連が、会長声明において「評価」してしまっているところです。

法曹養成制度改革は、若手にとっては、自分が少し前に受けた司法試験に絡むことでもあり、また、今後の弁護士増員との関係で自分の生活にも影響してくることですから、一定の感度を持っています。
もっとも、だからといって具体的に何かしようといった関心レベルにまで上がることはほとんどありませんが、それは、こうしたデタラメを若手が敏感に感じ取っていて、デタラメでも通すもんは通すんだろ、という程度の極めて醒めた目で見られていることの証左とも感じられます。

先ほど書いたように、若手は、関心がないように見えて、感度は持っています。ある意味とてもシビアですし、「弁護士になれたから食える」などと思っている人は殆どいないように感じます(「弁護士になれた以上稼ぎたい」という気持ちの有無とは別問題です)。

そのような若手にとって、こういう現実を無視したデタラメ意見書に盲判のごとく「会長声明」で「評価」を与えられた法曹養成制度も、また、「評価」を与えている団体の権威(若手からの求心力・尊敬度と言い換えてもいい)も、いずれももはや風前の灯といえると思います。

また、法科大学院など、公務員試験や一般企業への就職といった他の進路との競争関係においてはまるで相手にされなくなっていることからすると、進路選択を控えた人々から我々の業界に対する見方も、推して知るべしで、このようなデタラメ意見書を堂々と出す会議体に翻弄させられている程度の我々の業界の情けなさもさることながら、このようなデタラメ意見書を「評価」する団体が自分たちの業界団体というのは、個人的には、大変恥ずかしく、情けない気持ちですし、第一、カッコ悪いとしかいいようがありません。