新幹線に負けて撤退したロー | 向原総合法律事務所/福岡の家電弁護士のブログ

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新潟大ローが新幹線に負け撤退
↑こういう記事が出ていました。

要は、上越新幹線で1時間半あまりの距離にある東京の法科大学院に取られた、ということで、いわゆる新幹線の持つストロー効果に、地方の法科大学院が生徒を取られた、ということです。

もともと法科大学院自体の人気が非常に落ちていて、いわゆる「上位校」でも、入学のための競争倍率はかなり下がってきており、定員割れし始めているような有り様なので、法科大学院を卒業して法曹になりたいと意気込む学生の合理的選択として、
A 合格率が悪いが安く行ける近所の法科大学院と
B 合格率の良い、金のかかるやや遠い法科大学院
とでどっちを選ぶかといえば、通常は、Bでしょう。

お金がない人はどうするか?

法曹を目指すことを諦める。たった、それだけのことです。
そもそもこの制度自体が、多額の学費を要する制度であるという現実を無視して、申し訳程度に、「適正配置」などと称して各地にAの法科大学院を散発的に設けたところで、通える人自体が限定的ですし(札幌に法科大学院があっても、浜頓別町の人は決して通えない)、そもそも意欲かつお金がある人はBに行くでしょうから、地方に法科大学院を散在させること自体がナンセンスなのです。

それでもなお地方に「適正配置」などと主張するのは、この制度の創設推進者が、いかに自分の発想に拘泥して、実際の受験生心理を無視しているか、ということです。マーケティングで言えば
「ほうらこんなの作ったぞ。お前ら買え。買わないのは心の貧困だ。」
などと言い放って、なぜ売れないのかの検討をしないのと同じです。
(こんなことだから、「弁護士は高飛車だ敷居が高い」などといった無用の謗りを受け、武士の商法扱いされるので、非常に迷惑なんですが・・・)

さて、この「適正配置」の問題を見て真っ先に私が思い出したのは、過日逝去された私の大好きな作家である渡辺淳一氏が書かれた短編「無医村をどうするか」というお話です。
氏が過疎地の無医村への派遣の話を、最終的には断った、というエピソードと拒否した理由を通じて、無医村問題についての氏独自の見解を示すものなのですが、氏の示した結論は
・拠点に大病院を設ける。
・そこまでの道路を整備する。
というものです。つまり、機能はできるだけ集約せよ、ということのようです。

これと付随して、昔、北海道を旅している時に出会った医療関係者から、こんな話を聞きました。
もう10年以上前なので、今では状況が変わっている可能性もあるのですが、当時の話として見ていただければと思います。
場所は中標津町というところで、釧路市から北東に約100kmの町で、ジェット機の飛べる空港もあるところです。
周辺の拠点機能のある町ではあるのですが、脳神経外科について、病院は一応あるものの、医師が常駐していない。
そこで私が気になったのは、もし急患が出たらどうするのか?ということでした。
すると、その医療関係者は「ヘリで釧路の病院まで運ぶ。」ということでした。

渡辺淳一氏の「無医村を考える」とは、道路とヘリの違いはあるにせよ、本質的に考え方が似ています。

結局、何事も、ある程度まとまったことをするためには、設備+人員が必要ということです。ここが最重要です。

その意味で、上記医療関係者から聞いた、医療の世界での話は、当を得たやり方だなと思いました。
コスト的にも、病院を五月雨式に配置するよりも、ヘリ1台で対応するほうが速いでしょう。
ヘリだと、中標津から釧路までは30分あれば行けるそうです。

法科大学院も病院と同じで、設備+人員が必要です。
このうち、設備は、お金があれば作れます。が、人員はそうはいきません。限られているからです。

ところが、法科大学院制度では、「人員」も、教員をなんとかかき集めてを多数配置してしまうことで対処してしまいました。
その中には、法曹資格を有しない人も多数いますが、文科省は別になにもいいませんでした。
そして、いわゆる「適正配置」論により、それが、既成事実化し、なぜか肯定されてしまいました。

つまり、「適正配置論」は、
とにかく中身はどうでもいいから乱造しよう
という、誰のためなのかよくわからない理屈であって、この理屈に基づいて、多大なるコストの無駄遣いと、合格率の超低迷という、取り返しの付かない惨状を招きました。このような制度を立案推進した人々の罪は重いというべきですが、未だにこの理屈を維持しようとする人たちの罪はさらに重いというべきでしょう。
病院でいえば、救命率の低迷、すなわち多くの患者の生命を奪っているのに、その状況を維持しているのと同じことです。
(方や生命の問題ですから、同価値に論じ得ないですが、喩え話としてはそういうことになります)

もし、法科大学院推進論者・「適正配置」論者が、渡辺淳一説などに準拠して考えるなら、
・法科大学院は、たとえば東京と、大阪京都に集中配備する。
・志願者に、東京や大阪京都での生活費相当の補助金を一定条件で渡して、集中配備された法科大学院に通わせて徹底的に鍛え上げる。
という方法もあったと思うのですが、いろいろな方法を検討すること無く、力技であちこちに五月雨式に法科大学院を作るという「挑戦」は、黒歴史としてなかったことにされるのではないかと思います。