麦わら物語 その壱

 
母親が帰ってこなくなって
それが数カ月だったのか何年だったのか
もう覚えてないけど

それから、父親に怯える日
が続く
そんなある日、父親が風呂に誘ってきた。
内心、嫌で嫌で怖くて怖くて仕方なかったが
頭や体を洗ってもらった。
湯船に浸かり、父親と迎い合わせになったとき
父親が泣いていた。
父親が何で泣いているのか、この時はわからなかった。

次の日父親が家からいなくなった。

入院させられたのだ。


京都市内の方はご存じかも知れないが
深泥が池の近くにある
精神科で有名なあの病院へ・・・

父親の入院措置で、ようやく母親が家に帰ってきた。

嫌々ながらも一度だけお見舞いに行った。
痩せこけて弱々しい情けなさそうな感じだった。

母親は、帰ってきても当然ボクとお婆ちゃんを食べさせるため遅くまで働いていた。

だから、相変わらずお婆ちゃんがボクの面倒を見てくれた。

母親はボクが眠ってから、ボクの隣で寝るのだが
決まって、母恋しいボクは夜中甘えたくて
母親にしがみつく
そして、仕事でクタクタの母何度もボクを突き放し
数日後には別の部屋へ移される。

今は、母親ってウザイ対象だが
女性に対して甘えたい願望が強いのは
この時の性かも知れないww

父親の入院期間ももう覚えてないが
父親が退院して帰ってくると聞かされたときは
嫌で嫌で怖くて怖くて仕方なかった。

しかし、父親は帰ってきて数か月もしないうちに死んだのだ。
母親と富山の立山に行っているときだった
黒部ダムで急に風が吹き母親の帽子が飛ばされ
あっという間にダムの底に沈んで見えなくなった。
(虫の知らせってやつかも)
翌朝、妙にカラスの鳴き声がうるさく響いていた。
その時、旅館に一報が入った。

急性心不全

父、茂雄享年44歳の夏

父親の通夜・葬式の間は
親戚やご近所の人がたくさんいたのに
葬式が終わってサアーーーーッと人が引いていくのが妙に寂しく、悲しかった。

大人数が大嫌いになったのは、この性かも
みんなで集まってワイワイ楽しくやっても
終われば、結局一人に戻る
潮が引いたようにみんな帰っていく
この孤独感がたまらなく嫌いだった。