自己肯定との戦い
環境の変化にあわせて、自分も変化しなければいけないというのは誰しも自覚しています。
しかし、自分の変化に抵抗するのが、「自己肯定」のエモーションです。
自分がやっている、やってきたことを肯定したくなるのは自然なことであってむしろそれがあるからこそ頑張れるという側面があります。
恋愛などもそうかもしれません。
自分の選んだ人は特別な存在に違いないという自己肯定ができないと結婚なんて到底できません。
しかし、ここでポイントが一つあります。
特別な人だから選んだのではなく、自分が選んだ人だから特別だということ。
昔私が使っていた研究社の英和辞典で「love」と引くと以下のような例文が載っていました。
Love is an illusion somebody is different from others.
(愛とは誰かが他の人とは違うという幻想である)
だから恋愛なんてしてもしかたがないと考えるのは間違いです。
人生に客観的な合理性などそもそもないのです。
人から見れば幻想で結構。
日常は瞬間瞬間の選択の連続であり集積そのものであり、それがすなわち自分にとって唯一の人生です。
話を環境の変化への対応に戻します。
自分が変化しなければならないとき、必ず自己肯定のエモーションがこみあげてきます。
その時、それはむしろ正常であって自己肯定を否定してはいけません。
やらなければならないのは、自己肯定というバイアスが自分にはかかっているということを少しだけ意識して、自分で判断し自分で選択するただそれだけです。
カリスマブロガー ちきりんさんの言葉を借りれば、「ゆるーく考えよう」ってことかと思います。笑)