湿っぽい話しです。
もし、気になって頂けたら、お付き合いください。
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2005年、オヤジが亡くなり、
そして今、母は病院のベット。
あと、どれくらい生きられるだろうか。
私には兄弟や家族が居ないので、
母が亡くなれば、独りになる。
その実感は、まだハッキリとは無いが、
もともと、高齢で生まれた一人息子のため、
私自身、中学生の頃には、
同級生より早くに両親は亡くなるだろうと意識していた。
そのため、一人で生きていかねば。という感じは、
中学の頃から同級生よりあったと思う。
(一生独りで居たいとは全く思っていませんが)
しかし、母の余命を知ってから、こうも思った。
震災や事故で突然亡くなってしまう苦しさを思えば、
86歳という高齢での病気は、
普通の生涯の幕引きだろうな・・・と。
あとは、出来るだけ苦しまず、
オヤジが待つ天へ旅立ってくれれば。
その時、きっとオヤジは迎えに来るだろう。
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この記事、私事で申し訳ないですが、
私はクリエイターであり、もの書きの端くれなので、
何れ、ギャラリーであったり、何かの形で
ちゃんと作り、皆さんにご覧頂きたいと思っています。
なので、ひとまずは、ブログな書き方で記そうと思う。
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先日の台風18号が日本を縦断した後、
嫌がる母親を連れて病院へ行き、そのまま入院。
幾つかの検査を経て、余命が迫っていると判る。
その夜、私は病院を出て実家に帰宅したが、
玄関を開け、真っ暗な家の中を見、思った。
「もう母は、ここへ戻って来ないだろうな…」
オヤジの時もそう思いはしたが、
その時は母親がいたので、ポッカリ感は緩和されていた。
母親が、今朝まで暮らしていた実家。
今朝まで休んでいた布団。
家を建ててからずっと座っていた椅子。
実家は、私が小学生の頃、
オヤジと知り合いの大工さんで建てた家。
山から木材を切り出し、寝かせて乾燥させ、
私も手伝いながら建てた家。
贅沢な作りではないし、あちこち痛んだ古い家。
けれど、父や母が生きた家。
(私は、19歳から東京へ行き、帰省で帰るぐらい)
私の父は、戦争に赴いた世代。
私は、高齢で生まれた一人息子なので、
戦争は知らないが、
オヤジが残した戦時中の回顧録がある。
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そして、下の向日葵フォトメッセージ、
「夏(いのち)の終わり」ギャラリーにも載せましたが、
そのテーマでギャラリーを作ったのは、
母の死が迫っている虫の知らせだったよう。
私は、小学生低学年の頃、大病を患い、
両親は、あっちの病院、こっちの病院と、
名古屋の大きな病院を幾つも回り、看病してくれた。
その後、親との諍いなど、色々とありはしたが、
大病での事を思い返すと、息子の素直な気持ちは
「ありがとう」なんです。
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今、母は病院のベットだが、
呼吸が弱いので酸素マスクを付けている。
けれど、意識がボ~ッとしたり、眠ったり、
その中で夢を見るんだと思うが、
起きて私を呼び、こんなことを言ったりする。
「家の鍵が無い。入れない」
きっと、実家へ帰宅する夢でも見るんだろう。
でも、鍵が無くて入れない。
帰りたくても帰れない心理が見させる夢なのかも。
昨日今日、私に出来ることは、
出来るだけ病室に居てやり、
水が欲しいと言ったら、とろみを付けた水を
少しずつ飲ませることぐらい。
私自身、色々と葛藤してしまうこともあるが、
非力ながら、息子として看てあげ、送ってやろうと思う。
以後、追記すると思います。
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(10/7追記)
親や祖父母を看取る。
この問題や苦悩さは、
これまで多くの方々が、それと対面し、
肉親や子として苦悩し、越えて来られたのだろう。
どうするのが一番良いのか。
親の尊厳、人としての尊厳に直面し、
しかし現実、看取る子の心情や事情もある。
今、入院している母は、
生命力が強いようで、小康状態が続いている。
ただ、高齢や病状により、記憶の混乱などが現れ、
入院している事を忘れてしまったり・・・
つい先日は、自分で点滴を取ってしまい、
致し方なく、拘束せざるえなかったり・・・
こういった経験をされた方々は、
これまで大勢おられるだろう。
どうすることが最善なのか?
容体を見つつ、日々、そう考える。
今、仕事で東京に戻り、ブログを記しているが、
ふと何気なく、実家の母親から
電話が掛かって来る気がしたり・・・。
そしてまた、
うちのオヤジは、生前、よく手紙を送ってきた。
その内容は、頑固オヤジなものだったが、
しかしそれは、一人息子と離れて暮らす
寂しさからだったのだろう。
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(10/13追記)
こんな追記ですんませんが、
今日、母が他界した。
良く解釈すれば、
私(息子)が来るのを待って亡くなった感じになった。
昨日から昏睡状態だったので、
すでに会話は出来なくなっていたが、
呼吸も弱まった母の耳元で、
「後は大丈夫だから・・・」と伝え、
その数分後か、息をひきとった。
今回の母の入院と死では、色々な事を感じ、学んだ。
そして、有名人でも何でもない、ごく普通の父と母。
おそらく多くの皆さんもそうでしょうが、
ごく普通の父と母が生きた人生。暮らした家。
しかしそれは、尊く、偉大な事。
私は、その息子として、
そしてまた、前述したようにクリエイターとして、
何らかの作品にして行こうと思います。
病院の先生、看護師さん、
最後まで良くしてくださり、母に代り、お礼申し上げます。
葬儀場の方々、お心遣い感謝です。
追記。
このブログ、作品やギャラリー、
こういう深刻な内容じゃなく、
今後も色々と楽しんで頂けるよう作っていきますので、
今後も、どうぞ観に寄ってください。
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読んでくださった方、何か感じて頂けたら幸いです。
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一カ月経ち 追記(13.11.23)
引っ越し荷造りのため、
実家を一週間以上離れて後、実家へ戻った際、
母の祭壇の白い百合、
(四十九日過ぎるまでは白い花を。と言われ)
枯れてるよなぁ~と見たら、
まだまだ見事に満開だった。
ちょっと思った。
この満開な百合を私が見るまで
咲かせてくれてるのかな?・・と。
そういえば、人に言われて気付いたのだが、
母が亡くなったのは、10/13。
葬儀が10/15。
私が東京から実家へ引越す日が11/13。
実家に荷物が届いたのが11/15。
偶然だとしても、何か意味を感じてしまう。
そして、東京の部屋の退去日が、
今日、11/23。私の誕生日である。
人生とは不思議でもあるなぁ。