「親の他界 ~ありがとう。と送りたい~」 | MU-PHOTO Blog (フォトアート・デザインフォトなど)

MU-PHOTO Blog (フォトアート・デザインフォトなど)

MU-PHOTOのPR用ブログです。
お知らせ、作品展のお知らせ、フォトギャラリーなど。
ギャラリーでは、フォトアート、デザインフォトなどを掲載しています。また、ご商談お受けしております。

湿っぽい話しです。

もし、気になって頂けたら、お付き合いください。


           *


2005年、オヤジが亡くなり、

そして今、母は病院のベット。

あと、どれくらい生きられるだろうか。


私には兄弟や家族が居ないので、

母が亡くなれば、独りになる。


その実感は、まだハッキリとは無いが、

もともと、高齢で生まれた一人息子のため、

私自身、中学生の頃には、

同級生より早くに両親は亡くなるだろうと意識していた。


そのため、一人で生きていかねば。という感じは、

中学の頃から同級生よりあったと思う。

  (一生独りで居たいとは全く思っていませんが)



しかし、母の余命を知ってから、こうも思った。


震災や事故で突然亡くなってしまう苦しさを思えば、

86歳という高齢での病気は、

普通の生涯の幕引きだろうな・・・と。


あとは、出来るだけ苦しまず、

オヤジが待つ天へ旅立ってくれれば。

その時、きっとオヤジは迎えに来るだろう。


           *


この記事、私事で申し訳ないですが、


私はクリエイターであり、もの書きの端くれなので、

何れ、ギャラリーであったり、何かの形で

ちゃんと作り、皆さんにご覧頂きたいと思っています。


なので、ひとまずは、ブログな書き方で記そうと思う。


------


先日の台風18号が日本を縦断した後、

嫌がる母親を連れて病院へ行き、そのまま入院。


幾つかの検査を経て、余命が迫っていると判る。


その夜、私は病院を出て実家に帰宅したが、

玄関を開け、真っ暗な家の中を見、思った。


   「もう母は、ここへ戻って来ないだろうな…」


オヤジの時もそう思いはしたが、

その時は母親がいたので、ポッカリ感は緩和されていた。


母親が、今朝まで暮らしていた実家。

今朝まで休んでいた布団。

家を建ててからずっと座っていた椅子。


MU-PHOTO 構図・創作フォトGallery BLOG-親の他界1
手前が母の椅子。
奥がオヤジの椅子。
二人とも、もう座ることはない。


実家は、私が小学生の頃、

オヤジと知り合いの大工さんで建てた家。

山から木材を切り出し、寝かせて乾燥させ、

私も手伝いながら建てた家。


贅沢な作りではないし、あちこち痛んだ古い家。

けれど、父や母が生きた家。

  (私は、19歳から東京へ行き、帰省で帰るぐらい)


MU-PHOTO 構図・創作フォトGallery BLOG-親の他界2
私が子供の頃、何処かで買ったお土産。
嬉しかったのか、玄関にずっと飾ってある。

私の父は、戦争に赴いた世代。


私は、高齢で生まれた一人息子なので、

戦争は知らないが、

オヤジが残した戦時中の回顧録がある。

     →以前、ブログに載せた記事


           *


そして、下の向日葵フォトメッセージ、

「夏(いのち)の終わり」ギャラリーにも載せましたが、


そのテーマでギャラリーを作ったのは、

母の死が迫っている虫の知らせだったよう。


MU-PHOTO 構図・創作フォトGallery BLOG-いのちの終わり_向日葵

私は、小学生低学年の頃、大病を患い、

両親は、あっちの病院、こっちの病院と、

名古屋の大きな病院を幾つも回り、看病してくれた。


その後、親との諍いなど、色々とありはしたが、

大病での事を思い返すと、息子の素直な気持ちは

「ありがとう」なんです。


           *


今、母は病院のベットだが、

呼吸が弱いので酸素マスクを付けている。


けれど、意識がボ~ッとしたり、眠ったり、

その中で夢を見るんだと思うが、

起きて私を呼び、こんなことを言ったりする。


   「家の鍵が無い。入れない」


きっと、実家へ帰宅する夢でも見るんだろう。

でも、鍵が無くて入れない。


帰りたくても帰れない心理が見させる夢なのかも。



昨日今日、私に出来ることは、

出来るだけ病室に居てやり、

水が欲しいと言ったら、とろみを付けた水を

少しずつ飲ませることぐらい。


私自身、色々と葛藤してしまうこともあるが、

非力ながら、息子として看てあげ、送ってやろうと思う。


以後、追記すると思います。



------

(10/7追記)


親や祖父母を看取る。


この問題や苦悩さは、

これまで多くの方々が、それと対面し、

肉親や子として苦悩し、越えて来られたのだろう。


どうするのが一番良いのか。

親の尊厳、人としての尊厳に直面し、

しかし現実、看取る子の心情や事情もある。


今、入院している母は、

生命力が強いようで、小康状態が続いている。

ただ、高齢や病状により、記憶の混乱などが現れ、

入院している事を忘れてしまったり・・・


つい先日は、自分で点滴を取ってしまい、

致し方なく、拘束せざるえなかったり・・・


こういった経験をされた方々は、

これまで大勢おられるだろう。


どうすることが最善なのか?

容体を見つつ、日々、そう考える。


MU-PHOTO 構図・創作フォトGallery BLOG-親の他界3
実家の電話。
もう少し便利な電話に換えれば?と勧めたが、
機械音痴なので、ずっとこれ。


今、仕事で東京に戻り、ブログを記しているが、

ふと何気なく、実家の母親から

電話が掛かって来る気がしたり・・・。


そしてまた、

うちのオヤジは、生前、よく手紙を送ってきた。

その内容は、頑固オヤジなものだったが、

しかしそれは、一人息子と離れて暮らす

寂しさからだったのだろう。



------

(10/13追記)


こんな追記ですんませんが、


今日、母が他界した。


良く解釈すれば、

私(息子)が来るのを待って亡くなった感じになった。


昨日から昏睡状態だったので、

すでに会話は出来なくなっていたが、

呼吸も弱まった母の耳元で、

  「後は大丈夫だから・・・」と伝え、

その数分後か、息をひきとった。



今回の母の入院と死では、色々な事を感じ、学んだ。


そして、有名人でも何でもない、ごく普通の父と母。

おそらく多くの皆さんもそうでしょうが、

ごく普通の父と母が生きた人生。暮らした家。

しかしそれは、尊く、偉大な事。


私は、その息子として、

そしてまた、前述したようにクリエイターとして、

何らかの作品にして行こうと思います。



病院の先生、看護師さん、

最後まで良くしてくださり、母に代り、お礼申し上げます。


葬儀場の方々、お心遣い感謝です。


追記。

このブログ、作品やギャラリー、

こういう深刻な内容じゃなく、

今後も色々と楽しんで頂けるよう作っていきますので、

今後も、どうぞ観に寄ってください。



------


読んでくださった方、何か感じて頂けたら幸いです。



-------------

一カ月経ち 追記(13.11.23)


引っ越し荷造りのため、
実家を一週間以上離れて後、実家へ戻った際、


母の祭壇の白い百合、

  (四十九日過ぎるまでは白い花を。と言われ)
枯れてるよなぁ~と見たら、
まだまだ見事に満開だった。


MU-PHOTO 構図・創作フォトGallery BLOG-満開の百合
東京へ行く前は、大きなつぼみ。
帰宅したら、見事に満開であった。


ちょっと思った。
この満開な百合を私が見るまで
咲かせてくれてるのかな?・・と。


そういえば、人に言われて気付いたのだが、

母が亡くなったのは、10/13。
葬儀が10/15。


私が東京から実家へ引越す日が11/13。
実家に荷物が届いたのが11/15。


偶然だとしても、何か意味を感じてしまう。


そして、東京の部屋の退去日が、
今日、11/23。私の誕生日である。


人生とは不思議でもあるなぁ。