突然だが…
昭和20年の終戦から、現在で64年が過ぎた。
私は、戦争を知らない世代だが、
「もう、怪獣は卒業だぁ~!」と、
小学生の私が大事にしていたソフビや本を
捨ててしまった私のオヤジは、
その昔、召集令状を貰って戦地へ赴いている。
私は、遅くに生まれた子供なので、
物心付いた頃には、すでに戦争とは無縁だったし、
戦争の話は、全くというほど聞かされずに育った。
そんなある時、信じられない光景を見た。
ワープロ(ワープロという機器)など
全く関心がないオヤジが、実家に置いておいた、
一行しか表示できない初期のワープロを使い、
何かを書いているのだ。
それから月日は経ち、
帰省から東京へ戻る私に、
オヤジは、手作りの本を一冊くれた。
「岐阜六十八聯隊中支派遣
ボタン部隊 湘桂大作戦央」
カレンダーの風景写真を表紙にし、
そこに、マジックでそう書かれてあった。
東京へ戻る新幹線の中、
いったい、何を書いたんだ~と、
新幹線でいつも飲む水割りを手に、読み始めた。
古い漢字や文章使いが混ざり、
ところどころ読めない部分もあるが、
私は、対立していたオヤジの戦争を知った。
約100ページの手記は、東京駅へ着くまでに読み終えた。
照れくさいながら、何度も涙した。
こんな苦難、軟弱な私には到底できない。
非常に私的で申し訳ないが、
いや、ブログなのだから、私の勝手であるが…
オヤジの命日にあたり、
もの書きを、少なからず仕事にしている息子として、
オヤジの手記を、幾らか載せたいと思った。
オヤジは、知られもしない一兵士。
そんな、ある一兵士の戦争手記だ。
-------------
(一部掲載)
大東亜戦争、敗戦濃い。今現在。
私は、岐阜各務ケ原川崎航空機工場で、
戦闘機の尾部の製作の班長で、
残業で、残業で、休む暇もなく、
昼休みには、軍事戦闘訓練の教育して、
作れ作れで、一人で三人分ほど働きであった。
ところが私に、召集令状が来た。
召集が来ないよう申請を出した。
間に合わず、ついに来た。
仕事を終わり、家に帰って、召集令状を渡されて、
来るものが来た。
我々同年兵も、同じく来た、ことと思いであった。
昭和十九年の六月であった。
(中 略)
入隊した当時は、毎夜、床に入って泣いた。
何もしないのにビンタ… この痛いこと。
初年兵…並べと言はれて、奥歯をかめ。
後は飛んでくるのを待つ。
目から火がヒカリ…と出る。
星一つ違っても、絶対服従である。
(中 略)
自分の、初年兵教育の時はしなかった。
古年兵にもさせなかった。
初年兵教育は、大変であった。
短剣の分解手入れや、小銃の分解手入れ、
撃つことや、聯隊砲の手入れ。
撃激とにかく、ようするに、
人を、いかに多く殺す教育である。
(中 略)
見送る人、みんなに、万歳…万歳で。
いよいよ、汽車の発車である。
これで、この駅とも、皆様とも、永々の別れ。
しんみりと淋しさが、この上ない。
誰もが無言である。
戦地へ、また死につながる地へ。
生きて帰れぬ、と思う。
(中 略)
三十分過ぎていたら大変なことに、
或いは、全滅していたことだろう。
工兵様々である。
この処、米軍機が来ないので助かる。
だが、行軍中に道端で死人が。
ある時などは、一里ぐらい前から、臭くて気持ちが悪くなる。
(中 略)
その後、何カ月歩いたか、
九江の町、二三里前で、休息して出発を待っていたが、
中々、出発の命令が出ぬ。
ニュース…が入った。
今夜放送が有るらしいとのことで、
どうも負戦かも知れぬ。
この処、米軍機が来ないので変だと思った。
(中 略)
(追録の最後部分)
まだまだ有るが思い出せぬ。
この戦争で歩いたのは、はかり知れぬ。
生きて帰れたことが何よりだ。
平成六年 吉日
-------------
ゲームではなく、本当の戦争だ。
手記には、戦争であるからして、
ここに書くのは躊躇する記述もある。
戦争を知らない私ごときが、偉そうなことは言えないが、
兵士であったオヤジの手記には、こう書いてある。
「二度と、このようなことは、絶対にしてはならぬ。
また、やってはいけないことだ」
戦争の愚かさ、
戦争を知っているからこそ重い。
戦争で亡くなられた多くの方々へ…
オヤジの手記とともに、ご冥福をお祈りいたします。
--------------------------
最後に、
戦争関連として、こういう本が出ている。
この本は、すみだ郷土文化資料館が、
「描かれた東京大空襲」という企画展を実施した際に、
東京大空襲の体験者方々から募集した絵を集めたもので、
TV番組にもなっている。
この本には、
決して忘れることが出来ない当時の記憶が、
強烈に、苦しく悲しく、言葉にならない有様が、
とても重い絵として載っている。
写真は、有様をそのまま表すが、
絵は、描く人の気持ちを加えて表わされる。
だから、余計に強烈だ。
絵を通して、描かれた方の気持ちが伝わってくる。
描かれた方々は、当時子供だった。
お爺ちゃんやお婆ちゃんになった今でも、
決して忘れることのない、決して消えることのない記憶。
猛炎灼熱の中で体験した地獄。
戦火の悲劇は東京大空襲だけではないが、
戦争を知らない私たちであるからこそ、
この方々が涙して描かれた絵が意味することを、
「あの日を忘れない」という意味を、しっかり学びたい。
この本の絵は、軽々しくは載せられないので、
文字が描かれてあった一枚を紹介。
その一枚には、こう描かれている。
「お母ちゃん 手 はなさないで」
目を覆いたくなる絵ばかりの一冊であるが、
であるからこそ、もし機会があれば、ご覧になってはどうでしょう。
戦争を知らない私たち。
その私たちが、未来を作っていくのだから…