栽松塔 正受老人のお墓
正受庵の宝物 手洗い鉢
25日 寛道和尚の三回忌法要が行われました。
 
一大事と申すは、今日只今の心也。それをおろそかにして翌日あることなし。
正受老人の「一日暮らし」と言う言葉があります。
その、正受老人の「一日暮らし」の確信の部分が以下のことばです。
『愚かなる者の、親に孝行せぬも、長いと思ふ故也。一日一日を思へば退屈はあるまじ。
一日一日とつとむれば、百年千年もつとめやすし。何卒一生と思ふからに大そうなり。』

愚か者が、好き勝手をして親不孝をするのも、親が、まだずっと何年も生きていると思うから甘え心が出て親の心にそぐわないことをしてしまう。親も今日一日、自分も今日一日と思えば、親不孝は出来ないはずだ。
今日一日が自分の生涯だと思えば、無駄な時間を過ごすことなく、充実した一日を過ごすことができる。一日一日と思って一生懸命に務めて行けば、百年千年も務めやすい。
一日も一生だし、10日も一生だし、百年も一生だ。これから先長い一生だと思うから、荷が重くなってしまう。
『「一生とは永い事と思へど、後の事やら翌日の事やら、一年二年乃至百年千年の事やら、知る人あるまじ。死を限りと思へば、一生にはだまされやすし。」と。
一生というのは、永いことのように思いがちであるが、ずっと先まで続くことやら、明日までのことやら、一年・二年のことか、百年千年のことかはだれ一人知っている人はいない。死ぬまでが一生、明日までが一生なんだ。一生という言葉は永いと騙されてはいけない。
そして、「一日暮らし」で大事な言葉です。
「一大事と申すは、今日只今の心也。それをおろそかにして翌日あることなし。」
「総ての人に、遠き事を思ひて喋ることあれども、的面の今を失うに心づかず。」』
「一大事と申すは、今、只今の心也。」

今日をおろそかにして、明日は良い明日が来る。来年はいい年になる。なんて考えてもそうはいかない。
今、ここにいる一刻の、この今を大切にしてきっちり生きる。
この今、と言う一刻の命の有難さに気づかない人が多い。
今日なすべきことを明日に持ち越さず。今日することは確実にやる。今日一日をしっかりやったなの満足感を得られるような暮らしに心掛けたい。
今という時間は、今しかない。今の1分。2分は、再び戻っては来ないわけです。
こう言う生き方をしたいものだと思います。