中央橋の通り=市道(いちみち)

長野市蟹沢の船着き場跡

飯山市西大滝の斎藤太左エ門が、寛政2年(1790年)に始めた西大滝から須坂市福島までの「千曲川通船」は、関田山脈の11の峠を越えて飯山に運ばれた、越後の塩・米・菜種・杉材などの荷物の運搬が目的の事業でした。
この「千曲川通船」は、明治7年には本社を松代に置く「千曲川際川通船会社」として規模が拡大され、飯山にも支店を置き営業されるようになりました。
なお、明治34年には、飯山町の栗山善治さんが、資本金6,000円で「飯山旅客便船株式会社」を設立し、千曲川を往来する人を乗せる川船の運行を始めました。
航路は、JR飯山線の立ヶ花駅近くの蟹沢から、飯山港までの間でした。
島崎藤村の千曲川のスケッチの「川船」に書かれています。

明治26年に、信越線が全線開通し、飯山方面へ来る人は、豊野駅で汽車を降り、船着き場のある蟹沢まで約一里を歩き、蟹沢から飯山までを船に乗るようになりました。
飯山の船着き場=飯山港は中央橋の西側にありました。
千曲川は、飯山側のすぐ近くを流れており、飯山港のある川岸には、二階建ての大きな建物の「入船亭」のほか2〜3軒の料理屋があって賑わっていたと言います。
大正時代に入ると、中野市廻り豊野行きの乗合馬車が透るようになり、川船の営業は中止され、さらに大正10年10月に豊野〜飯山間の飯山線が開通して乗合馬車もなくなりました。

長野市にある藤村文学碑
千曲川のスケッチ
その十
千曲川に沿うて

豊野で汽車を下りた。
そのあたりは耕地の続いた野で、附近には名高い小布施の栗林くりばやしもある。
その日は四阿、白根の山々も隠れてよく見えなかった。
雪の道を踏んで行くうちに、路傍に梨や柿の枯枝の見える、ある村の坂のところへ掛った。そこは水内の平野を見渡すような位置にある。
私が一度その坂の上に立った時は秋で、豊饒な稲田は黄色い海を見るようだった。向の方には千曲川の光って流れて行くのを望んだこともあった。
遠く好い欅の杜を見て置いたが、黄緑な髪のような梢からコンモリと暗い幹の方まで、あの樹木の全景は忘られずにある。
雪の中を私達は蟹沢まで歩いた。
そこまで行くと、始めて千曲川に舟を見る。

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文化交流館「なちゅら」のサインデザインが〜公共デザイン部門で入選
公益社団法人日本サインデザイン協会が選定する「第 50 回日本サインデザイン賞」のA-2類の部において、文化交流館なちゅらのシステムサインが入選しました。
A2類の入選は、「なちゅら」の他、北海道新幹線サインプロジェクトなど総数で28点でした。。
「飯山市文化交流館なちゅら」のサインデザインの受賞者は、隈研吾建築都市設計事務所の泉美菜子さんです。

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新幹線飯山駅のタベストリー

昨年の商店街の部最優秀賞 「ようこそ 真田丸 寺町へ」

飯山商工会議所愛宕町支部

昨年の商店街の部 優秀賞 愛産燦 福寿町区雪まつり実行委員会

第35回 いいやま雪まつりが、2月11日(土)〜12日(日)に開催されます。
メイン会場は、飯山高校グラウンド(旧飯山市城北グラウンド)
「雪」を資源と捉えて、地域の活性化を図ろうという地域の若者の想いから生まれた「いいやま雪まつり」
今回で35回目を迎えます。
北陸新幹線飯山駅開業を期に、「克雪から遊雪へ」の原点に再度立ち返り、市民と一体となった雪まつりを目標に掲げて開催されます。
雪の上で遊ぶ楽しさと、雪の美しさを体感していただき、飯山の伝統文化や食文化を堪能できる雪まつりを目指しての開催です。
昨年は雪不足で悩まされましたが、今年は充分の雪に恵まれています。
1月19日(木)には、いいやま雪まつり市民協議会・実行委員会の会議も開かれ、雪まつりの準備が本格的にスタートします。
 

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