多系統萎縮症の父と介護する家族の奮闘記

多系統萎縮症の父と介護する家族の奮闘記

特定疾患である多系統萎縮症の一つ「線条体黒質変性症」を発病した親父の闘病とそれを介護する家族の備忘録を書いているブログです。

★多系統萎縮症を患った父は、闘病の末、2016年9月に他界しました★
介護や闘病の記録は左側「テーマ」の「闘病記」を御覧ください★
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日経新聞の記事にあった

「iPS10年、難病治療に光 山中氏「ここから正念場」の記事。

もう10年なのか、まだ10年なのか。

あと何年で病気の人が救われるようになるのか。

 

今、色んな難病と病気と戦っている人に

1日でも早く希望の光をお願いしたい。

 

 

以下、日本経済新聞 電子版より抜粋

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO23757330R21C17A1EA2000/

 

iPS10年、難病治療に光 山中氏「ここから正念場」

 京都大学iPS細胞研究所の山中伸弥所長らがヒトiPS細胞の作製に成功したと発表してから21日で10年を迎えた。iPS細胞の応用の2本柱である創薬と再生医療では、一部で臨床試験(治験)や臨床研究が始まる段階まで来た。山中氏は「ここからが正念場」と気を引き締める。

 山中氏はヒトiPS細胞10年に合わせ「患者の安全性を最優先しながら、様々な研究機関や医療機関などと連携して、一日も早く患者にiPS細胞を使った新しい医療を届けたい」とのコメントを出した。

 iPS細胞は皮膚や血液などの細胞に遺伝子を入れ、様々な細胞になる「万能細胞」に変える技術。iPS細胞の長所が生きるのが新薬開発だ。病気の患者から作ったiPS細胞は患者と同じ遺伝子を持つ。iPS細胞を神経や筋肉などの病気の細胞に育てることで、アルツハイマー病などの病態を研究室の中で再現できるようになった。

 発症の仕組みの解明などに役立つほか「患者の分身」となる細胞で様々な物質の効き目を試し、薬の候補を効率的に絞り込むことも可能だ。ネズミなどの動物実験で分からなかった効果も明らかになると期待される。

 京大の戸口田淳也教授らは筋肉の中に骨ができる難病「進行性骨化性線維異形成症(FOP)」の進行を抑える薬の候補を発見。約7千種類の化合物の中から免疫抑制剤の「ラパマイシン」が効くことを突き止めた。iPS細胞を活用した世界初の創薬として、8月に医師主導治験を始めた。

 ALS(筋萎縮性側索硬化症)や遺伝性の難聴、肥大型心筋症などでも薬の候補が見つかった。アルツハイマー病を含め、治療の難しかった病気で創薬の成功率が上がると期待されている。

 再生医療でも実際の患者に移植する段階まで来た。理化学研究所の高橋政代プロジェクトリーダーらは2014年、目の難病「加齢黄斑変性」の患者に、iPS細胞から作った網膜の細胞を移植する世界初の手術を実施した。現在までに臨床研究として計6人の患者への移植を済ませ、経過を観察している。

 18年以降はパーキンソン病や脊髄損傷、心不全などの患者に対してもiPS細胞を使った治験や臨床研究が始まる予定だ。効果と安全性を確認し一般の治療として普及させるのが第一だが、同時にコスト低減を目指す努力も必要となる。

 

父の一年祭(一周忌法要)も何とか無事終わった。

9月16日は台風18号の影響で朝から雨。

思えば通夜も葬儀も五十日祭も全部雨。
父は泣いてんだろうか。

でも、どの日も式の間だけ見事に雨が止んでいたので
今回も式典と墓参りの間だけは
止むと思っていた。

しかし残念ながら雨は止まず、
墓参りの時は雨あしが強まって
いいコンディションではなかった。

お墓を見た方から
「いいお墓が出来たね」
と称賛の声を結構いただいたのが救いだった。

前回の五十日祭では呼ばなかった親戚を
1組招いたのだけど、
マナーの悪さにちょっと戸惑った。

若さゆえならまだしも
ある程度年齢の行った人が
常識に欠けるというのは
見ていて気持ちいいものではないな。

とにかく父の祭事は一段落。
次は5年後とかなのでしばらくは何も考えなくていいから助かる。

今週末は父の1年祭。
早いもので亡くなってから丸1年が来る。

まだまだ毎日思い出すし
思い出して涙がでることも多々ある。

1年くらいでは親の死の傷は癒えないな。


週末の法事は、大体身内は参加するものだけど
中学生の甥っ子は部活のために参加できないとのこと。

部活の顧問の先生が
そんなことで休むなと、
理由にならないと言うそうだ。

最近の中学校の部活動は本当に常軌を逸しているように感じる。

学校や部によっても違うのだと思うが
甥っ子は平日は朝練だということで平日は6時くらいから出て行く。
そして土曜も日曜も練習。

夏休みもほとんどなかった。
4~5日くらいだろう。

顧問が熱血なんだそうだ。

しかし、人の生死に関する催し事より
部活の方が大切なんだろうか・・・。
おじいちゃんの弔いは部活を休む理由にはならないのだろうか・・・。

価値観が違いすぎて理解できない。

明日は父の月命日。
来月でちょうど1年となり、一年祭を行う。
仏教でいう一周忌法要にあたる。

その一年祭に向けて、今、父の墓を作っている。
知り合いの石屋さんに協力してもらい、
父がやっていた仕事で、在庫として残っていた商品の
ブロックを使って、墓地を囲い、代々墓を建てている。

父が生涯をかけて取り組んだ仕事で使うはずだった商品に
囲まれて安らかに眠ってもらいたい。
喜んでくれてるかな。
父はなかなかの腕前だったみたいなので
「下手くそじゃのう」と笑っている顔が目に浮かぶ。

こっちは素人なんだからそれは仕方ない。
許してもらおう。

お盆に父の兄弟が来たらしいが
誰も墓参りには行かなかったそうだ。
まあ、皆年寄りだし、暑いからそれも仕方ないか・・・。

 

長いこと更新していないのに
このブログにアクセスしてくれている方、
記事を読んでいただいてありがとうございます。

GoogleやYahooの検索でこのブログにたどり着いた方は
「多系統萎縮症」か「小脳変性症」というワード絡みで
検索された方だと思います。

病気であるご本人か、もしくは身内の方であろうと思われますが
アクセスが多いというのは、
こんなにもたくさん苦しんでいる方がいらっしゃるということであって
喜べることではありませんね。

このブログが何かの足しにでもなれば幸いです。
 


今日、勤務先の健康診断で病院へ行き、
十数年ぶりに胃カメラで検診を行いました。

経鼻といって鼻から内視鏡を入れるのを初めて経験しましたが
かなりきつかったです。

その前に鼻の中に麻酔を噴射するのですが、
あっという間に効いて、口腔が麻痺したような感じになりました。
舌も奥の方が麻痺してうまくしゃべれないし、飲み込む事が困難。
唾を飲み込むにも力がいります。

多系統萎縮症などの症状で起こる、
いわゆる「飲み込みが悪い」状態ですが
父もこんな状態だったんだなと知りました。

気道が塞がる感じで呼吸もしづらく、かなり苦しいです。
飲み食いするとむせますので
麻酔が切れるまでは飲食禁止です。

 


この病気と闘っている方は本当に大変な思いをしてるのだなと
改めて思い知った感じです。

明日は父が亡くなって丸8ヵ月の月命日。
お墓参りに行こうと思います。

 

先週の土曜日、25日は父の命日だった。
亡くなって半年経った。

 

日曜日に実家に帰った時
近所の方が亡くなった話を聞いた。

帰る度に「誰々が亡くなった」と聞くような気がする。

 

そうそう、父と仲が良かった車屋のご主人も
今年1月に亡くなった。
父が亡くなってものすごく落ち込んでいたらしいが
正月に餅を喉につまらせて亡くなった。

ニュースでよくあるやつだ。
突然のことで家族は本当に大変だろうなとお察しする。


昨日聞いたのは近所の方。
もう99歳だったので大往生。

しかし、その通夜と葬儀でこのブログにも登場した
近所のおっさんがまた大暴れしたそうだ。
http://ameblo.jp/mtmtmmyhtn/entry-12206972864.html

 

通夜に行ってビールや酒が無いと怒鳴り声をあげたそうで
葬儀でもなんだかんだいちゃもんを付けては終始不機嫌。

 

お通夜で故人のご遺体の前で「酒がない」と怒鳴り散らす・・・、
正気じゃないとしか思えない。

 

どこの誰の葬儀でもやってるんだな。
父の葬儀にも来てもらったからあまり言えないけど
本当に迷惑な輩だ。

 

この人が死んだ時、みんな悲しむんだろうか・・・。

 

先日、亡くなった親戚の一周忌だった。

 

参列してきたが、相変わらず金の話ばっかり。

うんざりというより呆れてしまう。

 

「そんなこと聴いてどうするの??」
と思うようなことを色々聞いてくるのだけど
何となく、父の遺産を狙ってるのか??と思うようなフシが・・・。

 

 

「おい、アレはどうなった?親父が持ってた〇〇があったろう。
ちゃんと管理してんのか?」
「あの土地はどうするつもりだ?名義はもう変えたのか?」

 

こちらがどれくらい資産を持ってるか探っているような気がする。

 

今は母が健在なので、何も言ってこないが
もしものことがあったら、乗り込んで来る気ではないか。

 

 

今のおっさんたちの世代以降、
つまり僕達の世代ではもう親戚付き合いをやめるという話が出たので
「そうですね。もうそういう時代ですね」
と言っておいた。

 

どういう時代がか知らないけど。

 

昨日は父の命日だった。
ちょうど4ヵ月。
まだまだ毎日思い出す。


この前、松方弘樹が亡くなり、
梅宮辰夫がインタビューを受けていたのを見た。

最後に見舞ったときには
意識がなく、宙をボーッと見てる。オイッて言っても反応しなかった
と言っていた。

脳の病気なのでやはり父と同じく最期の方はこういう感じになるのかな。

火葬場にも同行し、
「遺品も花もない。骨だけがバラバラになって出てきた。悲しかった。人間ってこんな簡単なのかとつくづく思った」
とのコメント。

みんな同じことを思うんだな。
 

 

昨日は父が亡くなって丸3ヶ月だった。


実家に帰って、3ヶ月前、父が息を引き取った時間に
神壇に祝詞をあげた。

(仏壇にお経を上げると同じ意味)

 

 

母は父が亡くなってから1日も欠かさず
神壇にお供えをし祝詞を上げている。

 

そして毎日少しずつ、片付けをしているようで
実家に帰る度に
「〇〇の写真が出てきたよ」
とか見せてくれる。

 

昨日は曾祖母の写真が・・・。
昭和の初め頃に写された写真。

 


聞くところによると聡明な人だったらしい。
会ったことはないけど自分の先祖なのだなと思ったら
ありがたいものだ。

 

先日、実家に帰ったら(僕の)祖母の写真が出て来た、と言って見せられた。
在りし日の祖母の写真。


それに混じって、病院のベッドの上や車椅子に乗って写した
やせ細った老婆の写真が入っていた。

 

「これ誰?」


と聞いたら、それも祖母の写真だった。

 

元気な頃の祖母は結構太っていて70~80キロあった。
しかし、その写真に写っていた祖母は同一人物とは思えないくらい
やせ細って年取っていた。


100歳くらいに見えた。

 

 

こんな姿、全く記憶にない。

僕は何を見てたんだろうな・・・。
すごく自己嫌悪。

 

僕は祖母に対してほとんど何もしなかった。
母親ひとりで介護をしていて、僕は何も手伝わなかった。
人相も容姿も変わるくらい病で苦しんでいただろうに・・・。

 

祖母はアルツハイマーを患っていて、
終いには寝たきりで体が動かなかった。

 

今思えば、恐らく小脳変性症。
その可能性は高いと思う。

 

出てきた写真でもVサインをしてる2本の指が曲がってしまって伸び切っていない。
父と同じ状態だ。

 

当時のことはあまり記憶にないけど、
そういう診断は下されていなかった。

 

そうだとしたら父と同じように苦しんだはず。

 

後悔先に立たず。
後悔しないように今あるものにできる限りの愛情を注いでいこう。