今、CS放送TBSチャンネル2で、ドラマ
「3年B組金八先生」
シリーズが放送されています。

第1シリーズから、現在は、第5シリーズの放送が終わり、

7月1日から、上戸彩さんが出演する第6シリーズが始まります。

この記事のような、少年Aや、過干渉な母親は、

「3年B組金八先生」
第5シリーズに登場しますね。

この記事のように殺人までは行かないが、

風間俊介演じる兼末健次郎が、金八先生にウソをつき、過干渉の母親にウソをつき、良い子を演じ、

しかし、ほかの生徒を脅し、前任の中野先生(ラサール石井)をリンチにしてケガをさせ、精神的に追い込みます。

こんなふうになってしまった兼末健次郎(風間俊介)は、過干渉の母親に原因があったのです。

(「3年B組金八先生」は、ドラマだから、いつもハッピーエンドですが。

つまり、兼末健次郎(風間俊介)が改心するのです)



●Yahoo!ニュース
●「絶歌」元少年Aの犯罪、原因は母親にあった

東洋経済オンライン
 [6/27 21:30]

おとなしく聞いているように見えて、心の中では大きな異変が起きているかもしれない
(写真:Ushico/PIXTA)

今回のコラムも特別編です。

前回の記事で議論した「絶歌」に加え、

事件の2年後に出版された”元少年A”(以下A)の両親の手記である

「『少年A』この子を生んで・・・・・・」を再読した感想を元にして、

凶悪少年犯罪が生じる家庭環境について一緒に考えたいと思います。

Aとその両親の手記双方を突き合わせて読むことで見えることは、

子供に安心感を与えることの大切さ、愛情が子供に誤解されるリスクの大きさ、

また子供を過信せず、異変のサインを見逃さない距離で子供を見守ることの大切さです。

■ Aの両親の言い分では「しつけは厳しくなかった」

Aの家庭は一見、平凡な家庭であり、ご両親はAをきちんとしつけ、愛情を注いだと思っているようです。

「死んでお詫びする勇気もない自分たちをお許し下さい」と手記に書かれていますが、

行間からは
「もし死を選ぶとしても、Aと自分たちが(許されなくとも)直接遺族に謝ってからにしよう、

下の二人の息子たちを育てたあとにしよう」

と考えているように推察できました。

Aの家庭は一見、平凡などこにでもある家庭に思えます。

父親は、「うちは金持ちやないけど、貧乏でもない。ほんま、平凡やなあ」

が口癖の、無口で子煩悩な人です。

Aとの会話はスムーズではありませんが、思春期はそんなものだろうと受け止め、

節目節目には息子にキチンと助言や話しかけをし、育児のすべてを妻に丸投げした人ではありません。

母親は最初の男の子にあたるAの誕生を親戚ともども大喜びし、離乳食もすべて手製で、丁寧に子育てをしました。

ただとても几帳面な性格で、物事の白黒をはっきりさせないと気が済まないタイプです。

幼児期より食後の食器の下げ方や敬語の使い方など、早期からかなり厳格に教育した人でした。

4年で3人の息子を授かった彼女は、3男に手が掛かり、上の二人が騒いだり兄弟喧嘩になると、“パニックを起こした”といいますが、

それでも上二人に体罰を加えるというよりは、「お尻をパーンを叩いてたしなめた記憶があります」という程度です。

■ 両親と食い違う「A」の言い分

一方でAの精神鑑定やその他の調査結果によりますと、

長男であるAと両親の認識は隔たりがあります。

母親は彼が1才になり次男が誕生した頃から、彼を突き放すようにして育てました。

さらに三男が生まれてからは、睡眠不足もあって母親は「いつもいらついて」いました。

特にAには躾けに口やかましく、厳しく育てました。

Aは物心ついたときから、母親は甘えさせてくれる存在ではありませんでした。

Aの欲求不満のはけ口は最初弟に向かったようです。

兄弟喧嘩が始まると、弟がどんなに泣いても

Aは手加減せず暴力を止めなかったそうです。

母親は相当Aに体罰を加えたといいます。

Aは母親を恐れるようになっていました。

同居する祖母と母親は、「Aに厳しすぎる」「子どもの育児に口出しするな」というケンカを、よくしました。

本来子どもの安全基地は母親か両親のはずですが、

Aにとっては、祖母が「安全基地」でした。

「祖母の背中が唯一の温かみを感じる場所」で、

その祖母の死がナメクジから蛙、ネコ、人を殺める切っ掛けになったのです。

Aは幼児期より母親をひたすら恐れ、成長するにつれて平気で母親にウソをつくようになりました。

14才で事件を起こしたときも、両親との面会を拒否し続け、

やっと面会しても母親に、「ブタ野郎! カエレッ」と罵しりました。

母親はAにとって、安心を与えてくれる「安全基地」ではありませんでした。

どのような家庭環境でも凶悪な少年犯罪が起こりうるものですが、

共通するのは

親の想いや傍から見た家庭環境と、

子供の育ち方に大きな隔たりがあることです。

1989年の女子高生コンクリート詰め事件では、

犯人グループのそれぞれの家庭環境が、どこにでもある平均的な家庭だったことでも話題になりました。

直近の今年6月の第4週でニュースになっている相模原市の女性死体遺棄事件では、

犯人の男女は(未成年ではありませんが)二人とも

お城のような豪邸に住んでおり、生活も王子と姫のような者たちです。

逆に、母親の厳しい躾けや過干渉が子どもを追い詰め、

凶悪な事件に繋がるケースが意外と多いことにも気づかされます。

秋葉原通り魔事件の加藤智大は、母親からスパルタ教育を受けました。

テレビ番組は「マンガ日本昔話」など2本だけ。

友達との往来は禁止。

作文指導では母親が横に座って検閲し、質問は母親がカウントダウンし、 10秒以内に応えないとビンタが飛んだそうです。

古い話にはなりますが、 1980年の神奈川金属バット両親撲殺事件では、

東大出身の父親が、予備校生の息子を叱責する言葉が(息子に原因があったにせよ)、異常に厳しいものでした。

いずれも子供を思う親心から発しています。

しかし、それが子どもに伝わるどころか、

子どもを犯行に追いやるほど追いつめたのでは、元も子もありません。

親の接し方と子供の受け止め方には、往々にして

大きな隔たりがあることが多いことを痛感させられます。

上で述べた子供にとっての「安心感」の欠如に加え、

子供の異変に気づかない親が、

少年犯罪の暴走を助長している側面も否定できません。

彼に厳しかった母親ですが、彼女はまた

自分の息子が小学6年で万引き事件を起こすまでは、

彼は優しいだけの子だとずっと信じていました。

以降のAは、女子生徒の靴を燃やしたり、腕時計を手に巻いて、友だちの顔を血が出るほど殴ったりする

執拗な行動を皮切りに、盗みも非行もエスカレートしていきました。

母親は何度も学校から呼び出されています。

母親は、学校の先生には自分の息子の良い面が全然見えてないという不満があります。

「Aと遊ぶな」と他の生徒に言った教師には謝罪を要求し〈実現せず〉、

他に首謀者がいても全部罪は自分にかぶせられているとA がウソをつけば、それを信じます。

盗んだ斧やナイフを家でみつけても、Aが友だちから預かったといえば信じました。

さらには、Aが猫の舌を塩漬けにして瓶詰にしていることをAが友に言い、

彩花ちゃんたちの殺傷事件の犯行も自ら匂わせ、噂として広まっているのに

(それ以前に確信していた教師もいた)、母親の耳に入れる人はなく、気づいてもいません。

確かに灯台元暗しですが、そんな噂を耳に入れてくれる人間関係を、

母親は構築していませんでした。

結果的に、数えきれないほどの明らかなAの暴走のサインを見逃してしまったのです。

■ 異変に気づかない親は善管注意義務違反

Aの親は、驚くほどに子供の異変に鈍感でした。

普段使わない衣装ケースからナイフを発見し、それを取り上げたあとも

また別のナイフを発見しているのに、

ナイフを使った児童殺傷事件の犯人として息子を疑うことはありません。

もっともA はいつも無表情で平然とウソをつくので、疑うのは難しいことなのですが、

この時点でどうにかしていたら、淳君の事件は防げました。

淳君をタンク山へ連れて行って殺めて隠した翌日、

山で淳君を更に冒涜した帰りには、

Aは友だちと遊ぶ約束場所に直行しています。

髪から衣服まで全身濡れて汚れて、友たちから見ても異様な姿だったそうです。

その衣服をAが隠しても自分で洗っても、

母親はその異変に気づかなければなりませんでした。

日時が日時です。

執拗なAに殺されると怖がり、転校して行った友もいたのに、

Aの部屋にある「犯行ノート」すら、

淳君事件で捜査員が家宅捜査するまで、気づいていません。

挙げればキリがありませんが、

事件当時、私が抱いたAの両親への同情は、このたび随分

形が変わりました。

ここまでくると、子育てにおける善管注意義務を果たしていない、

と厳しく非難されても仕方ないでしょう。

少なくとも義務教育の間は、単に学校に送ってご飯を食べさせることだけが親の義務ではなく、

子供の異変を察知して迅速に対応するのも義務教育の範疇にあるはずです。

酷な言い方ですが、Aの母親は暴走する少年と

伴走していたようなものです。

もちろん少年犯罪の全てが家庭環境に起因するはずもなく、

中には親の努力ではどうにもならないケースもあることでしょう。

また手記やメディアでは明らかになっていない数多くの個別事情があることは想像に難くありません。

そう断ったうえで一般論として再認識したいのですが、

育児の基本は第一に、

自分のやり方で愛することではなく

子供の「安全基地」であるように、

子供への愛情の注ぎ方を考えたいものです。

「『少年A』14歳の肖像」(高山文彦著)によりますと、

医療少年院でAと深く関わった人の話として、

「Aは愛情に飢えていた。関係者の話し合いでは、いつもそこに話が戻る。

Aは親からまったく愛されていないと思っていた」
(筆者要約)そうで、

「あの子を赤ん坊に戻したほうがいい、皆でベタベタ愛情を注いでやろう」

という話し合いが成されたそうです。

また、親の想いと子供の受け止め方に、信じられないほどの

ギャップが生じうることを心にとめなければなりません。

親は子供によかれと思ってしても、

子供が主観的にそう感じなければ

「安全基地」に亀裂が入り、親子の信頼関係が揺らいでしまうことが多いのです。

今回の絶歌に目を通すと、最後の最後まで、

自分の両親に対する

謝罪の言葉がありません。

■ 親は子どもの異変のセンサーであるべき

最後に、繰り返します。

子供を信じることは大切ですが、

異変に目をつぶってはいけません。

子供の異変に真っ先に気づく、「異変のセンサー」の役割を果たさなければなりません。

Aにしつけで厳格だった母親ですが、

同時にAの重なる恐ろしい嘘には甘すぎました。

子供の異変に神経をとがらせ、

早期に軌道修正してあげられる関係を

日ごろから構築しておくことも親の重要な役割だと思います。

「絶歌」や「『少年A』この子を生んで・・・・・・」を読んで痛感するのは、

子供に
「安心感を与えられているか」
「愛情を愛情と認識されているか」
「子供の異変に気付けるか」

ということを自問することの重要性です。

一見すると平凡な家庭で発生していることを思えば、

どのような家庭の親であっても、子どもの教育について自問しなければならないのです。