●天声人語
●天気図もなかった昔、荒れる海をなだめようと様々なも…

2月23日 02:10

 天気図もなかった昔、荒れる海をなだめようと様々なものが海中に捧げられた。

平安前期の船旅をつづった「土佐日記」にも、

筆者の紀貫之(きのつらゆき)が大荒れの海に鏡を投げ入れるくだりがある。

▼いよいよ船が危うくなり、船頭は何か神がほしいと思う物を奉(たてまつ)れと言う。

貫之がたった一つの貴重な鏡を泣く泣く投じると、海は鏡の面(おもて)のように静まったそうな。

昔読んだそんな話を、

沖縄・辺野古の海に

巨大なコンクリートブロックが

投入されている記事を見て、思い浮かべた。

▼サンゴの海に神あらば、ぶくぶく沈んでくる塊に顔をしかめたか。

いや、それにもまして、

尊ぶべきものを

尊ばない

政府を嘆いているかもしれない。

沖縄が示した民意のことである。

▼昨年秋の県知事選では辺野古への基地移設に反対する翁長雄志(おながたけし)氏が選ばれ、

暮れの衆院選では4小選挙区とも反対派が勝った。

ところが民意は黙殺されて、

既成事実が着々と積まれているのが現状だ。

▼「民主主義はもうこりごりだ」と言っていたコザ市(現沖縄市)の元市長、

大山朝常(ちょうじょう)さんのことが、あらためて思い出される。

本土による、本土のための民主主義が小さな島を圧している。

そんな悲憤を抱えて16年前に97歳で他界された。

▼鏡の話に戻れば沖縄は鏡だと思う。

賛同者には厚く、

異なる意見には

冷ややかな現政権の

「民主主義」をはっきりと映す。

埋め立てより

沖縄との溝を埋める

努力が先であろう。

一度も会っていない首相が

まず知事と会って、

そこから始めるほかはない。

■朝日新聞社