マラカル銃撃戦 退避編
前回の時期の続きです。
銃撃戦が起こった日、国連PKO基地に退避できずスタックしてしまった私。
静まりGhost townと化したマラカルを感じつつ、夜を過ごしたのでした。
翌日、朝一瞬激しい銃声が聞こえたが、それ以外は激しい戦闘は起こっていないようだ
だが、ルーティング(盗難・略奪行為)が始まり、戦利品(?)家財道具を運んでいる人をたまに見かける。
トップレベルでは戦闘はおさまったものの、銃と制服を与えられただけの下っぱ兵士らが発砲行為
を続けていると見られる。
朝10半時頃、再びWFP事務所へ行きつき待機。待つこと6時間。治安レベルが4に引き上げられたらしい。
ようやくSecurityのClearanceが下りたUNMISのコンボイが(車列)がやってきて、
インド人やガーナ人等ブルーヘルメットをかぶった血相変えたPKO要員に拾われ、UNMISの基地へ。
基地へ向かう途中も、Random shootingに何度も遭遇し、道を変更しなくてはいけなかった。
女性が水のタンクを頭にのせたまま、同じ方向に走って逃げる姿や、
若い男性が高齢の男性の手をひいて逃げる姿を見て、残っているスタッフやその家族のことが脳裏に浮かぶ。
こうした衝突や銃撃戦で犠牲になるのは一般市民。
たとえ怪我をしなかったとしても、心に大きな傷を負うことになる。精神的ショックは計り知れない。
私は、目にすることはなかったが、道端に射殺された市民がうつ伏せに転がっていたともいう。
2日間のRelocationでおよそ200人の援助関係者がUNMIS基地へ避難してきている。
いつもは帰還民に食料配布を行う側だが、非常時用の食糧レーションをもらい、
とりあえずシェルターで一晩をしのぐ。
私はマラカルでは幸いドナーのUNHCRの一部のように扱かってもらっており、
大部屋での汗かきながらの雑魚寝ではなく、UNHCRスタッフと一緒にACつきの小部屋の床で
寝させてもらうことになった。
基地はシャワー・トイレ・電気はしっかりあるが、突然の避難民の流入(?)に基地の飲料水は間に合わず、
飲料水不足…。
翌朝、スーダン国内のRelocationがアレンジされ、避難者の多くがジュバかハルツームへ移動となった。
あくまで私の見解だけれど、バシール大統領のICC訴追、北部で開始したDDR、選挙・国民投票を前に
帰還するスーダン人に対する挑戦、というものが今回の事件の勃発につながったんではないか。
大統領が民兵を裏で使っていて、民兵は銃と制服とちょっとのお金をあげれば青少年を動員することができる。
Displinedされていないインスタント兵士がこうした略奪行為をするのも事実。
和平が結ばれてから月日が経つスーダンは、復興段階に入っているはずである。
理想的には、他国からの投資が入り、インフラい整備が進み、商業も徐々に活発になり経済活動が
盛んになってもいい頃である。商業活動は、ある意味活発であるといえる。
ケニア、ウガンダ、中国、エジプト、ソマリアなどの国からビジネスを持ってくる人も多い。
しかし、投資ではないのだ。やはり、治安悪化、選挙、国民投票、ICCなど不確定な要素が多いために、
投資をしてインフラ整備に費やす国やビジネスマンは少ない。
今回の事件がスーダンの不安定や、平和の脆さを物語っている。
現在も調査や協議が進んでいるようだが、今後いつになればマラカルの治安が落ち着くのか先が読めない。
そうかと思えば、今日は3月4日。バシール大統領のICC訴追や逮捕状が発表される。
南部ジュバでもデモ警戒のための警備体制がひかれるようである。