ヒトラー~最期の12日間~(04・独) | no movie no life

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・・・映画を見て思ったことをツラツラと。ネタバレです。

かなり昔に書いたのも。

とうとう山形で今週から「白バラの祈り」の上映が!待ってました。それで、予習もかねて本作品をDVD鑑賞。これもホントは劇場で見たかったんだけど・・・。



内容はタイトルの通り。アドルフ・ヒトラーの最期の12日間を、秘書の女性ユンゲの目を通して、彼とその周囲の人間が、追い込まれた状況下で、何を考え如何に行動したのかが描かれている。



「降伏と言う屈辱は二度と味わいたくない。」ベルリン陥落濃厚な状況にあっても、部下の進言があっても、逃亡しようとしなかったヒトラー。

末期の言葉と言うよりも、この気持ちが彼をずっと突き動かしてきたのではないか?

1次大戦、敗戦国のドイツ。屈辱の中、立ち上がった彼は、まさにその気持ちを国民により強く点火させ、ナチス政権を作り上げた。



しかしながら、逃亡はしないと言うものの、「総統」が地下要塞から地上に出るシーンはほとんどなかった。そこはまるで別世界。地上で戦争が行われているなど考えもつかない。ふんだんにある食料、酒、タバコ。(ここの人間は皆タバコを吸う、女性も。)

総統の号令ひとつで駆けつけてくる将校たち。戦略とはもはや机上の空論。

しかし、敗戦濃厚と理解しながら、部下たちには強気の発言。いくらドイツ国民が犠牲になっていると腹心の部下たちが進言しても、「弱者は生きる価値がない」「自業自得」と切り捨て、「裏切り者は処刑」とヒステリックに叫ぶ。彼はすでに生きながらの亡者。

しかし、すべてにおいて正気でなくなったわけではない。秘書ユンゲをはじめとする女性や子どもには優しかった。そして、自分の死に方は、考えていた。一人で死ぬのが怖かったのか、急に妻を娶り、その若き妻と一緒に、苦しまない方法で自決した。死体は、後々さらし者にならないよう、完全焼却を命じた。

ヒトラーの最期は、様々な憶測もなされているが、本作ではこのように描かれていた。



そして、ヒトラーを取り巻く人間たちは。

正気でないヒトラーを見捨て逃亡した将校。

終戦に向け、連合国と交渉した将校。

「ナチス政権でなければ生きる価値がない」といって、幼い子どもを殺し、自分も死を選んだ父母たち。

負傷者の治療を続けた医師たち。

最後まで勝利を信じて戦った市民たち。

降伏の知らせを聞き、自決した市民、将校。



戦争は人間を狂気に追い込む。勝とうが負けようが、だ。



映画の最後の方で、一人ひとりの登場人物がその後どうなったのか、映し出される。

ニュルンベルグ裁判で裁かれ、処刑されたもの。ソ連軍に拘留されたもの。自殺したもの。

「死ぬのはいつでもできる」。しかし、最後までそれを選ばず処刑された人間と言うのは、責任と言うカケラが残っていた人々であったのだろうか・・・?



ラストで、秘書ユンゲと思われる人物(2002年まで存命)が語る。

「膨大な数の戦死者、ユダヤ人の大虐殺・・・ニュルンベルグ裁判で、私は大変ショッキングなことを知った。でも、私はそれを結び付けられず、安心していた。自分に非はない、自分は知らなかったと。でもある日、犠牲者の銘板を見たのです。ゾフィー・ショル。私と同じ年に生まれ、私が総統の秘書になった年に処刑された。それで、気がついた。若かったと言うのは言い訳にならない。目を見開いていれば、気付いたのだと。」


age is just a number.

そして、知らなかったでは済まされないということ。現代の日本人の目は、開いてる・・・?



ああ、こんな展開を私に用意してくださったのか。

「白バラの祈り」の主人公、ゾフィー・ショル。反ナチス組織「白バラ」に属した彼女の最期の5日間を、私は次の日、映画館で鑑賞することになる。



「白バラの祈り」レビュー