風景の解像力 | だから構造家は、楽しい

風景の解像力

中山英之さんの計らいで、INAX GINZAでの、展示会「Phenomenal Resolution風景の解像力」のシンポジウムに参加させていただくことができました。


2月に、当ブログにて、自分がパネラーとして参加したヴィヴィッドテクノロジーの出版記念トークイベントを終えて、


あのバラバラさ加減が、我々構造家の実際の姿であり、また、あるべき姿ではないかと僕自身は思っています。


というコメントを残しておりましたが、30代を代表する若手建築家もまた全く同じ状況である、ということを再確認できた、そんなイベントでした。バラバラであるとは、平たく言えば、それぞれに強い個性を有する、ということでしょう。

そうしたそもそもバラバラである建築家たちを、非常に粗っぽく二項にカテゴライズしてしまう藤村さんの試みは、その主張の正当性が吟味される手前の段階で反撥を招くのは必死で、その異物感が如実に出てしまったイベントであったと感じました。しかしながら、その異物感により、藤村さんもまた、一廉の「個性の持ち主」であることが示されたわけで、その意味で、これまでの学生相手のイベンターとしてのカテゴリーを卒業し、晴れて従前の建築家群に仲間入りしたことを世に知らしめるイベントでもあったかと思います。

まわりくどい表現ではありますが、強いてまとめるとすれば、そういうイベントであったと思います。


で、やはり、その中でも強く議論の対象になった批判的工学主義についてですが、個人的には、その中で『郊外』をキーワードにして例示されている対象について(僕自身が少年期を過ごした千里ニュータウンを熟知している人間であるという自負を持っているにも関わらず)個人的な感情移入ができず関心がいかないこともあり、一部のマイノリティのためのNGO的活動のような印象を持っており、発想や主張として間違ってはいないだろうことは認めつつも、一方で、そのマイノリティが本当に救済の対象であるのか、という本質的な部分でまだ十分に同意はできておらず、そこにある表現(言葉)や提示されている手段を見る限りは、当面は同じ道を歩むことはできない、という結論を得るに至っております。


藤村さんについては、11日の金曜日に京都の僕の事務所にて某書籍出版企画のためのインタビューを受けることになっていますので、僕に何か誤解があるのだとすれば、それを解いてもらえる良い機会なのかもしれません。


で、藤村さんのことばかり書いているじゃないか、というツッコミを受けそうではありますが、事実、彼のこれまでの地道な努力によって、今回のイベントが導かれていますので、そこはその成果と手腕を素直に認めるべきだと思っています。そして、何よりも、自分の立場というか考え方のようなものを改めて見つめなおすきっかけを与えてくれていることについて感謝しております。



中山さんについては、伊東事務所+佐々木事務所時代からかれこれ7年以上も仕事をし続けていますので、基本的な部分で理解できていること、藤本さんについては、今売れに売れまくっているというコンセプトブックで基本的なことは示されているため、彼らが個人的に何を言うかということよりも、藤村さんに対してどういうメッセージを発するか、について着目しておりました。二人とも厳しい意見だったと思います。

その一方で、あの熱い議論の中、最後までマイペースを保ちつつも、平田さんとの違いを問われた時に「彼とは根本的に違う」とその瞬間だけは眼光するどく言い放った中村竜治さんの、『神』的な強さに、新鮮さ以上の、また別の強い個性を感じた次第です。


以上、無抽選で参加させてもらったことへの謝意を込め、簡単までに。