【10月8日】「いつかまたあの場所で笑い合いたい…。」 | M☆S 君がいる 笑っている 私の帰る場所

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ハコや路上で,心に響くアーティストのライブを聴き,応援しています。
ライブでの素敵な出会いを楽しみにしております。

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東日本大震災復興支援
濱守栄子チャリティーコンサート
「いつかまたあの場所で笑い合いたい…。」
☆友情出演
速水けんたろう
今回のコンサートは、震災風化の防止と被災地(大船渡市・陸前高田市)への寄附を目的としており、収益金の全額を両市に寄附させていただきます。
●チケット ¥3,000
●時間(予定)
開場16:00
開演17:00
●場所
サンパール荒川
【同時開催】
「大船渡・陸前高田」写真展 (入場無料 ) 開催時間 13:00~20:00
後援:大船渡市 陸前高田市
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このワンマン話をHAMAちゃんから聞いたのは,3月14日の草加のアコス会館でのイベントの時でした。「サンパール荒川に1000人集めて,収益を全て大船渡市と陸前高田市に寄付したい」
とてつもなく大きな話。このとき,HAMAちゃんとは二度目だけど,思わずやっちゃったな~!と思いました。自分は多くの方を応援しているけど,1000人のホールは前代未聞の未知の領域(諸事情によりサンパール荒川の15倍のキャパのライブは視野から除外)でした。正直言って,大丈夫かな?と思いました。
この時点で,自分は参加するつもりではいました。もっともチケットを入手したのは,予定と見通しがついた1ヶ月前でした。
HAMAちゃんのライブに行くたび,一人ずつ,サポートが増えていく。HAMAちゃんを応援したい人が自然と集まるのですね。
ただ,フリーライブの時,自分がHAMAちゃんの「国道45号線」をいいと思っていても,近くを通る人が,聴く機会さえ放棄していることに,伝わらないもどかしさも感じました。
そして,三ノ輪駅から徒歩でサンパール荒川へ移動。
開演前だったけど,同時開催の「大船渡・陸前高田」写真展は大盛況。
色々なところから,これだけ多くの人が集まっている。
ある方は,震災の難を間一髪で逃れ,「生きていれば,こそここに来られた」みたいなことを語っている。
そして,草の根でみんな頑張ってHAMAちゃんを一生懸命,宣伝していたようでした。
自分はといえば,blogとfacebookにしつこいほど,「国道45号線」のPVを貼り付けただけ。
サンパール荒川は,最後列の席まで程よく満員。
気がつかなかっただけかもしれないけど,1000人近くもいて,他の場所でもよく見かける知り合いは一人もいませんでした。(北村優希さんは自身のライブが入ったため,参加できませんでした)
前から3列目に席を取れました。どうやら,HAMAちゃんのお父さんの限りなく近くに座っていたようでした。
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ほぼ定刻通り,始まりました。
最初は,陸前高田市長さんなどの挨拶から。
 普通なら,パーティーなどでは,最も早く終わってくれと思う時間だけど,壇上に立って挨拶した方々は,市民と等身大の市長で,市民生活を守り,いざとなったら市民の矢面に立つという意気込みを感じ,市民の痛みが分かっているように感じ,とても好感が持てました。(陸前高田の市長も大船渡の市長も復興とPRのため,時にはHAMAちゃんと一緒に全国を駆け回っています)

そしてたくさんの人の想いと夢を乗せてダンサーズと共にスタート。
踊りが苦手と言っていたHAMAちゃんは,かなり猛練習したようでした。
9月はチケットを売るためにストリートをしたいと言っていたけど,これだけ猛練習していたら,ストリートをやる暇もなかったでしょう。

おなじみの曲有り,「たかたのゆめちゃん」が登場したり。ゆめちゃんが,とてもかわいらしくて。
「ゆめちゃん」と「いわてまち焼きうどん」は,地域興しと,復興への熱き思いが伝わってきました。
もちろん,「わたまち」もRainy Daysで熱唱。
速水けんさろうさんは,「団子三兄弟」は歌ってくれませんでした。このイメージが強すぎるのでしょう。
アンサンブル荒川が登場したあたりで,雰囲気ががらりと変わりました。
クラシックとRainy Daysの融合。コンダクターが,Rainy Daysより後ろ。
かなり,呼吸を合わせるのが大変そう。
このワンマンの一つの楽しみは,どんな「国道45号線」が登場するか,とても楽しみでした。
アンサンブル荒川によって,クラシックのアレンジをした「国道45号線」
この間,客の数だけ,「国道45号線」への想いが,場内に響き渡っていました。
この歌自体,歌詞の中で震災を連想する言葉はせいぜい「つながらない携帯電話」ぐらいでしょう。震災を直接表現した言葉は使っていないけど,全体を通して,復興にかける意気込みが伝わってきます。
この曲を歌っている間,ずっと色々な想いが脳裏の中を駆け巡りました。
あの悪夢の日,一体自分は何をしていたのか? その後の日本,なんかおかしいよ。
自分が生まれて以来,最大のピンチと惨劇の日々だったかもしれないです。
戦争を経験した親の世代に比べれば,大したことではないかもしれません。
震源地が少しずれていれば,東京が被災地になったかもしれません。ほんの紙一重なのです。
そんなことを思っていたら,知らぬまにに涙があふれてきました。
「国道45号線」を聞いて,涙があふれるのは,自分だけではない。

そして,アンコール
HAMAちゃんの「ふるさと」のあと,唱歌の「故郷」の合唱。
文語の歌詞は,今の若い人には苦手なのかも。(自分も文語はよく分からないけど)
「山は蒼き故郷,水は清き故郷」
60年代には,公害列島日本でこの歌詞に白々しさを感じ,返せ,「山は蒼き故郷,水は清き故郷」と思い続けた。嫌な子どもだったかもしれないです。
そして今,その時とは,別の意味で,「山は蒼き故郷,水は清き故郷」が響いてきて,合唱の時,悔し涙であふれてしまいました。
そして,最後に二度目の「国道45号線」
今度は,HAMAちゃんの弾き語りで。上野駅でHAMAちゃんと出会ったときとほぼ同じです。あのとき,自分には「国道45号線」がとても響きました。震災後,ライブに行っても,心底楽しめなかったり,閉塞感を感じたことがありました。それを分かりやすい歌詞で「国道45号線」が払拭してくれました。HAMAちゃんの声がとてもきれいだったからかも知れません。
御上に頼っていても復興は遅れるばかり。このような草の根の復興活動が必要なんだと思いました。
自分のblogでHAMAちゃんの弾き語りの「国道45号線」が聞きたいみたいなことをつぶやいたかも知れません。それが伝わったのかなとも思いました。
「国道45号線」を歌い終わって終了した後,椅子からしばらく立ち上がれませんでした。
震災がなければ,HAMAちゃんと出会いなかったかも。そう考えると,切なくもなります。
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お疲れ様でした。「国道45号線」をずっと歌い続けて,全国区になってください。

以下セットリスト
最初はwith Dancersで
♪SECOND RING
♪僕たちのこと秘密にしよう
Rainy Days登場(HAMAちゃんのサポートバンド)
♪それでも、あなたは。
♪さよなら私が愛した人
♪もしも
♪私が生まれた町へ
(「団子三兄弟」でお馴染みの)速水けんたろうさんが登場
♪ひとりじゃないよ
♪未来のためのもの
たかたのゆめちゃん登場
♪たかたのゆめちゃん
♪僕等いわてまち焼きうどん連合歓隊
♪夢色時間
ダンサーズ紹介
アンサンブル荒川登場
♪僕はまた一つ夢を叶えるだろう
♪キセキ
♪国道45号線(Rainy Days+アンサンブル荒川)
アンコール
♪ふるさと(HAMAちゃんの曲)
♪故郷(唱歌)
♪国道45号線(ピアノソロ)