「ラピュタは本当にあるんだ!」

彼はそう叫び続けた。夢の島にたどり着いた幸福感や、父を信じなかった世間への恨み、犠牲になった人々やロボットたちへの哀れみといった全ての感情をこめて、彼はそう叫び続けた。15年もだ。

が、誰も信じてくれなかった。あの後、前にも書いたようにラピュタの浮遊する海域は政府によって前面封鎖され、ラピュタの存在はひた隠しにされた。今でもあのあたりは飛行禁止区域になっていて、半径10キロ以内に近づくと戦闘機が寄ってくるそうだ。付近で飛行機が嵐に遭って墜落したというニュースを聞いたことがあるが、たぶん撃墜されたのだと思う。

そんな状況だったので、ラピュタがあると言っても誰も信じなかった。パズーや私たちは確かにラピュタを見つけ、そこに降り立った。だが、何一つとして証拠のような物は持ち帰れなかった。写真すらもである。結局、彼の父親がやったこと以上には何も進歩がなかったのだ。彼にとってはショックな出来事だった。

シータのことを話そう。彼ら二人は、しばらくの間スラッグ渓谷で暮らしていたらしい。あの頃が一番楽しかったと、彼は私に語った。二人に別れが訪れたのは、あの一ヶ月後だった。パズーの働いていた鉱山が閉鎖されることになったのだ。彼は親方のダッフィに経済的な援助を受けていた。子供の給料では自分ひとりも食べていくことはできなかったのである。シータという食い扶持が一人増えたことで、家計はますます苦しくなっていた。

そのダッフィが家族を連れてロンドンに移ると言い出した。彼はパズーも連れて行きたかったが、就業予定先の工場の給料ではとてもパズーまで食わせる余裕はなく、またいくら鉱山労働の経験者とはいえ、15に満たないような子供を雇ってくれる場所もなかった。ダッフィにとっては苦渋の決断だったろう。こっちに来てから彼とも会ったが、パズーを置いてきたことを心底後悔していた。

ダッフィ同様、鉱山で働いていた者は皆失業者となり、ほとんどがロンドンやバーミンガムに移動した。家族も連れて行くのが普通だったから、渓谷はすっかり人気がなくなってしまった。誰も助ける者はいない。パズーが経済的に困窮しているのは誰が見ても明らかだった。そんな彼を見て、シータは人知れず出て行ったらしい。


(つづく)