仙台市の北部、泉区を走っていると目の端に違和感を覚える箇所がある。
その違和感の正体を求めてそちらをみると。。。。
いる!!!!
仙台大観音。
仙台市政100周年を記念して作られ、100mの高さがある。
真言宗智山派のお寺、大観密寺に立つ東北でも指折りの巨大仏。
鎌倉の大仏が台座も含め13.35m
ウルトラマンが40m
進撃の巨人の1番大きな巨人が約60m
エマニュエル坊やが130cm
というのを考えると、仙台大観音がどれくらい大きいかがわかるはず。
※仏像>大仏>巨大仏のサイズの境目や定義にかんしては、宮田珠己さんの名著「晴れた日は巨大仏を見に」に詳しい。
また、僕の過去のブログにも私的な定義を。
http://ameblo.jp/mr-tsubaking/entry-12264002183.html
僕も含め、周囲の巨大仏ファンも口をそろえるのが、「巨大仏は最初に見えた瞬間の感動が最高だ」ということ。
それについては、知人の巨大仏写真家、半田カメラさんもおっしゃる通り。
https://ameblo.jp/handa-camera/entry-12275171036.html
ザワザワした心のまま、足元まで近づいていく。。。
わかってはいたけど、やはり、デカイ。
日本国内、巨大仏はいくつもあるけれど、その中でも100mを超えてくると、デカイ以外の感想が出てこなくなる。
仏像を鑑賞するものとしては、衣紋がどうだとか、ここの作りが。。。といった能書きが出るところのはずだが、それを「デカイ」がすべて塗りつぶす。
そして、デカイというだけで充分すぎるほどの感動を与える。
それが100m超級のパワー。
仙台大観音は、胎内へ入り登ることができる。
そこにも僕の好きなものが現れる。
「螺旋」。
神秘主義的な一派には、宇宙は螺旋の形をしていると唱える一団もあったりするし、趣味や思想も、AとBを往復しているように見えて、実は螺旋的に上昇してるなという実感が僕の中にあったり。
そしてなにより、人間なんてーものは、細かく細かく細かーく分解して、遺伝子にまでしてしまうと、二本の螺旋でしかない。
大観音の螺旋の中で僕が螺旋について考えて、その僕の身体も螺旋でできている。
そんな螺旋の入れ子構造を思うとワクワクがとまらないし、人間の体内と同じ構造が大観音の中にも現されている(それを意図して作られたかは知らないけど)と思うと、ゾクゾクしてくる。
小さな窓だけれども、仙台市が一望できる。
太陽をバックにし後光を表現してみる。
周囲を散策するとこんなものが。
これまた僕の好きな「列」でもあるし、電気が発明される前の早押しクイズの解答者席かなーという妄想も膨らむ。
そしてトイレにはいると。。。
どう見ても罠としか思えない故障の仕方。
使える便器の前、絶対落とし穴あるだろ。
という具合に仙台大観音を満喫。
帰り際に後ろを振り返ると、雲もいい感じに出ているし、やはり街の景色との違和感がすごい。
感覚としては「地球から生えてる」という状態。
最後に僕なりの巨大仏のグッとくるポイントを。
「巨大仏は遠影に限る」。