乗客は「鮮魚」? 関西に謎の貸し切り列車 | モジログ

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先頭車両の方向幕に「鮮魚」の2文字――。朝の近鉄鶴橋駅(大阪市生野区)で不思議な列車を見た。開いたドアからは、大きな発泡スチロール製の箱を担いだ人たちが降りてくる。中に入っているのは、その日取れた魚だ。ピチピチの魚を運ぶ「鮮魚列車」。そこにはどんな人たちが関わっているのか。

3両編成の赤い鮮魚列車が鶴橋駅のホームに静かに滑り込んでくるのは、通勤客でごった返す時間帯。ホームに立っていた赤い顔のおっちゃんが1人、よろよろと駅員に近づいていく。朝からでき上がっているようだ。「この電車、乗ってもええんか?」「こちらは団体貸し切り列車ですので、一般の方はお乗りいただけません」。駅員が慣れた様子で毅然と答える。「不思議に思って聞いてくる人は多いですね」

鮮魚列車について近鉄の広報担当に問い合わせた。「朝は宇治山田駅(三重県伊勢市)から大阪上本町駅(大阪市天王寺区)まで、夕方は大阪上本町駅から松阪駅(三重県松阪市)まで運行しています」。伊勢湾など三重の漁港でその日の朝に水揚げされた魚介類を奈良や大阪へ運んで店舗や露店で売る「伊勢志摩魚行商組合連合会」のため、1963年に運行が始まった。

運行は日曜と祝日を除く毎日。往復1便ずつだ。途中、名張駅(三重県名張市)や大和高田駅(奈良県大和高田市)などに停車しながら、3時間近くかけて終点の大阪上本町駅に到着する。

実は、こうした商人や行商人の団体貸し切り列車は、70年代まで全国でいくつも見られた。例えば、関東の京成電鉄。野菜の行商人たちが千葉から東京まで野菜を運ぶための専用車両は「なっぱ電車」とも呼ばれた。

しかし、自動車の普及や行商人の減少を受け、鉄道各社が合理化を進め、80年代以降、行商専用列車は次々に姿を消していった。なっぱ電車も現在は通常の列車の最後尾1両だけを「貸し切り車両」として、東京方面に毎朝1日1便が運行しているだけだという。

伊勢志摩魚行商組合連合会の会長、刀根隆さんは毎朝、夫婦で三重の松阪から大阪府守口市の店舗まで鮮魚を運んでいる。中には大阪の豊中や能勢、兵庫の西宮まで通う鮮魚商もいるという。刀根さんは鶴橋駅から店舗までは自動車で向かう。

京阪守口市駅から歩いて数分、刀根さんが営む「伊勢屋」を訪ねた。伊勢屋は64年、刀根さんの父親である先代が開業した。鮮魚列車の運行開始の翌年だ。店頭にはサンマやアマダイ、カレイなど伊勢湾で取れた魚が並ぶ。事前に「仕事が忙しいから、お客さんが少なくなる昼過ぎに来て」と言われていたが、午後1時半を回っても、お客がひっきりなしにやって来る。

お客の一人が言う。「伊勢屋の魚は特別や。鮮度は抜群やし、ほんまにうまい。わざわざ伊勢の海から運んできてるっていうんは、たいていの人は知っとるで」。それを受け、刀根さんも言う。「20年ぐらい前と比べたら売り上げは3分の1ぐらいに減ったよ。でも、この店は意地でもやっていく。まだまだこれだけのお客さんが来てくれるんだから」

鮮魚列車の乗客も減少が続いたが、まだ20人から30人が毎朝、鮮魚列車を利用している。心意気あふれる伊勢の鮮魚商たちと、彼らの魚を待つ人たちが、鮮魚列車を半世紀近くも走らせている。

出典:日本経済新聞