今日も元気だごはんがうまい | 夢が実現するしくみがわかれば、私たちはもっと自由になる  君塚由佳

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子どものころ、両親は
食べ物の好き嫌いを許しませんでした。

にんじん、ピーマンはもちろん
ウドの酢の物や 卵の黄身の味噌漬け
大根おろし、セロリなんて
子どもが食べないだろう おかずも普通に出て
食べきるまで席を立てませんでした。
きょうだい3人で 何時間もチマチマ 箸でつついていて
夜10時を過ぎて「10時のオヤツも追加する?」と バナナを持った父に笑われたのを思い出します。

小学校の友人のクラスでは、
担任の先生が給食を食べきるまで
終わらせなくて
昼休みも1人でポツンと給食を食べてる子がいて
(昭和の頃は、こういう風景は 珍しくなかったですねぇ)

私の場合は 毎日
学校ではなく家庭で「お残しは 許しませんで‼︎」なわけでした。

まあ、それがいいか悪いかは 議論は別にして
おかげさまで 食べ物に好き嫌いは まずないです。
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箸の進みが 早いもの•遅いもの の違いはやっぱりあります。
ですが、口に入れられないものや 飲み込めないもの、
おいしく食べられないものはありません。

結婚して 田舎に嫁いだら(田舎といっても関東圏だけど)
大舅が よくスズメを捕まえて 夕飯に出して来ました。
舅は、私の妊娠がわかると 沼に鯉を釣りに行って 
何度か鯉こくを作ってくれました。
淡水魚特有の泥臭さと、小さな骨だらけの汁料理でしたが、優良妊婦として検診では褒められ、息子2人が小学校に入るまで母乳は出続けました。
鳥インフルエンザが大騒ぎになった頃にも
夫は鴨猟に出かけて 食卓に鴨が登りました。
その当時の仕事が途上国の開発援助だったので
出張先のアジアで ごちそうなんだろうけど
正体のよくわからない料理もたくさん出てきました。
(日本じゃ特別天然記念物のカブトガニが、タイでは唐揚げになって出てくる衝撃)

どの時も私のために用意された料理に
「私は 食べたくないし、食べれません」と言わずにすみました。
それは 本当にありがたいと思っています。

食べることは 生きること。
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モデルさんは 摂食障害をもっている人がちらほらいます。
愛情に飢えていて、食べることで飢えた気持ちをなぐさめているように
見える姿も見え隠れします。
空腹でもないのに食べてしまうことや、
食欲がコントロールできなくて イライラしているモデルさんも。

アレルギーに関しても 私は医師ではないし
なんともいえませんが、
精神的な要素が原因としてあるなら、
変わることもあるかもしれません。

舌がピリピリ痛くなったり腫れることがあって、
大したことないので まあ、そのうち原因がわかるといいなと思っていたら
たまたまアレルギーの検査をしたら 大豆に反応しました。

実家の親に「私、大豆アレルギーだったみたい」と話したら
実は両親は知っていて、
わかっていて なおかつ食べさせていたことで
大げんかになったことがありました(⌒-⌒; )

なぜ両親はわかっていて食べさせたのか
またその話は この次に。
私のアレルギーは 大豆のほかに ハウスダストもありましたが、
今は何にも反応しなくなりました。

仕事をしながらパソコンの前で食事をとっていたら
「エサみたいな食事してると、体型も家畜みたいになるのよね」と
いうボスの苦言には
頭を殴られるくらいの衝撃を受けました。

食べることは生きること。
しみじみ思います。

今日 誰と どこで 何を どう食べることは 
どんな生き方をするのかということ。
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