『芸術の規則』の中で、あなた(ブルデュー)は、フランスで文学場の自律性が形成されるのが、1848年の二月革命の敗北の後であると述べている。政治的革命があって、敗北し、つづいて、近代的な自律的文学場が形成された、というわけです。
日本においても、事態は全く同じで、というのも、「言文一致体」という近代日本の文学言語の成立は、政治運動であった「自由民権運動」の後の時期に来る。
しかも、江戸の言語で書かれていた「政治小説」に抗する運動として、近代日本語を作りだした「言文一致」運動は生まれたのです。
この時代は、また、新聞メディアの発達期でもあって、新しい文学言語は、メディアを通して支配的なものとなったのです。
このように、近代日本文学の起源そのものに、〈場〉、〈象徴闘争〉、といった一連の問題が絡んでいるといえるのです。

  石田英敬「文学場の生成と構造」『文学』