果たして爆弾三勇士は天皇陛下万歳と叫んだのか(上野 英信『天皇陛下万歳 爆弾三勇士序説』) | 灰色の脳細胞:JAZZよりほかに聴くものもなし

果たして爆弾三勇士は天皇陛下万歳と叫んだのか(上野 英信『天皇陛下万歳 爆弾三勇士序説』)



上野 英信
天皇陛下万歳―爆弾三勇士序説』(筑摩書房 1972)

唐突に一本の電話が作者のもとにかかってくるところから本書ははじまる。上野が爆弾三勇士について調査を進めていると聞いた肉親が、それを拒絶するためにかけてきたのであった。なぜ彼女は三勇士について触れられたくないのか。三勇士といえばとりあえずは「軍神」である。それを顕彰までいかずとも、調査によってその実像を明らかにすることが、かくも激しい否定の感情を肉親に喚起するとは。これにより、自分が三勇士について無知であることを知らされる。そして本書を読む進めるにつれ、三勇士という「神話」の一端を垣間見ることができる。

爆弾三勇士とはいうまでもない。上海事変のさなか、蒋介石軍が築いた鉄条網を爆破せんと江下武二、北川丞、作江伊之助各一等兵が突入し、自らも爆死したことが喧伝され構成された神話である。いわば彼らは「『三勇士』にさせられた」(歩兵第24旅団工兵「『爆弾三勇士』のほんとのこと」)。

その神話の感染力はただごとではなく、全国から巨額の弔意金が集まり、映画に音楽に絵画に彼らの「勇士」ぶりが作られてゆくわけだが、そのなかでも彼らが死の間際に「天皇陛下万歳」と言い残したということが特に強調された。果たして爆弾三勇士は天皇陛下万歳と叫んだのか?

実はそれが事実であるかは大きな問題ではない。真相と思しきものは確かに明らかになるのだが、問われるべきはその文言を必要とした大日本帝国の様相である。

三勇士が爆発的に人気を博しているとき、ひとつの噂が囁かれるようになった。三勇士は部落出身であると。おそらく本書以外でそれに触れたものは存在しないのではないか。少なくともわたしはそれを本書においてはじめて知った。これが復刻と絶版を繰り返すのもそのためではないかと邪推してしまうのだが、肉親の拒絶がこの噂に関係していることは間違いない。

上野は特定の戦死者のみが英雄としてもてはやされる事態への違和を指摘する。当時から戦死者はすべて「勇士」であり、なぜ彼らだけがかくももちあげられるのかという疑問は存在した。そういった状況を振り返りつつ、彼らが部落出身者であるがゆえに三勇士として顕彰することで、「部落」民を臣民へと編成しようとする帝国の意図があったのではないかと、作者は暗示する。

この点は大事なので強調しておきたいが、彼らが部落出身であるかは定かではない。本書でも事実とされているわけではない。しかし三勇士が部落出身であるということが、当時のそういった面々に勇気と自負を与えたことも事実なのだ。「部落出身であろうと、立派に臣民として、いや普通の臣民以上に帝国に献身できるのだ」と。

われわれは神話発生をたどりながら、日本の暗部へと到達する。本書ではこの点については証言や一次資料を引いてくるのみで、作者自身の積極的な意見は開陳されない。しかし、三勇士が部落の不満を緩衝するための、いわば国民国家編成の道具として意図的に選択されたものであることを、本書から嗅ぎ取ることができる。無為の死は耐えられない。しかし過剰な物語を必要とするわけではない。わたしは上野が三勇士から、帝国への分析に進まなかったことを高く評価したい。三勇士を対象として歴史学的な何ものかを生産することも可能だったはずだ。しかし彼らをこれ以上の物語、これ以上の媒介として取り扱うのを拒否すること自体が、帝国への最大の批判なのだ。

最後に、同部隊の一隊員の手記「『爆弾三勇士』のほんとのこと」から、彼らの死がいかなるものであったかを引いておく。しかしながら一読すればわかるように伝聞に基づいて書かれており、むしろ見るべきは現地の三勇士および上官に対する反応である。

「鉄条網まで三十三米の距離がある所を破壊地点にきめて作業にかかつたが何分敵が近いので他の班も失敗したそこで破壊筒を鉄条網につきこんで導火線に火をつけるやうなグズグズしたことではうまく、いかないのでこつちから導火線に火をつけて行くことにしたさうです
 軍隊の導火線は完全なので途中で火の消へるやうなことはないから長くしてよいのだが内田伍長は三十サンチバカリ短く切つたそ[ママ]うです。これでは重い破壊筒を三十三米も持つて行つたら逃げて帰る時間があるかどうかわからないのだがそれでも急いで走つて行つてスバヤク帰つてくる予定だつたさうです
ところが三人が出かけて十五米も行つたことつまづいたか弾丸にあたつたかして一人が倒れそれで三人が皆倒れたさふ[ママ]です。よほどうまくいつても帰つて来る間があるかどうかわからないのに途中で倒れたりなんかしてはもう駄目です三人のものはそのまゝ逃げて帰りかけたら内田伍長は『なんだ! 天皇のためだ国の為[ママ]だ行け!』と大声でどなりつけたので三人は又引かへして破壊筒をかゝへて進んで鉄条網へ着いたか着かぬに爆発したのださうです
三人は内田伍長に殺されたやうなものです。
戦争に行かない人にはわかりませんが一寸命令に背いたとか命令を受けて少しグズグズして居たとかで銃殺された例が沢山あります 三人もそれを知つてゐたので同じ死ぬならと思つて引返して進んだのでせふ
全く可哀相でなりません
それて[ママ]上海の兵卒は皆三人に同情してゐます 戦地にゐるものは尚更のこと上の方の者をよく思つてゐません」

★★★★☆