牛に牽かれてゼロ戦発進:吉村昭『零式戦闘機』 | 灰色の脳細胞:JAZZよりほかに聴くものもなし

牛に牽かれてゼロ戦発進:吉村昭『零式戦闘機』



吉村 昭
零式戦闘機』(新潮文庫)

吉村昭は、司馬遼太郎を超えている歴史小説の書き手だと思うのだが、如何せん司馬のごとき国家観などが強烈に前面に出ることがなく、地味な印象のためか熱烈なシンパがいるという話も聞かない。

しかしこのひとの題材の選択はすばらしく、高野長英から水戸天狗党、関東大震災やら陸奥爆沈の謎、入植者と羆の苦闘、戦後のトンネル工事、和田寿男による無断臓器移植問題などそれこそ実に幅広く、常人ではなかなか手を出さないようなものをもってきては、見事に料理してしまう。

かと思えば肉親の癌による死、こみ上げる悲しみを、あの淡々とした文体で描きながら、肉親が死ぬとはどのようなことかと読者に問いかける『冷い夏、熱い夏』など、生半可な「純文学」作家が裸足で逃げ出すような傑作もものしている。一言でいって手練である。

本書はタイトルどおり、零式艦上戦闘機の開発過程から実際の戦闘の模様、戦争末期の勤労学徒の様子などを総体的に描いた1冊。

まず冒頭のいくつかに分解したゼロ戦を牛で運ぶシーンで度肝を抜かれる。誕生からしばらくのあいだ無敵を誇ったそれが、まさか牛で飛行場まで牽かれていくとは。これは道路が整備されていないこと、密集した家屋などの問題による苦肉の選択であり、決してトラックや列車がないわけではない。牛が最良なのだった。

このほとんどシュールレアリズムのごとき取り合わせは、世界最高峰の戦闘機を生み出しながら、道路整備もままならない、日本という国のアンバランスさを見事に示し、この冒頭の風景だけで戦時下の日本の危うさを感じ取ることができる。

全体としてみれば、吉村の標準的な作品であると思うが、この事実を最初にもってきただけでも本書の価値はあまりあると思う。そのあとの詳細な開発過程、三菱と海軍との戦いにも似たやり取りも読ませる。

牛に牽かれたゼロ戦の風景を、構成を多少犠牲にしてでも冒頭にもってくる吉村の意志。ここから我々は何を読み取ればよいのだろうか。

初版:1968年7月 新潮社
★★★★☆
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