「学校の先生」について思うこと・あれこれ | 徒然森沢屋

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思ったこと・感じたこと・日々の出来事などをゆるゆるまったりと。

小学校で支援員をしていた時の話。

各学年1クラスずつしかないような田舎の小学校でした。
高学年のある男の子は、可愛い外見とは裏腹に、色んな問題行動がありました。
それも、本人が表立って何かするんじゃなくて、人にやらせるんですね。
自分で何かするとしても1人ではやらずに、必ず誰かしら巻き込んでる。
だから、その子が1人で叱られる、ということは滅多になかったようです。

学校側も問題視はしていて、折に触れて親御さんに連絡したりしてましたが、あまり強く怒る親御さんではなく。
とにかく猫っ可愛がりで、悪いことをしたとしても、それすら可愛いと思ってるような(それこそ、犬や猫の悪戯を「駄目じゃな~い」なんて言いつつニヤニヤ見てる感じ)親御さん。
そうなると…まぁ、子どもは当然、親を見下すし、周りの大人のこともナメますよね。
困ったことに、そうした考えは、他の子どもにも伝染するんです。

ある時、その子が友達と廊下を移動しながらキャッチボールをしているのを見かけて、注意しました。
普段ならいきなり強くは言わないんですが、数日前に同じようなことをして他の先生から大目玉をくらっていた子たちなので、意識して強めに。
「廊下でボール遊びしない!」くらいの言い方だったと思います。
子ども達は当然面白くない。やめたものの舌打ちして行こうとします。
「待ちなさい!注意されてその態度は何?」
多分、あの子たちは、私がここまで怒るとは思ってなかったんでしょう。自分で言うのも何ですが、優しい先生でしたから。
しつこいなって思いながら、叱られたことにビビりながら、精一杯虚勢を張って「すいませんでした」と吐き捨てるように言って逃げて行きました。

自分のやった対応が良かったとは言えません。
でも、その時の私には、これが精一杯。
あの子たちは私が見えなくなったところで「あのババァうぜえ」くらいのことは言ってたでしょう。
別にそれは構いません。
ただ、学校でいくら教員が口うるさく言っても、家庭で親が何も言わなければ、何も変わらないんだよなぁ…と思ったら、注意をしたこと自体虚しく思えてしまって、でも虚しいと思ってしまったことも恥ずかしくて、しばらく悶々としてしまったのです。

若干の例外はあるでしょうけど、学校の先生というのは、普通は受け持ったり関わったりした子ども達のことをあれこれ気にかけます。
問題があれば、保護者に連絡するなどの働きかけをします。
ただ、それを受けた保護者が何もしなければ…それ以上のことって、そうそう出来ないですよね。
例えばA君がB君に嫌がらせを続けているとして、そのことについてB君の親御さんから相談があった。担任は事実確認をしたり、A君の親御さんに連絡したりと、問題の解決のために動きます。
でも、例えばここで、A君の親御さんが「あー、すいません、よく言って聞かせますから」とか言ってあしらってしまったら、それまでです。
何もしないから、何も変わらない。
ここでね、「うちの子がそんなことするわけないですよ。B君が先に手を出したんじゃないですか?」とか言ってくる親なら、まだ発展が見込めますけど、「はいはい、わかりましたー」で済ませてしまう親御さんだと、それ以上は突っ込みにくい。

結局のところ、いくら学校側が頑張ったとしても、最終的な決定権は家庭にあって、親御さんの考え一つで学校側の頑張りが報われるか無駄になるかが決まります。
そして、仮に報われたとしても、家庭で解決したという意識が強いでしょうから、学校が評価されることは滅多にない。
まぁ、個人的に感謝されることはあるかもしれませんけどね。
フェアじゃないよなー、あれこれ気を遣っても報われないよなーって、先生方を見て思ったものです。

もちろん、気遣いの方向性がズレてるとか、様子を見てばっかりで実際に何かするってところまで行かない先生もいらっしゃいますが。

あ、上のA君・B君の例で、2人が別のクラスだったりすると、学校側の問題で話が進まないかも。
担任の縄張り意識ってものがあるので…A君の担任が、他の人に干渉されることを嫌うタイプの先生だと、子ども同士で解決をとか言いそう。

我が子の話だけを鵜呑みにしていきなり相手の家に怒鳴りこんじゃうのは駄目ですけど、余りにも進展がないなら、相手の親を学校に呼び出してもらって、担任同席のもと、親同士で話し合うってのは、一つの方法だよなーとか。

最近、友人の息子さんが学校でトラブルに遭ってるようで、断片的に聞いたお話から、つらつらと思ったこと、思い出したことを書いてみました。
まとまりがなくてごめんなさい。