今回のブログは、「三重県にJリーグチームは誕生するか!」第3弾となります。


前回のブログでは、三重県北勢地域のスタジアム候補となる競技場について紹介しました。


【前回ブログ】

・三重県にJリーグチームは誕生するか!②~三重県北勢地域/スタジアム条件はクリア出来るか~

http://ameblo.jp/mori-tomohiro/entry-11974650869.html


 今回のブログでは、幻の四日市サッカースタジアムについて触れていきたいと思います。


 今から、22年前の平成5年にプロサッカーリーグの「Jリーグ」が開始しました。


その1年前の平成4年2月の新聞紙面に以下の記事が掲載されました。



 同年の全国高校サッカー選手権大会で四日市中央工業高校が初優勝を果たしました。


 これを契機となり、四日市市に当時東海地区最大のサッカー専用スタジアムの建設構想が打ち上げられました。


 四日市市は平成4年度の当初予算に「3万人サッカー場」に関する『四日市中央球技場基本調査費』500万円を盛り込みました。


 当時の読売新聞の記事を読むと、『3万人収容のサッカー場』が四日市市に誕生するかの様な書きぶりです。


 一般的に調査費が予算化されるということは、そのプロジェクトを進めるための理由付けを行いたいという意向が含まれており、行政は当プロジェクトに対して積極的な姿勢であると捉えることが出来ます。


 しかし、現実として『サッカー場』の建設は行われませんでした。


 市が『3万人サッカー場』構想を明らかにし、平成4年度当初予算に500万円で「四日市中央球技場基本調査費」を盛り込んだ後に何があったのか。


 20年以上前の話ですので、詳しい資料はあまり残っていませんでしたが、上記の記事の3年後の平成7年に「野村総合研究所」が取りまとめた『サッカー・ラグビー場に関する調査研究報告書』をスポーツ課から入手することが出来ました。


 この報告書で、「本市では、現時点でJリーグホームチームを誕生させる環境には至っておらず、ソフト、ハードの両面においてJリーグが示す全ての参加条件を直ちにクリアー出来る状況にはない。」とし、多額のJリーグチーム運営経費やスタジアムの採算性を理由に挙げ、短期的にはサッカー場建設は不可能と結論付けています。


 当時、四日市市はコスモ石油サッカー部という有力なチームを持っており、四日市市全体でも地元にJリーグチームをという大きな盛り上がりを見せていましたが、行政側の協力体制の問題、法人化の問題、スタジアムの問題等いくつかの大きなハードルをクリア出来ず、コスモ石油サッカー部の解散とともにその動きは消えていきました。


 23年前の『3万人四日市サッカー場構想』、私は当時まだ14歳で詳しいことは知りませんでしたが、実現していれば・・・と思います。

 
 調査を進めていく中で感じたことは、最後は政治決断だったということです。


当時政治家であればと、強く感じます。

 20年以上の時を超えて、再び『四日市市にJリーグチームを!』を掲げて行動していきたいと思います。



【過去の関連ブログ】

・三重県にJリーグチームは誕生するか! ~現状整理/四日市市は・・・~

http://ameblo.jp/mori-tomohiro/entry-11948340093.html


・三重県にJリーグチームは誕生するか!②~三重県北勢地域/スタジアム条件はクリア出来るか~

http://ameblo.jp/mori-tomohiro/entry-11974650869.html