2014年に入り3回目のブログになります。


前回、前々回と2013年の振り返りでしたので、実質的に今回が2014年初めてのブログとなります。


 いつも、年初、年度始めには、『雑感』というテーマで、森智広の議員としての考え方や想いをブログに綴っています。


《参考》

■森智広が考える政治家像

http://ameblo.jp/mori-tomohiro/entry-11127024277.html


■議員の可能性について考える(議員は何が出来るのか)

http://ameblo.jp/mori-tomohiro/entry-11442397332.html


■議員の覚悟ある意思決定とは

http://ameblo.jp/mori-tomohiro/entry-11503370137.html


 今回のブログのテーマは、『議会審議に情は必要か【良識ある議員を目指す!】』です。


私が、大切にしている言葉の一つに『良識ある議員であり続ける』という言葉があります。


では、良識ある議員とはどの様な議員なのか。


 私は、「正しい事を正しい、間違った事を間違っていると言える議員」だと認識しています。


 当たり前の事の様に思われるかもしれませんが、これまで議員として様々な局面を経験して来て、このスタイルを貫く事がどれだけ難しく、大変な事か身をもって感じています。


 「様々な利害関係者の存在」、「議会における事なかれ主義の空気」、「人間が持つ情」等、議員の意思決定に影響を及ぼす色んな要因が存在するのです。


 私も人間ですから、それらの要因に屈しそうになる事もあります。


その時はいつも以下の事を自分自身に問い掛けるようにしています。


・間違った事や理不尽な事について、妥協無く徹底的にその事について追求出来ているか。


・様々な利害関係者が存在する中で、勇気を持って闘う事が出来ているか。

 

・議会審議において、大きな流れに反してでも自らの意思・意見を主張する事が出来ているか。


・情に流されず、四日市市の将来の利益の為に判断・行動出来ているか。



 前段で、議員としての意思決定に影響を及ぼす要因として「人間が持つ情」という項目を挙げました。


 議会審議において「情」は極力排除していかねばなりません。


 限られた予算の中での審議ですので、あくまでも「今の四日市市にとって相対的に必要なものかどうか」が判断基準とならなければいけません。


 しかし、多くの議員は議会の審議において「人間が持つ情」に流されます。


「可哀想だから」、「頑張っているから」を理由に予算が可決されていく。


 もちろん「弱者の救済」、「努力する者の支援」という視点での施策は必要です。


ただ、それらの審議で、客観的な判断を忘れてはなりません。


 「情」は客観的判断を鈍らせます。


予算審議に「情」は不要だと書くと、血も涙も無い議員だと思われる方もいると思います。


しかし、私としてはそれが出来る議員が「良識ある議員」であると思います。 


 「情」に訴える者は救世主として市民から支持されるかもしれませんが、客観的判断無き意思決定は四日市市を間違った方向に誘導する事になります。


 嫌われても良いという強い覚悟を持って、議員は行動すべきです。

議会審議は、自らが持つ「情」との戦いでもあります。


 2014年は、自分自身に打ち勝つことの出来る議員を貫いていきたいと思います。