救急車で運ばれたまま、しばらく更新していませんでしたが・・・




父は、2012年10月 5日 13時14分、64歳にて永眠いたしました。




ブログを通して、励ましてくださった方、支えてくれた周りの人たちには感謝でいっぱいです。


本当にありがとうございました。





最後の最後まで、父は生きることを諦めませんでした。




亡くなる数日前、動けない状態で、意識が朦朧としている中、


父は何かを探すように手を動かしていました。


何がしたいのか訪ねると、



「味付けをみる。」





他にも



「店に行くから車の鍵をもってこい。」



「オムライスを作る」



「盛り付けしとけ」




ベッドで横たわっているのに、頭の中はずっと仕事でした。




また、お祭りごとが大好きな父は、


10月27日・28日に開催される市の行事に出店するのを、とても楽しみにしていました。


去年の様子



3ヶ月も前から意識がなくなる直前まで、何を作るか、どんな肉を使うか、楽しそうに考えていました。



動けないし、しゃべるのもやっとなのに



「肉はオレが手配する!」




「オレが決める!」


「オレがやる!」


・・・のまま旅立ってしまったので、何をどうすればいいのか分からないままですが。。。



でも、この行事への出店は、父が楽しみにしていた事なので、どうしてもやり遂げたくて、


周りの方に助けていただいて、母と妹と出店することにしました。




どんな状況でも、”強く・明るく・楽しく” 生きることを、


父の姿から教えてもらった気がします。



葬儀の日は、ちょうど父の実家のお祭りの日でした。


入院中ずっと「祭りに行きたい」と言っていた父。


ゆっくりお祭りに行けたかな??




父さん、ありがとう!


そしてお疲れ様でした。


またね!パー






  

  













私がブログをサボってる間に、状況が少し変わりました。




父が腰を骨折した後、リハビリを経て、無事退院することができました。


ただ、腰を痛めて動かない入院生活だったので、体力がなく、


仕事は少し顔を出すだけ、あとは家で横になっていました。





退院して少ししてから変な咳が出るようになりました。



妹曰く 「ステントが飛び出しそうな咳」 です。





これが、だんだん強くなり、喘息のように「ヒューヒュー」という音もでるようになりました。




そして、昨日。




明け方に、激しく咳き込み、血痰がでて、呼吸が困難になったので


救急車を呼び、病院へ行きました。



(意識はあるので、私が運転して連れて行こうとしましたが、


本人に希望により救急車になりました。


後で聞いたら「もう死ぬんだ」と思ってたそうです)





担当医ではないので、ハッキリとした診断は出てませんが、


これも放射線治療の影響が、気管支に出ているのだろうという事でした。





とりあえず、咳をおさえるために、モルヒネ系の飲み薬(名前は忘れてしまいました)を飲んで、


昼ごろには咳も痰もおさまりました。






「救急車はクッションが悪いな!!」 


「メシは出るのかな??」


「プリン買ってきて!」



などと言えるほど、落ち着いて(?)います汗






今日、父と担当医で話をしてます。



先ほど父から



「明日、退院、転院になりそうです。 詳しくは夕方に。」




とメールが入ったので、


仕事が終わったら聞きに行ってきますパー






















また久しぶりの更新になってしまいました汗




前々回くらいの記事で、父が「咳き込んだ拍子に腰を痛めた」と書きました。



1週間経っても痛がっているので、担当医に



「まだ痛い??

 

 おかしいねぇ。。。


骨に転移してるのかもしれない」



と言われ、検査をすることになりました。




PET検査だと、放射線治療をしているので基準の照射量を超えてしまうので


「骨シンチ」という検査をしました。



これは微量の放射性物質を使って全身の骨を見ることができます。


骨折や、癌の転移など異常のある部分が黒く見えるそうです。



こんな感じ(父ではありません)↓



あねのブログ




結果、ぎっくり腰でも転移でもなく、


第三腰椎の圧迫骨折でした。




年齢的に、骨粗しょう症(←コレが言えない!(> <))もあるし


放射線治療や抗がん剤の影響で、かなり骨がもろくなってるようです。





一難去ってまた一難。


癌そのものは小さくなったのに・・・いろいろ起きます。