魁!!クロマティ高校を読んでいて真っ先に気付くことに、
作者野中の名前に対するこだわりというものがあります。
主人公やその友人たちへのフルネームの紹介などがそうですが、

一方、名前のない人やあだなのない人なども登場します。
登場するだけではない。
この名前がどうたらこうたらというエピソードの頻度がものすごく高いんです。

全17巻 全335話中 何回もの名前ネタがあります。
野中はなぜそんなに名前にこだわるのか、、

連載当初からクロ高で延々続く名前ネタに、「北斗の子分」についてがあります。

この話には、最初の雛形として、
「前田に不良としてのあだなが無いの巻」というのがあり、
多分そのネタをブラッシュアップして出来上がったものだと思うのですが、

ざっとこんな話です。
全国の高校制覇をもくろむ北斗という富豪の息子の部下を自認するヤツなんですが、
登場当初に名乗るタイミングを逸して以来、
あらゆるシーンでその名を言わせてもらえない人です。

結果、「北斗の子分」で落ち着いてしまっているのですが、、
あるとき、彼は北斗軍団を辞めざるを得ない事態に遭遇します。

そのときの林田のコメントが振るっていて、
「早く誰かの子分にならないと、お前の名前がなくなるぞ」です。

この彼は、いつのまにか「誰々の子分」という属性になってしまったわけです。
これは一体彼の名前なのでしょうか、、

一般的に言語学的に名前というのは名詞というジャンルに属します。
そして人物の名前のようなものは固有名詞、
そして人間とか馬とかいうのは一般名詞と区別され、
名詞には表示機能があるといわれております。

つまり、南方系の黄色い紡錘形の曲がった果物のことを→バナナ、というとか、
炭と粘土を焼き固めた細い芯を木で巻いた筆記具のことを→鉛筆、というとか、
そういった感じです。

そして極めつけは、アザラシの○ちゃんが、北斗と名づけられるの巻です。

なぜ、クロマティ高校在学生はここまで名前にこだわるのでしょうか、、

名前とは何か、について究極問い詰めた人がいます。

ゴットロープ・フレーゲ  
この人は、人の話す言語や、そこから生まれる概念や論理を定量化する。という物凄い仕事をした人なのです。例えば、コンピューターの論理回路(NANDゲート等)の原点になるような論理記述の体系をつくりだして、アリストテレス以来の論理学の体系を構築した人です。
建築エコノミスト 森山のブログ

A=「明けの明星(フォスフォラス)」とB=「宵の明星(ヘスペラス)」は、異なる固有名詞だが、 → A≠B  
実際は同じ金星のことである。
となると、「明けの明星は宵の明星である。(フォスフォラスはヘスペラスである。)」
という文章は、成り立つのか → 
A≠BだがA=B

つまり、この二つの言葉は同じ「金星」という意味だが、夜明けに輝くか、夜更けに輝くか、によってその名付け方=意義が異なっているから、別の言葉でありながら同一性をもった記述があり得る。と考え、ここから固有名詞に、意味と意義の二つの作用を区別しています。

バートランド・ラッセル
20世紀の巨人の一人ですが、数学から哲学、社会学から社会活動まで幅広い知識と活動領域。一般にはアインシュタインと反戦運動をおこなって
有名な人です。
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「アリストテレス」という固有名詞は、「アリストテレスはプラトンの弟子である。」とも「アリストテレスはアレクサンダー大王の先生だった。」とも「アリストテレスは自然科学の祖である。」とか言われているが、、
「アリストテレス」という言葉はある人を指すが、それだけでは内容を指示していない。
アリストテレス=プラトンの弟子でも、アリストテレス=
アレクサンダー大王の先生でも、アリストテレス=自然科学の祖だけでもない。
歴史上なんもやってない、誰も知らんおっさんとしての、同姓同名の「アリストテレスさん」も数百年間に何人もいただろうし、
というわけで、固有名詞とは、ある特定の人物、モノ、を指すが、直接指示するのではなく、たくさんの記述を集めた集合の束の短縮形としてとらえるべきだといいました。

これに対し、
「う~ん、どうなんだろう、、」
と言った人がいます。

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ルードヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン


実際には名前について考えたというよりも、言葉の機能について考えた人なのですが、
元々は哲学的命題である「存在とは何か」とか「認識とは何か」とかいった、近代哲学における中心的命題について画期的な見解を示した人なんです。

その画期的命題とは、「そんなことは考えんでもよろしい」、
もしくは、「そんなことを考えてしまったことで哲学はおかしくなった」、
あるいは、「そんなことを考えなきゃいけないというのが哲学の根本的な勘違いなんだよ」、
といったような、それまで真面目に考えて来た人たちに、
煮え湯というか冷や水を浴びせかけるような答えを導き出した人なんです。


この人の最初の超かっこいい見解とは、
「語りえぬことについては沈黙しなくてはならない」 です。


ちょっと、なんていうか、ニヒルというか、
哲学におけるシャア・アズナブルといった印象ですね。

「見せてもらおうか、西洋の哲学における命題とやらを」です。


見た目は、F1レーサーのミハエル・シューマッハーみたいな感じですが。

「論理哲学論考」という本によって、大きくは次の7つのことを言い切っています。

 1 世界は起こっていることの総体である。
 2 起こっていること、すなわち事実とは、事態(事柄)が成立するということである。
 3 事実の論理的像が思考である。
 4 思考とは意味を持つ命題である。
 5 命題は要素命題の真理関数である。
 6 真理関数の一般的な形式は、〔 p,ξ , N(ξ)〕 である。
 7 語りえないことについては、沈黙しなければならない。


ぜひ、池田秀一さん=シャア・アズナブルの声で読んでみてください。

とここまで書いて、また続きを書きますね。