中央公論社が出している中公文庫、みなさんもなんらかの作品で数冊はお持ちなんじゃないかと思います。
この表紙カバーをはずしたときに現れる茶のクラフト紙になにか鳥のようなマークがあるのをご存知ですか。
鳥人間のような、垂直に飛ぶ鳥がちょっと横を向いて、胸にはなにやらラテン語のような文字がありますね。
建築エコノミスト 森山のブログ
この絵は鳩をイメージされてデザインされたそうなんですが、どうも一般的に考えられる鳩のイメージ、平和とかピースとかそういったものとは異なっている。
そういった予定調和なものと完全に一線を引いた、むしろ猛禽類の鷲のような印象を覚える強いデザインです。

これ、実はある、古今無双の、建築家の方が描いた作品なんです。
その人の名は
白井晟一(しらい せいいち)

今日まで、知る人ぞ知るとか、異端のとか、伝説のとか、孤高のとか言われつづけて
日本の戦後建築の歴史の中で、
主流派より、まさに「敬して遠ざけ」られてきたような人なんです。

戦後の混乱焼け跡から景気が回復し始めた復興期は、さまざまな産業が勃興するだけでなく、文化的なジャンルでも多くの新しい作家、新しい思想、新しい表現、新しい理論というものが沸きおこりました。

建築においてもそうです。街の復興のためのインフラ工事や必要に駆られて建設される多くのビルディング、それらに技術的に試みられる新工法や物理的な産業資本ということだけでなく、戦後の日本の建築文化をどのように捉えるのか、といった無形の文化や思想テーマでも多くの議論が重ねられました。

その中で、「縄文弥生論争」と言われる大きな論争があったのです。

戦後日本建築界のエース、そして四番バッターといえば言わずと知れた丹下健三先生ですね。この先生が、モダニズム建築と呼ばれる合理的でありながら洗練された造形の美しさを追求するときに弥生文化を引き合いに出されていた。
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それは高床式住居や伊勢神宮から桂離宮にまでみられるような、整然と整えられた柱や梁のプロポーションの美学として提示されたのだと思います。その代表的な建築は香川県庁舎ですね。この建物のすばらしさは、こんど機会をみてご紹介したいと思っています。

こうなると、当然なだれを打って、日本中オールタンゲの公共建物。市民会館とかは、打ち放しコンクリートでは難しい棒状の型枠を優秀な大工の職人芸でクリアして、木造建築のように柱梁を出して、バルコニーは欄干みたいなコンクリート手すりを設けて、擬似タンゲ風味のものだらけになりました。なんせタンゲがやっているんだから!

そのように盛り上がっていた日本の現代建築の潮流に
忽然と現れ一石を投じた「縄文的なるもの」という必殺必中の論文で
居合いの達人のごとく知性の撃剣を一閃させたのが

白井晟一
(しらい せいいち)



この人はかっこよすぎるので、数回にわけてちょっと詳しくいきたいと思います。