「権威に縋るな」という言説について | やんぬるかな

「権威に縋るな」という言説について

 (2007年6月24日1時半ごろ追記ー「縋るな」は、「すがるな」と読む

 もし、あなたが、読みを探すためにこのエントリに辿り着いたとしても馬鹿にしようとは思わないのだけれど、ウェブ上に辞書は転がっているのだから、検索エンジンに漢字の読み方を聞くのではなく、ポータルサイトの辞書機能を使うべきだと思う)




 相手が、大手だから(ブロゴスフィアで言えば、アルファーブロガー、大手ニュースサイトなど)といって、それにへーこらするのは下らない、という記事をどこかで読んだのだけれど


 3つほど、感想を抱いた



 一つ目

 入り口としての、「大手」の存在は重要である、ということ


 何の世界でもそうだが、「評価の高い存在」というものがある

 それは、人物であったり、ある人物の作り出したものだったり


 その世界を知らない人にとって、その世界を把握する課程に置いて、その「大手」の存在は、重要な羅針盤になりうるのではないか、ということ


 たとえば、ブログを初めて読もうとする人が、どのブログから読み始めたらいいかわからない場合を想定する

 そういう時に、アルファブロガーや、はてなブックマークで大勢にブックマークされたエントリ(まぁ、もしかしたら、初めての人は、そこを経由するのが難しいかもしれないが)から読み始めれば、「ブログって、こういう議論や考え方で盛り上がったりするんだなぁ」という雰囲気を掴みやすいんではないだろうか

 

 自分が読んだ記事を書かれていた方は、ご自分が得意な話題を引き合いに出していたが、もし自分の得意でない分野に関して考えたら、どういう行動を取るのだろうかを考えればいい


 知らない街を進むには、ガイドブックが必要

 自分の知らないどんな街にも、ガイドブックを持っていかない、という強い信念があるなら、それは凄いことだけれど



 二つ目

 「大手」は、理由があるから「大手」になっているんだ、ということ


 「大手」は、最初から「大手」なわけではない

 何らかの、大勢から評価される技能を持ち、その技能を磨く努力を惜しまなかったから、大勢から「大手」と認められる存在となったのである


 「何で、「大手」だからといって、あなたたちはへこへこするのですか?」といった時点で、その記事を書いた人も、「大手だから」その人たちがへこへこしていると思考停止しているわけだ

 多分、「大手」のどこが凄いかを理解しようともせずに


 その「へこへこしている」ようにしているように見える人たちは、「大手」が書いてきた文章、ブックマークしてくるエントリへの観察眼などを尊敬しているから、恭しい態度を取っているのかもしれないのに


 その街に詳しくなってから、「ガイドブックなんてクソ」という後だしジャンケンをするのは、簡単だ



 三つ目

 「楽しいネットライフ」を送りたいのなら、実例を挙げたら、ということ


 イライラしたのなら、「めんどくさいから省略」なんてことをせずに、「ヘコヘコしている」ブロガーなどのブログをリンクして、糾弾すればいい

 

 大手を「スルー」したほうが、「楽しいネットライフ」を送れることは、ままある

 「公正に文章で判断しよう」というのなら、他人の目を気にせずに、他人について言及すればいいのに


 そのガイドブックが気に入らないのなら、ガイドブックを作ればいいのに、「いやいや、ガイドブックなんて興味がない」なんて言い訳しているのと一緒だと思う