新しいカテゴリを追加することにしました。


カテゴリは「福島から」。




子育てブログなんだか、アレルギーブログなんだか、ごちゃまぜのよくわからんブログで続けてきて早4年。



田舎に住んでいる私デスが、その分、住んでいる場所とかは、極力曖昧にしてきたつもりなんですが、あの震災を機に、なんだか一気に公表するような方向になりまして。



まぁ、それも今思えば、意味あることだったのかな。



一時期、ブログとどうつきあっていこうか、ブログに何を書いて何を書いてはいけないのか、考えていた時があります。




「ふくしま」


と聞くと、ざわ~っとするような方々が、いっぱいいるんだろうな、と思うとね。



きっとそれは現実なのだろうけれど。



あれからしばらくの間、ネットでは、福島の親たちを批判するような言葉をよく目にしました。


だから、私が福島で小さな子どもを3人も育てている、ということについて、批判的に見ている方もいるんだろうな、と想像してしまうと、今のありのままを書くことが良いこととはとても思えなかったのです。


批判されても平気な親なんて、いるわけないものね。




福島のものは少しでも自分の近くに来るのがいや、と思っている遠くの人たちもいっぱいいます。


その一方で、福島をちょっとでも応援しようと思ってくれている人たちもいっぱいいることを私は知っています。




10月15日の朝日新聞の記事に、共感できる記事がありましたので、一部紹介します。


「被災地3総局長 震災報道を語る」




-低線量被曝の報道は過去に経験がない。苦労や悩みは


矢崎福島総局長: 福島市での放射線量は事故直後に比べると20分の1以下に減ったが、平時の二十数倍の状態が続いている。気をつけていれば、1~3ヶ月いても東京-ニューヨーク間を飛行機で往復したくらいの線量だが、福島ではみな、この問題が頭から離れない異常な生活をしている実態を知ってほしいし、多くの人に福島に来てみてほしい。


一方で、現実を深刻に伝えると、何か福島全体が恐ろしい所のような印象を与えるというジレンマがある。心配しているけれども普通に暮らしている、その伝え方のバランスが難しい。




そうそうそう!


まさにその通り!!!


と頷かずにいられない一文でした。


福島を知っている人だから、の重みのある言葉だと思います。




私がよく遊びに行くとあるブログで、「子どもが線量計下げてるなんて、普通じゃない」という書き込みを目にしました。


そう、もうココは普通じゃないのです。そんなこと、遠くに住んでいるアナタに言われなくたって、福島に住んでいる私が一番よく知ってるよ。




でも、線量計下げてるけど、子どもは普通に学校行って、普通に友達と遊んで、帰ってきたら宿題やってテレビ見て遊んで、暢気にフツーに暮らしてますが、何か?




福島の人にはいくつかの選択肢があって。


心配を背負いながら、福島でできるだけ普通に暮らしていくか、


心配を減らしながら、家族が離ればなれになって、大なり小なりのストレスや不安を抱えながら暮らしていくか、


家族で、新天地を求めて、生活の基盤の不安を抱えながら暮らしていくか




そんなところで、きっとどれも「普通じゃない」のだと私は思っています。


でも、どれを選んだからと言って、遠くの人に無責任に責められる覚えはないんだよね、と思えたらなんだか、ずいぶん精神的にラクになりました。




子ども達が9月からぶらさげている線量計(ガラスバッチ)の一ヶ月分の結果が届きました。


遠くの人には、ニュースでしか知らないようなことが、ここでは日常です。


そういうことを書けば「うわー、こわいわー。よくそんなところに住んでられる~。」と思われるかも知れませんが、それを書くことも、きっと意味がある。


やっと、そう思えるようになりました。


少しずつ、「福島から」発信していこうと思っています。




でも、批判されたくて書いているわけではありませんので、批判したい方はそこをグッとこらえて、スルーでお願いします(正直、今の状況も決してラクなわけではないので、批判はこたえますので…)。



さらによくわからんごちゃまぜブログへと変貌中ーー。



さて、つい先日のmonの学校の学習発表会での5年生の発表は「合奏・合唱」でした。




まずは朗読からスタートしました。5年生、さすがに立派です。




4月。ぼくたちは5年生になった。


3月に大きな地震があって、そのまま4年生が終わってしまった。


ぼくたちの心は3月のまま。




いつもと違う4月。




仲の良い友達が、次々と転校していってしまった。




長い長い朗読だったけど(うろ覚えだけど)、泣けてしまった。




ぼくたちは何も悪くないのに。




そのフレーズが、ずしん、ときて。


ほんとうに、子ども達は、何も悪くないんだよね。




この朗読の後歌ったのは猪苗代湖ズの「I Love you I need you ふくしま」


ご存じない方は↓コチラからどうぞ。



先生のギターに合わせて、全員で歌いました。




ああ、泣けた。




震災以降、「原発はいらない!」と、いろんな団体が声高々に叫んでいて、そのことが「福島の子ども達を救え!」ということと一緒になっていることに正直なところ、何か違和感を感じていました。温度差、というか。


あ、もちろん私も原発はなくすべきだと考えているし、そういった活動は意味あるものなんだと思っていますが。


拳を振りかざして、「原発はいらない!」と叫ぶことは、なんだかかっこが良いし、福島の人のためになっているようだけれども、実は、そうやって拳を振りかざしても、去ってしまった友達は帰ってこないのです。それが現実。




子ども達が欲しがっているのは、今すぐに原発のない社会、なのだろうか………???




少なくとも、福島の子ども達が今欲しいものは、去っていった友達が帰ってくることであり、もうこれ以上友達と別れなくても良い「明日」なんじゃないかなぁーー。



福島の人たちが、今求めていることと、将来的に求められていくべきものとは、やっぱり今の時点では違うんだと感じています。




明日から何かが始まるよ 素敵なことだよ


明日から何かが始まるよ キミのことだよ





震災の後、この歌を聴いた時は、それどころじゃなかったのかもしれないけど、今聴くと、本当に素敵な歌です。


じーんとくるものがあります。


多分、福島から遠く離れている人が、私たちの毎日を見たら、予想しているより「全然フツー」なんだと思います。


福島は恐怖の町でも何でもない。


それでも、みんな何かしら心配なことを常に胸に抱えて生きている。




でも、私は「大丈夫」って思うから、ここにいることを選んだのです。




ニュースの中の「福島の当たり前」。


書くことで、何か、何かが伝わるといいかな。



応援してくれている人にも、どうか、届きますように。