ご無沙汰しています。

最後に更新したのいつだっけ??

PCからずいぶん長いことログインしていなかったので、ログインできるか心配なぐらいでした。

 

めっちゃ久しぶりなので、ざっくりと我が家の近況報告など。

 

長女monは高校1年生になりました。

中学時代から部活女子でしたが、高校でもどっぷり。

学業がかなり心配ですが、すっかり男前な体育会系女子に育ちました。

 

二女kaniは中学2年生。

絶賛チュウニ病。

部活にもはまれず、かといって何か目標があるわけでもない。

女子同士のめんどくせーわちゃわちゃに巻き込まれてストレス満載の日々。

アレルギー的には特に何か変わったわけでもなく、給食の卵は自分でよけて食べるような生活(その程度で大丈夫)。

そこそこフツーの食生活を送っています。

 

三女nicoは小学4年生になりました。

末っ子の成長は、家族の中では小2ぐらいで止まっていて、春から高学年?な感じ。

姉たちに揉まれているので、かなりしっかり者に育っています。

 

東日本大震災から10年がたちました。

あっという間の10年でした。

私たちは、あの時と同じ家で、そのまま変わらない日々を過ごしてきたけれど、それぞれ違った10年を過ごしてきた人たちや家族が、近くに、あたりまえにいる生活の中で、私たちは異なる境遇を受け入れたり、理解しあったり、寄り添ったりするのがごく自然な10年を過ごしてきたのかも知れません。

 

私はあの時から緊急地震速報の音がダメで。

体が固まってしまうような時があります。

一度、人が大勢いる仙台のショッピングモールで一斉に緊急地震速報が鳴った時があって、私は足がすくんで立っているのもつらいほどで、monとkaniが手を取ってくれて、背中を支えてくれました。

私は地震がものすごく怖くなってしまったけれど、あの時小さかった子ども達は地震に対しては大丈夫なんだな、と思っていました。

 

先月、大きな地震がありました。

私と夫、monは起きていて、はじめのうちは大丈夫だったのです。

でも、次第に揺れが激しくなって、いろいろなものがバタンバタンと倒れだして、食器棚が次々に開いて大量の食器が次から次へとものすごい音を立てて割れていきました。

もう立っていられなくて。ぺたんとしゃがみ込んで、ただ呆然と見つめているだけだったのですが、後ろから大きな泣き声が聞こえてきました。

夫に背中をさすられて、丸くなってmonがわんわんと泣いていたのです。

 

本当にびっくりしました。

 

普段感情の起伏が少なく、人前で涙を見せることなどめったにない娘なのに、小さい子どものようにわんわんと泣いているのです。

大きな音に驚いて起きてきたkaniとnicoも、見たことのない姉の姿に驚いていました。

 

これが、あの時6歳だった子どもの心に残したものなのか。

何もないわけはないと思ってはいたけれど、普段の地震では何ともなくても大きな揺れがあの時の恐怖をこれほどまでに呼び起こすのか、と痛感させられました。

 

あの時年長と年少だったmonとkani。

あの日のことははっきり覚えていて、忘れていません。

先生たちが「みんなは小さかったから覚えてないと思いますが。」と言うらしいのですが、本当に鮮明に覚えているから、なぜそんなふうにいわれるのか不思議に思うようです。

 

二人とも震災にかかわるテレビの振り返り番組は見たくないと言います。

漠然と、ぼんやりと、「嫌な記憶」なのかな。

 

でもこれがあの時の子どもの「本音」なんじゃないかな、と思うのです。

 

「風化させてはならない」とよくいいますが。

不謹慎かもしれないけれど。

私はこの震災が残した多くの教訓から学ぶことは大切だけれど、つらかったその思い出は、軽くなるのなら、忘れてもいいんじゃないかな、と思っているのです。

だって、子どもだったんだもの。

あの地震で、そこそこ怖い思い、つらい思い、がまんする日々を送った子ども達に「あなたたちの世代が風化させないように」なんて重い宿題を背負わせるのは酷なんじゃないかな、とさえ思うんです。

被災、恐怖、不安、そんなものから解き放たれて、自由に生きられれば、それでいいんじゃないかな。

 

10年を迎える直前にあの大きな地震があったのは、また向き合う良い機会なのかな、と思い、子ども達には「一人でいる時に」地震が来たらどうやって身を守るのか、あらためて話をしました。

まずは命を守らなければ。

 

monは先月の地震以来、余震で家がきしむ音を聞く度にものすごい恐怖を感じるようになりました。

怖い時には、怖い、と言っていいんだよ、言った方が楽になるんだよ、と伝えました。

誰かに、つかまれるなら、つかまった方が良い。

あの時、子ども達の心には、どれぐらいの恐怖が影を落としたのか、どれぐらいの爪痕を残したのか。

 

10年前の今日、たくさんの人が命を失い、家族を失い、住むところを失って、大切なものを失いました。

何かを失ったわけではない私には、思いを寄せることしかできません。

あの時負った、痛みや傷が少しでも軽くなって、少しでも穏やかな日々が取り戻せるように、と11年目の今日この日願わずにはいられません。

どーも。むうです。

新年度ですね。

 

我が家のアレっ子たちは、現在では給食でもみんなと同じものをいただけるようになりました。

行事の時も、本人と確認さえすればOK。

ずいぶん楽になったものです。

 

アレルギー除去時代にはつらい思いをすることもたくさんあって、これは区別なのか?差別ではないのか?とくやしさで涙の出ることも度々ありました。

一番直近のところでは、震災後、関東の某支援団体がうちの子らの通う学童の子たちを夏休みと春休みにキャンプに連れて行ってくれていました。が!二女はアレルギーを理由に拒否です。

当時は卵とイクラのみの除去で、宿泊先の宿ではアレルギー対応してくれるっていうのに、それでも参加が認められない。参加したいなら親もついてこい・・・ってフザけんなっ!なことを夏・春何度も繰り返しました。

アレルギーへの無理解でほんとうに「しなくて良い」我慢をたくさんさせてきたと思います。

 

だからね。

アレルギーでもみんなと同じように。

心配しなくて良いように。

としていただけることを

「当たり前」とは思わないんです。

 

知り合いの栄養士さんに聞くと、年度初めに学校に提出するアレルギーの管理指導表、

「去年も出したんだから、今年は必要ないですよね?」とか言ってくる親もいるらしい・・・けど。

 

3月には離任式がありますが、私は給食の調理員さんや養護教諭の先生が異動する時必ずお手紙と何か気持ちの品をkaniに持たせるようにしています。

感謝の気持ちを伝える機会ってなかなかないし、

「たいへんだったけど、アレルギーの子の給食作ってきてよかったな。」って少しでも思ってもらえるとうれしいな、と思うのです。

 

この春6年生になるkani。

入学当時の給食に携わってくださった方々が、この春の離任でもういらっしゃらなくなりました。

除去を解除してもう何年も経つけれど、入学したばかりの不安でいっぱいの親子を支えてくださった方々に、本当に感謝したいと思います。

 

kaniがここまで大きくなれたこと、

アレルギーだからといって「区別」も「差別」もなく、みんなと同じくしてもらえる環境をつくってきてくれたたくさんの陰の努力があってのことです。

後に続くアレっ子達のためにも、親も子も、そういう努力に報いる姿勢でありたいな、と思う今日このごろです。

どもども。むうです。

年度末は仕事も忙しいですねぇ。

4月になっちゃいました。

 

この春子どもたちは進級です。

末っ子nicoは小学校2年生に、二女kaniは小学校6年生、そして長女monは中学2年です。

いやはや、大きくなったモンだ。

 

震災の影響もあってか、monの学年は市内全体でも少ないようで、主に3つの小学校から集まる中学校でもmonの学年は他の学年より1クラス少ないです。

小学校時代も2クラス、なぜか女子が全体の1/3程度しかおらず、常にクラスには1桁の女子しかいないという6年間を過ごした彼女、人見知りでやや神経質で、中学校生活は大丈夫かと心配していました。

 

中学校では小学校でもやっていた陸上部に入りました。小学校時代も市の大会ではまぁまぁ早いほうで、時々賞状とか、メダルとかもらってきていたのですが、中学校に入るといきなり中学生のパワーに圧倒されます。

4月の記録会では、見たこともないスピード、ついていけず、あっぷあっぷで惨敗しました。

中学生、すごいねー。

で、同じ学校の1年生に、小学校時代1度も勝てなかった子がいるという始末。

中体連は一つの種目に学校から一人しか出られないので、もちろん指をくわえて見てるだけ。

厳しい世界にはいっちまったな、と親子で痛感。

 

その後、県大会組の合宿に(県大会には出ないけど)、リレーの補欠だったため(県大会では補欠でもなくなったけど)参加させてもらって、上には上がいる、きついきつい練習についていくのが必死で、でも自分でも力がついた、といって帰ってきました。

 

夏にある大会は1種目2人まで。

monは中長距離なので、1500mはもう2人決まっちゃっているから、800mなら頼んで出してもらえるんじゃないか、と話すのですが、もともとの気質がおっとりというか、争うとか、人を押しのけてチャンスを勝ち取るようなことが苦手なので、ものすごく抵抗しました。ええ。

でも、何回も話して、先生に思い切って相談したら、800mに出してもらうことに。

県レベルの力のある子たちとのレースはすごく彼女の糧になったんじゃないかな、と思います。

 

夏からは駅伝の練習。夏休みは2リットルのジャグを持ち、6時半ごろには家を出る生活。

駅伝の練習、陸上の練習、家に帰るとめっちゃ汗くさい。

「今日は何㎞ぐらい走ったの?」

と聞くと

「10㎞ちょっとじゃない?」

と、もう母の想像を超える世界。

 

7月のおわりには、4月に買ったスパイクとランニングシューズがもうきつい・・・。スパイク何回はいたんだよ・・・。

あんなに食の細かった娘が、ありえない量のごはんを平らげるように。

米が、どんどんなくなっていく・・・。

弁当箱も男子並み。大会の日とか、おにぎり4個とか・・・。

もう、人からどう見られるかは気にしていないらしい。

彼女は食べても太らないようで、給食の時間も同じ班の少食な子の分も食べて、その後さらにおかわりもする日々。

担任の先生が「みんな、monを見習えよ!」というぐらいの大食いに成長しましたww。

 

秋には駅伝の選手に選ばれて、地区大会も勝って、県大会出場。

新人戦には1500mでエントリーして、これも県大会出場。

ほんとによくがんばってるなぁ、と思います。

もう、頭の中が部活と体育で仕上がっているような娘に育ってしまいましたが。

 

小さい頃からあまり話さない娘で、娘のまわりで何が起きているか、本当につかめない子だったのですが、中学校に入ってからは学校のいろんな出来事をよく話すようになりました。

担任にムカつく、とか誰が誰に告ったとか。部活のお友達が良い子が多くて、中長距離の子たちは本当に仲良くて助かっています(長距離と

短距離はしょっちゅういろいろあるらしいけどww)。

 

去年の10月に念願の柴犬(黒いの)を飼ってから、思春期特有のイライラがいい感じに癒されています。

もうね、犬を絶賛溺愛中。

 

夏に買ったランニングシューズに穴が空き、さらに新調。

中学入って一年で、スパイク2足、練習用シューズ2足、試合用シューズ1足すでに5足購入となりましたが、今まで旧モデルばっかりだったけど部活がんばってるからと新しいモデルのシューズを今回は買いました。

 

勉強もがんばってるし、委員会の仕事とか、朝の掃除当番とか、みんながサボっていることもちゃんとやってるけど、やらない人にどーのこーの言わないところが親から見てもすげーなーって思います。

「ちゃんと努力していると結果につながる」ということが、もうわかったのかな。

割と安心して見ていられるようになりました。

 

今年の中体連は、「絶対出る」と心に決めているmon。

結果も大事。だけど私は過程のほうがもっと大事、と思っているので一生懸命応援してくよー!

がんばれ、中学生!

こんにちは。むうです。

ただいまインフルで長女と隔離生活中。

 

今回は二女kaniのことについて書いてみようかな。

kaniは小学5年生。あと数ヶ月で6年生です。

 

アレルギー的にはいろいろな心配もなくなり、今では火が通っていない卵とイクラを除去しているぐらい。

卵は相変わらずほとんど食べませんが、給食ではがんばって食べている様子。

 

アトピーはよくなったり悪くなったりの繰り返し。肌のケアはずっとしていかなければならないんだろうな。

 

高学年になり、先生との相性だったり、友達づきあいだったり今までみたいに私に何でも話せることばかりではなくなってきたkani。やっぱり思春期なんだよね。自分のわがままを通してそれでいらいらしたり、素直に謝れなかったり、難しい時期になっています。

 

ただ一番上の子と違うのは、手っ取り早く目の前に2年先を行く「目標」がいるので、姉の時とは違って、ちょっと先を見ながら目標を立てているのがすごいなぁ、と思います。

 

ある時、学校で毎年やっている地域の方との交流行事の感想に「これができるのもあと来年一回だけだから」というようなことを書いていたり、6年生でやる鼓笛の楽器を決める時には

「あたし、せっかくだから、この先の人生でなかなかできないようなヤツやりたいんだよね。だから総指揮かトランペットがいいかなぁ~って。もう、なかなかそういうのやる機会なさそうじゃん?」と言ったりするので、なんだろう、親としてはアドバイスの必要がないというか。しっかりしてるよね~。

 

ちゃんと先を見て、自分なりにいろいろ決めていて。

 

将来も学校の先生とか、学校で働く仕事がしたいみたい。

うちの市では中学2年で職場体験があるんだけど、今から小学校で職場体験したいと決めているらしい。ちなみにもうすぐ中2になろうという長女はなんも考えてないから面白い。

 

kaniが小さい時に、アレルギーのことで、本当に毎日悩んだり辛いことがいっぱいあったけど、そのおかげで今があるなって思えることもたくさんあります。

でも、それって、親である私たちだけでなく彼女自身にとっても同じように、何か糧になっていることもあったのかもしれないな、と最近思ったりしています。

がまんばっかりさせて、とか、うちの子かわいそうじゃないよ、とか、どうして他の子と同じにしてくれないのか、とかいっぱいいっぱいあったけど、その分気づけることがたくさんあったり、人の思いのありがたさを受け取れることもいっぱいあったのかなぁ、とか。

 

とりあえずkaniも元気です!がとってもめんどくさい時期に突入中~。

今日もけんか・・・(インフルなのに)。

まぁ、これもいつかプラスになるさ。きっと、ね。

どもども。ごぶさたしてます。むうです。

 

ブログ、ずっとほったらかしですね。SNSの管理もままならぬ今日この頃。

みなさんはお変わりありませんか?

 

私も私の家族もみんな元気でやっております。

この秋から犬を飼い始めまして、家族が一人、いや一匹増えたところです。

 

末っ子nicoちんはこの春に小学校に無事入学しました。

長女monが1歳で保育園に入ってから13年と半に及ぶ保育園送迎生活も3月でやっと卒業した我が家です。

 

ブログのトップ画面のnicoちん、0歳です。いやぁ大きくなったもんだ。

 

一番上のお姉ちゃんとは6歳違いだから、ちょうど入れ替わりで小学校入学でした。

入学前から、お姉ちゃんたちにいろいろ仕込まれて、入学式当日には大きな声で校歌を歌っておりましたw。

 

小学校生活にもすんなり馴染み、学童も毎日お迎えで行っていた場所ですから何の苦労もなく4月から楽しい小学生ライフを送っております。

年長さんから始めたスイミングもすっかり慣れて、2学期からは下のお姉ちゃんのkaniと一緒にスクールバスで通っています。

なんだろね。なんの苦労もない末っ子。

とにかくたくましい。

すくすく育っています。ほったらかしだけど、毎日楽しそうです。ふふ。

 

強いて言うなら、やっぱり成長とともにアトピーがひどくなってきたことかな。

こればっかりは家系だからしょうがないんだな、きっと。

 

夏でも顔はカサカサしています。

手のひらや足の裏も子どもとは思えないくらいカサカサで。

 

まぁ、アトピーとのつきあいも10年越した我が家ですので、仲良くやっていこうかな、と思います。

 

今日たまたまお仕事で聞いてきたお話の中で、

「節目」って5年とか10年とかいろいろあるわけですが、震災においては「6年」という数字がものすごく大きな意味を持つんじゃないか、ということがありました。

あの3月に小学6年だった子どもたちは卒業式ができなかった。

その子たちは3月に高校を卒業して新しい生活に羽ばたいていく。

あの4月に初めてランドセルを背負った子どもたちは、マスクをして初めての小学校に登校した。

その子たちがこの春小学校を巣立っていく。

あの時生まれたばかりの赤ちゃんだった子はいろいろな心配を抱えていたけれど、この春ランドセルを背負って小学校に入学。

 

我が家には、あの時小学校に入学した長女と、生まれたばっかの末っ子がおりましたので、うん、うん、ホントだな、となんだか胸にこみ上げてくるものがありました。

 

あの時赤ちゃんだったnico、本当に元気にすくすく、心も体も元気に大きく育ちました。

これからがとっても楽しみです。

 

近いうちにkaniとmonの近況報告もしたいと思います♪