なんか今期アニメだとソラヲトが中心になってるなw
……す、好きって訳じゃないんだからねっ!
でもまぁオリジナル作品だし、色々と考慮する余地があるのは確か。
『戦う司書』なんて未読だったら考察しまくってただろうに、全部読んじゃってますからね。
以前のエントリ
でも書きましたし、これらは概ね外れていないと思うのですが、より正確な記述が可能な状態にはなったかな?
一つの戦争、二つの戦争。
第七話にて、ソラヲト世界の戦争が二段階あることが判明しました。
謎の生命体と戦う1度目の戦争、人間同士で争う2度目の戦争。
謎の生命体の由来や正体、目的は不明ですが、翼からして悪魔の可能性が高い。
セーズの伝承によると悪魔の存在は有史以前的な扱われ方をしていたのですが、現在の文明を崩壊後でそこからが「有史」と考えれば辻褄は合うでしょう。
ノーマンズランドに監視装置が仕掛けられていたのも、旧文明時代ではそこが悪魔の防衛ラインだったからと考えれば得心が行きます。
戦争の結果人類は悪魔によって淘汰され(痛み分け?)、悪魔が表立って出現しなくなった後に残った人類が細々と暮らしているといったところでしょうか。
その戦争のつ爪跡として海は死に、見えない死神が撒き散らされた……と。
悪魔と戦っているのはタケミカヅチらしき戦車ですので、こりゃいよいよ悪魔復活フラグかもなぁ。
今までは文字通りの復活だと思っていたのですが、奴等なる呼称からして複数体いる模様。
となると別個体なのか?
という気もしますが、完全体があの火力を有しているとなれば、一両程度じゃ手も足も出ない。
御都合主義に走らず「戦えそう」感を優先するならば、頭部のみになった個体の方が説得力は出そうです。
でも炎の乙女たちは一両で戦ったぽいからなぁ、出来なくは無いのかも。
あとラッパは不確定だが、悪魔に対して何らかの効果をもたらす可能性もあり得る。
普通に考えたら位置知らせるだけの自殺行為だし、戦車に音響装置が付いている理由も説明出来ます。
あと悪魔のバックグラウンドについては気にしない方が良いですw
いわゆるセカイ系作品ではよくあるパターン。
二つ目の戦争。
これは人類間での普通の戦争だと思われ、フィリシアの乗っていた戦車もタケミカヅチより野暮ったい。
作品世界の中で「休戦」とされているのはこちらで、協定が結ばれたのは半年前(7話時点からだと9~10ヶ月くらいにはなってるか)。
で、どうやらフィリシアさんの回想は二年くらい前らしいというお話。
皇女殿下はその間に死んだと思われます。
リオの台詞、リオを観た司祭の台詞からリオの姉であると考えられますが、他の人がリオの出自を知らない、また皇女殿下が最前線に居た一方でリオは辺境の地に送られてます
もちろん皇女殿下が死亡した為、その妹には安全策を採ったという可能性も否定出来ない。
休戦した今は軍属にしておく意味はないのだけれども、同時にリオの卒業フラグも立っているので判断しづらい部分。
また三話の描写からすると、皇女殿下はリオや母親より一段階垢抜けた衣装をしている事からリオは庶子、もしくは多少位の落ちる側室レベルの子供で腹違いの妹なのかなという気がします。
父親のせいかもですが髪の色も違うし。
更に言えば皇女殿下は、結構悲しい死に方をしたんじゃないでしょうか。
そりゃ若いからどんな形であっても悲しいんですが、三話の病気フラッシュバックは母親のみでしたから病気ではない。また戦闘で死亡というのもまだ当たり前。
自分で戦列に立っていたのですから、理想に殉じたとすら言えます。
リオがアメイジンググレイスを封印する心情を鑑みるに、よっぽど彼女に関して嫌な事があったのでしょう。
こうなってくると政治絡みで暗殺されたって辺りの線が濃いんじゃないかなぁ。しかも味方に……とかね。
ノエルもまた、色々抱えていそう。
ヴィネンランド戦線で何かあったのは間違いない。
それは被害者であったのか加害者であったのかは判然としない。
ここで家族を失ったと記述しているブログも見つけたが、精霊流しを行わず顔に陰を浮かべるノエルの様子を見るに単なる戦争孤児以上の由来があるのではという気持ちになる。
4話でも「人殺し」と言われてハッとしていたし、タケミカヅチが兵器であることを気に病んでいた。
恐らく、何らかの形で人の死に関わったものと考えられる。
前の考察ではシリアス展開は5話以降、と言ったのが微妙に当たって7話にしてやって来た。
今後はキャラの掘り下げをした後、最終回近辺でドーン! と何かが起きる……という風になって欲しいかな。
こういう日常に比重の置かれたアニメに関して(主としてシリアス方面に)物を言うと、
「自分の思い通りにならないからって文句言うな」
「これは日常系なんだからノンビリでいいんだ、見方が間違ってる」
みたいな事を宣う方が見受けられますが、少なくとも僕個人にしてみりゃアホらしい話です。
中には思い通りにならないだけで文句言う人間もいるかもですが、別に作品の方向性に予断を持っている訳ではなく展開が強引だったり、起伏が無さ過ぎたり、書こうとしているテーマ・方向性・話に繋がるガジェットがあるにも関わらずその部分をしっかり描写しないから、どう扱うべきか考えているだけなんですよね。
むしろ「これは日常物だ」という意識の方が固定概念だよねって思うんですが。
『けいおん!』なんか最終回はオリジナル展開含みで成長物として描かれていたし「アレが日常物だから変化が無くていい、マンネリとか言うヤツは分かってない」みたいな主張してた人は、そこである程度は自省しなければいけないはずなんですが、多分忘れているかそもそも自分の言動と作中で示される物の齟齬に気付いていないんじゃないかって気すらしますね。
僕なんかは確かに好きなジャンルでこそありませんが、別に日常系でも全然構わないのです『はなまる幼稚園』とかは別に嫌いじゃないし、ようは自分が面白がれればいい。
逆にそれほど好きではない『よつばと!』みたいなのだって、日常系だからダメなんて批判することもありません。大して合わないな~ってくらいで、悪いとはまた別。
まぁ、無意識的に世間的な評判に影響されてるのかもしれませんけどね。
ただ例えば『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』で
「休戦のローカル砦で女の子がキャッキャウフフするだけの話」
と
「戦争に纏わる暗さやドンパチが折り混ざった話」
の双方を比べた結果、後者の話混ぜていかないと軍属にした意味が出にくくなるから指摘してただけ。
今回の話(7話)はやや遅すぎるきらいがあるとは感じたのですが、評価は出来ます。
今回のような話によって戦争の暗さを出すことで日常物の明るさをも描くことが出来るのです。
「誰かが、世界はもう終わりだと言っていました でも私たちは楽しく暮らしています」
「世界は幸せばかりではない──楽しいことばかりでもない──どちらかといえば、暗く、貧しい世界なのかもしれない。でもその在り方は自分ひとつ。綺麗なものも、汚いものも、辛いことも、楽しいことも、受け止めるのは、キミ次第なんだから──」
これはそれぞれ公式のトップとイントロダクションに示される文章です。
簡単に二つの解釈が可能でしょう。
世界が終わるような状態、暗く貧しい世界でも、私達は楽しく暮らせる
世界が終わるような状態、暗く貧しい世界だからこそ、私達は楽しく暮らさなければならない
前者は楽観主義、後者は悲観主義的ですが、どちらにも取れる(受け止めるのはキミ次第)という文章です。
単に楽しく暮らしているだけでは、この陰影は出てこない。
悲惨さを描ききってこそ、楽しい生活の深さや、それを導き出すであろうカナタの精神性が描けるのです。
取り敢えず7話によってそういった部分は補完されてはいるのですが、比重として「まだ温い」という感じも受けます。案外細かいところも拾ってくる印象は受けますので、最終回までにどんな陰影を付けられるのかは多少期待を抱いて良いかもしれません。