人間技で行うこと
というのは
私が自分でやったこと
つまり自分の手柄ですね。
神業とは
人間の技が入らないもの
神の使い手になること
私がやった、というものは
やった~!という達成感があるもの。
高揚感もあります。
神業は
人間の頭で考えずに
たまたま、とか
なんとなく、とか
まったくの偶然、というような
そんなことから行われていって
気づいたら
ハイ、これどうぞ、というような感じで
目の前に現れる、というもの。
やった!という達成感みたいな高揚感はありませんが
なんとなくじわじわ~っと喜びが湧いてきます。
普段、私なんかなどと思っていたりすると
畏れ多くも、と思うこともあり。
畏れ多くていいんですよ。
それは自分だけのものではないのだから。
自分を経由して、また人のところに回していくものだから。
たまたま自分のところに来て、経由だけして
でも自分の分はちゃんと受け取ってよくて
しっかりと味わって、それを次の人に渡していく。
みんなで共有するものだから
与えられるものはとてつもなく大きくて
自分一人では使いきれない、扱いきれないもの。
だからみんなで受け取って
好きにアレンジして行くものなんですね。
そんなことがこれから行われていくことです。
純潔同盟で?
というか、これは本の内容の一部ね。
これだけ読むと、よくわからないかもだけど
すべてつながるとわかるようになってます。
たぶん。