皆様いかがお過ごしでしょうか。2年以上も更新せずに何をしていたんだって感じですが生きております。アメブロを始めたきっかけでもある肺移植手術について今回からダラダラ書こうと思います。かなり長いシリーズになると思いますのでお暇があれば読んで下さい。
※個人差はありますので参考程度にお願いします。※
ざっくりとした流れはこんな感じです。
・手術終了→ICU(第一地獄)
・ICU→一般個室(第二の地獄)→4人部屋(第三の地獄)
そして祝 退院
ハッキリと言います。肺移植手術死ぬほど辛いです。
私は割と辛い痛い治療をたくさんやったし入院も慣れている部類だと思います。それでも心折れそうになったことが10回じゃきかないレベルです。そして入院中ずーーーっと地獄です。ただし、手術をうけて後悔したことは一度もありません。
現在北海道では肺移植手術ができないため私は移植手術ができる病院のある県に引っ越して一人暮らしをしていました。引っ越して1年が経ちましたがまだ呼ばれず・・・ってことで3週間ほど北海道に帰っていました。お土産をたくさん買ってルンルン気分で車に戻ろうとした時に着信が。「〇〇大学病院」とスマホの画面に表示された。
出ると先生から「ドナーがあらわれました。あなたが候補の一番です。」と言われ私は移植の意思があることすぐそっちに帰ります!と伝えた。正式な決定は明日また電話をくれるとのことでした。なんとも言い表せれない感情を胸に帰りましたがそこで車の鍵がないことに気が付くのはまた別の話・・・。結局は車に刺しっぱなしというオチでしたトホホ・・・
次の日のお昼ごろに正式に手術決定の電話がきました。明日の10時に病院に来て下さいと。夕方の飛行機で帰りました。その飛行機がプロペラ機の小型のやつでめっちゃ揺れて少し怖かったのを覚えている。
そして9時30分頃に病院に到着。地方に居る人は病院に来るまでに移動時間がかかるから着く頃にはグッタリしている人が多いって話には聞いてたからわざわざ引っ越しまでしたのに里帰りしてる時にお呼びがかかるとは・・・結局ぐったり。そして先生から手術についての説明と同意書の記入。説明を聞いているとき不思議と恐怖とかはなくて落ち着いて聞いてた。多分手術前にやりたいことや、しておきたいことを大体やったからだと思う。
看護師さんからICUで必要なものの説明、シャワーを浴びて下剤、睡眠剤を飲んでその日は早めに寝た気がする。そしてここから壮絶な闘病生活の幕開けだと私は予想していなかった・・・
ここから先は読まなくていいような追加情報。
・ドナーが出ましたって電話は過去に3回あり3回目で第一候補になり手術決定しました。
・コロナ禍で手術自体がストップしていたこともあり待機期間は私は長い部類で4~5年待ちました。日本人に少ないB型だったのと両肺移植だったなど理由は色々・・・でも今はもっと早いんじゃないかな。
・1回目のドナーが出ましたって電話きた時、高速道路を走ってる時に電話きて慌てて高速の路肩に停めて電話を受け取ったのですが秒で警察がきて更に焦った思い出が・・・。説明するのも面倒だったので「病院から電話が来た」って言ったら高速から降りて電話をうけとれ。って軽く注意されただけで終わったので良かった点数ひかれるようだったら1から説明したけど。