【NHK電凸ヨロ】NHKの韓国人職員が朝鮮半島の汚い歴史を日本に押し付けようとしている件!!! | 憂国の魔窟/まつしたまさよの護国道まっしぐら

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============記事はここから======


最近一番腹が立ったニュースがあった。

これは許すまじ。日本の文化を捩じ曲げられては困る。それも、勉強不足でしかも反日のNHK制作者によって、これまた勉強不足の日本人に「捏造」を事実と思い込ませることは容易いし、これまでもこのような手法でどれほど日本の文化や歴史が穢されてきたことか。。

捏造プロパガンダの恐ろしさは、人々の記憶に入り込み、それを無意識に正当化してしまうところにある。

今はその恐ろしさが判然としなくとも、10年20年後には必ずや開花してしまう毒薬。。。。


だからこそ、ある時期の反日思想者は教師になりたがったし、表現者になりたがったしメディアに潜り込みたがったものだ。
我々はこれらの反日左翼思想者/表現者による教育やメディア、映画やテレビ、書物などの文化によって、歴史の改竄を自動的にされてきてしまった。70年前の日本人と現代の我々を見れば一目瞭然ではないか。

ソレッ!電凸じゃい!



『保守速報』様のサイトから引用させて頂きました。ありがとうございます。
リンク:http://hosyusokuhou.jp/archives/38194412.html




【これは酷い】NHKの描く『戦国~江戸時代の日本』が『朝鮮半島』にソックリだと話題に!NHKの韓国人職員が朝鮮半島の汚い歴史を日本に押し付けようとしている件!!!







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■こんな”日本”、日本じゃない!



勿論、私も自分の目で「戦国時代」や「江戸時代」を見たことはない。見たことが無いからこそ、当時の文献や専門家の本を読み勉強するのだ。

私の知る限り、「戦国時代」はともかく、「江戸時代」はこのNHKで紹介されたような酷い状況ではなかったと思う。

江戸時代は、よく言われるが「町人文化花盛り」の文化である。世界中で「町人」と呼ばれるような一般人の文化があれだけ発達した例は、他にはない。同時代の欧米などでも、貧民は貧民のままであり、そこに庶民の文化は花開かなかった。文化が花開くということは、日常に活気があるからである。明るさがあるからである。明るさ、すなわち日常を謳歌しているということである。貧しくとも地に足をつけて、短い一生を短いなりに有意義に生きた人々の知恵と天性の明るさと活気とが、あの江戸時代にはあった。そこを

~~のような、『日々の食い扶持もなく、路頭に迷う生きた屍』のように描かれては、先人の日本人たちもさぞや悔しがるに違いない。

(江戸っ子なら、「てやんでぇい!バカにするなってんダッ!ちきしょー!」であるw。総出でNHKは襲撃されてしまうかもしれない。江戸っ子は気が荒いからねぇ。www)

現代の日本人の生活に見られるような『西洋的文明』に彩られたものは殆どなかったに違いないが、この写真に見られるような「無様」な様子は、日本的な文化とは異なり、もっと端的に言えば、歴史をちょっと紐解くだけでこれが「李氏朝鮮時代の朝鮮半島」そのままだということがわかるのである。

着物を白しか着ていないことからもわかる。染色の技術は卓越したものを古来から持っていた日本人が、たとえ下層の人々であっても、染色をしなくてもいいただの「白」を着るわけがない。

貧しいことはその通りだが、粋で意匠を施すのが得意な日本人が、染色をせず「白」を全身に纏って気が済むわけがないのであるw。

これは、近代まで染色の技術がなく、一切合切の技術や文化を日本が教えなければきっと近来までこのままの習俗であったろう朝鮮半島の日常だということは、他の文献や参考図書などでも確認出来る。

日本人は、そもそも清潔である。生活をきちんとしていこうという民族である。このような「浮浪者」のような生活を、一人二人の規模ではなく、地域の居住者全員がしているとは思えない。



私は以前、黒澤明監督の世界的な映画作品「七人の侍」について、ブログに書いたことがある。
そのときには、戦後間もなくの「戦争を知る人々」の士気があるうちに、先の大戦でも戦った気概そのままを「農民が侍を撃つ」という逆転的発想でもって「大国アメリカを撃つ」ということに置き換えて残そうとしたのではないか?と、私なりの好意的な考えを述べたことがある。そういった「日本人の最後の奮撃」があの映画で描かれていたとしたら、私は大絶賛したいと思う。

しかし、実はこの映画の貧しさ・暗さ・陰鬱さ・混沌、これは日本の本当の「戦国時代」周辺の時代のものだったのだろうか?と、非常に違和感があったのだ。同時期の「羅生門」についてもそうだ。作品時代は非常に文化の高さを感じさせる重厚なものだった。しかし、どちらも「戦国時代」周辺の時代を描いており、これまた貧しさ・暗さ・どうしようもない陰鬱さ・どこまでも混沌を非常にアピールしており、非常な違和感を覚えた。実際のことをわからないが、ともかく「当時の日本はこんなもんだったんだろう」というイメージが先行しすぎてはいやしないか?と思った。いくら農民や一般庶民を描いたとは言え、である。

参考→【こんな日本人ならいらない】「七人の侍」を考察。日本人は明らかに退化している!
2012-03-28
http://ameblo.jp/moody-night/entry-11206083156.html






ここに描かれた特出すべき点は、日の当たり難い『土着的百姓の生活や価値観』が、時に武力に勝る強きものであることを描いたところだ。

雇われた七人の侍のうち、死ぬのは四人。どれも火縄銃で射抜かれて死んでいる。侍の映画でありながら、死ぬ時には刀で斬りあって死んではいない。剣の腕を磨き、日頃の鍛錬に精を出し、武士として秀でた才覚のある者が、咄嗟の銃器の攻撃に撃たれてしまう。

昭和29年当時の映画で、しかも、どんなに戦後反日的、左翼的な思想で塗り替えられていく途上であっても、まだまだ明治、大正時代の先人たちの現実的社会にあった。実際に制作側も出演側にも、出征した元兵士はいる。嘘でぬり固められる前に、せめて日本的蹶起はこういうものだったということを残そうとしたのではあるまいか?ということに思いを馳せてしまう。

つまり、土着の農民と七人の侍の精鋭側は、危機にひんした日本。数々の痛手を負いながらも、侵略してきた銃器を持つ野武士たちを相手に、獅子奮迅の働きで、見事「村」の存続を勝ち取る。


私には、この映画は実は、当時の日本の置かれた状況を表そうとしたものに見えて仕方が無くなった。意識的にそうしたのかどうかはわからない。意識をしなくとも、当時の日本人にはそうした思いが常にあったのではないか?ただ「ギブミー チョコレート」と米兵に擦り寄ったわけではあるまい。。。。




■「逝きし世の面影」




「逝きし世の面影」という名著がある。私もブログで何度かとりあげさせて戴いた。
日本人を実体以上に褒めている、、ということではないが、日本人を西欧人の目で見て判断しているといったものだ。キリスト教的なものの見方で見ているために、日本の文化や人々の暮らしは、彼らにとって非常な違和感をもって見られていることも多いし時に批判もしており、その点では日本人からしてみたら「余計なお世話」感も強く感じられるがw、忌憚なく書かれているという点では読み応えがある。

この本からも、決してこのNHKの映像で紹介されているような日本人の姿は無いことが如実にわかるだろう。

NHKの番組で描かれた似非『日本の姿』は、当時の朝鮮半島の姿である。



かつて日本は確かに先ず貧しかっただろうが、貧しい=混沌・盗賊が横行する無法者国家 ではない、「清貧」であり「品行方正」である。

Twitterでも書いている人がいるが、これは「朝鮮半島の歴史を日本に掏り替えさせて記憶させる」といった具合の、非常に姑息で卑怯なプロパガンダなのだと考える。これは、表現の自由の域を超えている。




逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)



■イザベラ・バードの残した明治初期の日本



「江戸」と「地方」の違いはあれど、当時日本に来日したイザベラ・バードも当時の東北など様々な日本の地方も歩いて旅行をしたのだが、そのときの印象を次のように表している。


イザベラ・バードの東北紀行[会津・置賜篇]: 『日本奥地紀行』を歩く

『イザベラ・バードの日朝中』様のサイトから引用させて頂きました。ありがとうございます。
リンク:http://www7.plala.or.jp/juraian/ibird.htm




イザベラ・バード(高梨健吉訳)『日本奥地紀行』平凡社, 1973年.
Isabella L. Bird, Unbeaten Tracks in Japan, 1885.


 バードは1878(明治11)年6月に来日、日光・新潟・山形・秋田を経て北海道に渡り、アイヌ人の村落を調査した。バードにとっては、初めてのアジア地域での旅行だった。日本人に対しては、容姿の貧弱さ、礼儀正しさ、山村の貧困、治安の良さに関する記述が目立つ。不道徳あるいは堕落しているという評価は、よくわからないが、キリスト教徒でなくイギリス紳士のようでもないということかもしれない。当時のヨーロッパ人としては当然だが、キリスト教を最高の価値体系と考えている。アイヌ人については、正直さ、物静かさ、深酒、容貌の醜さについての記述があるが、ここでは割愛した。
 なお、欧米から見た日本に別訳を示した。原文はPre-modern East Asia Seen by Westernersにある。

上陸して最初に私の受けた印象は、浮浪者がひとりもいないことであった。街頭には、小柄で、醜くしなびて、がにまたで、猫背で、胸は凹み、貧相だが優しそうな顔をした連中がいたが、いずれもみな自分の仕事をもっていた。(6-7頁)

日本人は、西洋の服装をすると、とても小さく見える。どの服も合わない。日本人のみじめな体格、凹んだ胸部、がにまた足という国民的欠陥をいっそうひどくさせるだけである。(14頁)

私はそれから奥地や北海道を一二〇〇マイルにわたって旅をしたが、まったく安全で、しかも心配もなかった。世界中で日本ほど、婦人が危険にも無作法な目にもあわず、まったく安全に旅行できる国はないと私は信じている。(48頁)

私は、これほど自分の子どもをかわいがる人々を見たことがない。子どもを抱いたり、背負ったり、歩くときには手をとり、子どもの遊戯をじっと見ていたり、参加したり、いつも新しい玩具をくれてやり、遠足や祭りに連れて行き、子どもがいないといつもつまらなそうである。(86頁)

いくつかの理由から、彼らは男の子の方を好むが、それと同じほど女の子もかわいがり愛していることは確かである。子どもたちは、私たちの考えからすれば、あまりにもおとなしく、儀礼的にすぎるが、その顔つきや振舞いは、人に大きな好感をいだかせる。(86頁)


見るも痛々しいのは、疥癬、しらくも頭、たむし、ただれ目、不健康そうな発疹など嫌な病気が蔓延していることである。村人達の三〇パーセントは、天然痘のひどい跡を残している。(87頁)

そこで私はキサゴイ(小佐越)という小さな山村で馬を交替したときは、ほっとした。ここはたいそう貧しいところで、みじめな家屋があり、子どもたちはとても汚く、ひどい皮膚病にかかっていた。女たちは顔色もすぐれず、酷い労働と焚火のひどい煙のために顔もゆがんで全く醜くなっていた。その姿は彫像そのもののように見えた。(93頁)

仕事中はみな胴着とズボンをつけているが、家にいるときは短い下スカートをつけているだけである。何人かりっぱな家のお母さん方が、この服装だけで少しも恥ずかしいとも思わずに、道路を横ぎり他の家を訪問している姿を私は見た。幼い子どもたちは、首から紐でお守り袋をかけたままの裸姿である。彼らの身体や着物、家屋には害虫がたかっている。独立勤勉の人たちに対して汚くてむさくるしいという言葉を用いてよいものならば、彼らはまさにそれである。(98頁)

ヨーロッパの多くの国々や、わがイギリスでも地方によっては、外国の服装をした女性の一人旅は、実際の危害を受けるまではゆかなくとも、無礼や侮辱の仕打ちにあったり、お金をゆすりとられるのであるが、ここでは私は、一度も失礼な目にあったこともなければ、真に過当な料金をとられた例もない。群集にとり囲まれても、失礼なことをされることはない。(117頁)

ほんの昨日のことであったが、革帯が一つ紛失していた。もう暗くなっていたが、その馬子はそれを探しに一里も戻った。彼にその骨折賃として何銭かあげようとしたが、彼は、旅の終りまで無事届けるのが当然の責任だ、と言って、どうしてもお金を受けとらなかった。(117頁)

彼らは礼儀正しく、やさしくて勤勉で、ひどい罪悪を犯すようなことは全くない。しかし、私が日本人と話をかわしたり、いろいろ多くのものを見た結果として、彼らの基本道徳の水準は非常に低いものであり、生活は誠実でもなければ清純でもない、と判断せざるをえない。(124頁)

日本の大衆は一般に礼儀正しいのだが、例外の子どもが一人いて、私に向かって、中国語の「蕃鬼」(鬼のような外国人)という外国人を侮辱する言葉に似た日本語の悪口を言った。この子はひどく叱られ、警官がやってきて私に謝罪した。(125頁)

日本人は子どもに対して全く強い愛情をもっているが、ヨーロッパの子どもが彼らとあまり一緒にいることは良くないことだと思う。彼らは風儀を乱し、嘘をつくことを教えるからだ。(136頁)

家の女たちは、私が暑くて困っているのを見て、うやうやしく団扇をもってきて、まる一時間も私をあおいでくれた。料金をたずねると、少しもいらない、と言い、どうしても受けとらなかった。彼らは今まで外国人を見たこともなく、少しでも取るようなことがあったら恥ずべきことだ、と言った。(148頁)

吉田は豊かに繁栄して見えるが、沼は貧弱でみじめな姿の部落であった。しかし、山腹を削って作った沼のわずかな田畑も、日当たりのよい広々とした米沢平野と同じように、すばらしくきれいに整頓してあり、全くよく耕作されており、風土に適した作物を豊富に産出する。これはどこでも同じである。草ぼうぼうの「なまけ者の畑」は、日本には存在しない。(153頁)

おいしい御馳走であることを示すために、音を立てて飲んだり、ごくごくと喉を鳴らしたり、息を吸いこんだりすることは、正しいやり方となっている。作法ではそのようなことをするようにきびしく規定してあるが、これは、ヨーロッパ人にとって、まことに気の滅入ることである。私は、もう少しで笑い出すところであった。(164頁)

どこでも警察は人びとに対して非常に親切である。抵抗するようなことがなければ、警官は、静かに言葉少なく話すか、あるいは手を振るだけで充分である。(183頁)

警察の話では、港に二万二千人も他所から来ているという。しかも祭りに浮かれている三万二千の人びとに対し、二十五人の警官で充分であった。私はそこを午後三時に去ったが、そのときまでに一人も酒に酔ってるものを見なかったし、またひとつも乱暴な態度や失礼な振舞いを見なかった。私が群集に乱暴に押されることは少しもなかった。どんなに人が混雑しているところでも、彼らは輪を作って、私が息をつける空間を残してくれた。(196頁)

朝の五時までには豊岡の人はみな集まってきて、私が朝食をとっているとき、私は家の外のすべての人びとの注目の的となったばかりでなく、土間に立って梯子段から上を見あげている約四十人の人々にじろじろ見られていた。宿の主人が、立ち去ってくれ、というと、彼らは言った。「こんなすばらしい見世物を自分一人占めにしてるのは公平でもないし、隣人らしくもない。私たちは、二度とまた外国の女を見る機会もなく一生を終わるかもしれないから」。そこで彼らは、そのまま居すわることができたのである!(199頁)

私はどこでも見られる人びとの親切さについて話したい。二人の馬子は特に親切であった。私がこのような奥地に久しく足どめさせられるのではないかと心配して、何とか早く北海道へ渡ろうとしていることを知って、彼らは全力をあげて援助してくれた。馬から下りるときには私をていねいに持ち上げてくれたり、馬に乗るときは背中を踏み台にしてくれた。あるいは両手にいっぱい野苺を持ってきてくれた。それはいやな薬の臭いがしたが、折角なので食べた。(207頁)

私の宿料は《伊藤の分も入れて》一日で三シリングもかからない。どこの宿でも、私が気持ちよく泊れるようにと、心から願っている。日本人でさえも大きな街道筋を旅するのに、そこから離れた小さな粗末な部落にしばしば宿泊したことを考慮すると、宿泊の設備は、蚤と悪臭を除けば、驚くべきほど優秀であった。世界中どこへ行っても、同じような田舎では、日本の宿屋に比較できるようなものはあるまいと思われる。(211頁)

日本の女性は、自分達だけの集まりをもっている。そこでは人の噂話やむだ話が主な話題で、真に東洋的な無作法な言葉が目立つ。多くの点において、特に表面に現れているものにおいては、日本人は英国人よりも大いにすぐれている。しかし他の多くの点では、日本人は英国人よりはるかに劣っている。このていねいで勤勉で文明化した国民の中に全く溶け込んで生活していると、その風俗習慣を、英国民のように何世紀にもわたってキリスト教に培われた国民の風俗習慣と比較してみることは、日本人に対して大いに不当な扱いをしたことになるということを忘れるようになる。この国民と比較しても常に英国民が劣らぬように《残念ながら実際にはそうではない!》英国民がますますキリスト教化されんことを神に祈る。(212-213頁)

しばらくの間馬をひいて行くと、鹿皮を積んだ駄馬の列を連れて来る二人の日本人に会った。彼らは鞍を元通りに上げてくれたばかりでなく、私がまた馬に乗るとき鐙をおさえてくれ、そして私が立ち去るとき丁寧におじぎをした。このように礼儀正しく心のやさしい人びとに対し、誰でもきっと好感をもつにちがいない。(249頁)

日本人の黄色い皮膚、馬のような固い髪、弱弱しい瞼、細長い眼、尻下がりの眉毛、平べったい鼻、凹んだ胸、蒙古系の頬が出た顔形、ちっぽけな体格、男たちのよろよろした歩きつき、女たちのよちよちした歩きぶりなど、一般に日本人の姿を見て感じるのは堕落しているという印象である。(292頁)

伊藤は私の夕食用に一羽の鶏を買って来た。ところが一時間後にそれを絞め殺そうとしたとき、元の所有者がたいへん悲しげな顔をしてお金を返しに来た。彼女はその鶏を育ててきたので、殺されるのを見るに忍びない、というのである。こんな遠い片田舎の未開の土地で、こういうことがあろうとは。私は直感的に、ここは人情の美しいところであると感じた。(340-341頁)




これが書かれたのは1880年代。
つまり既に日本は江戸時代を終えてしまっている。しかし、10年や20年くらいでそんなに地域の文化や人々が変わろう筈がない。

日本は治安が良く、人々は皆優しく、貧しいが人情が美しい。体格的には貧しいし欧州人とは比べられないほどに劣っているが、大変に働きものであるといった具合である。

キリスト教信者優位の目で見ていることは、前述の「逝きし世の面影」に記録されている当時の外国要人の目と同様で、彼らの文化を優位に見がちであることは否めないが、欧州のしかも女性が当時の日本の状況を記してくれていることは非常に貴重であり、忌憚のない感想は歴史的な意味があると思う。


■NHKに電凸して意見を伝えよう・会計検査院にもヨロ



ともかく、NHKは日本の放送局でありながら、これまでに幾度も反日的な放送を繰り返してきた。
籾井会長になってから、またNHK経営委員に安倍総理の息のかかった(失礼か)方々が何人もいらしていながら、まだこの体たらくに甚だ憤慨している。

「日本の実体以上のことを報道してくれ」と言っているのではない。

日本の歴史を改竄することなく、日本人に誇りの持てる歴史はそのまま報道すればいいではないか!

なぜ、日本を貶め支那朝鮮を持ち上げようとする?朝鮮の歴史を日本の歴史へと塗り替える?

それは、NHKには外国人職員が数多くいて、既に制作者側にそれらの人々が上がっており、恥ずかしい祖国の歴史を正視することが出来ない替わりに、世界の中でも誇らしい我が国の歴史へと塗り替え、日本人に誇りを持たせないようにすることで自尊心を保つということに他ならないではないか?


参考→【NHK終了のお知らせ】NHKに外国人職員がいる件、 民団新聞に証拠
http://hosyusokuhou.jp/archives/24075228.html






671 名前:名無しさん@13周年[] 投稿日:2013/02/20(水) 13:00:22.83 ID:sf9ujJQ20 [7/11]
総務省の人に質問した。
もしNHKに外国籍社員がいたら法律違反だってさ。

解体だってさ。

ここで教えてあげる。
総務省は、国民に放送法3条改正に賛成して欲しいと思っているとのこと。

今ね、総務省も調査できないほどNHKは滅茶苦茶なんだってさ。
放送法をたてにとって、何を聞かれても無視だって。

775 名前:名無しさん@13周年[] 投稿日:2013/02/20(水) 13:06:41.24 ID:sf9ujJQ20 [8/11]
そうだよ。
総務省の人が言うには、
NHKの番組内容には多々公共放送としてあってはならない偏向があると認識。

でも内容について踏み込めない。
なぜかというと放送法3条により、編成権の自由を主張するから。

つまりNHKが、俺らが正しい、俺らの編成の自由だ、
総務省ごときに何の権限も無い、消えろカス。って事らしいわ。

852 名前:名無しさん@13周年[] 投稿日:2013/02/20(水) 13:11:29.52 ID:sf9ujJQ20 [9/11]
放送法改正しないと、総務省は何も介入できないと聞きました。
NHKは放送法を盾に、勝手やっているとの事です。

951 名前:名無しさん@13周年[] 投稿日:2013/02/20(水) 13:17:52.92 ID:sf9ujJQ20 [11/12]
NHKの闇は根が深いと聞きましたよ。
会計検査院にも手を回しているようですよ。

NHKは物凄い数の関連会社を持っているじゃないですか。
きちんと会計検査院に仕事させないように、している。

国民の目や凸が会計検査院に向かったら、NHKは終わりだと思いますよ。

過去10年分の全ての資料と領収書でも国民が開示請求したらどうですか?
どれ位の逮捕者がでますかねえ。


700:可愛い奥様:2013/02/21(木) 07:10:06.65 ID:TJQObZ270
>>658
会計検査院
メールする

http://hosyusokuhou.jp/archives/24075228.html

これは電凸すべき事項である。何度もしなければ効果がないだろう。左翼側は組織的に反日活動を続けている。我々も一度や二度で「終わった」ではいけない。何度もやらなくてはならない。




NHKを終わらせられると言われた「会計検査院」はこちら。
参考→会計検査院
http://www.jbaudit.go.jp/




【拡散】必見!マスコミ対策【拡散】
放送法第4条
1.公安及び善良な風俗を害しない事
2.政治的に公平である事
3.報道は事実をまげないでする事
4.意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにする事
※日本の放送局は上記にすべて違反しているが、これまでは罰則がなかった。

ISO26000 JISZ26000
違法行為や違法行為を行っている企業(マスコミ)に対して、企業(スポンサー)は資金提供できない。
容認や継続をすれば、その企業も不適格企業(国際取引の輪から外される)となる。
企業統治 コーポレートガバナンス
違法行為の管理監督は、社長や執行役員などによる直轄案件となり、一般案件とは異なる扱いをしなくてはいけない。
またコーポレート・ガバナンスに関する重要な事項は、役員会などにかけると同時に、IRなどを通じて、公表し、再発防止策をとらなくてはいけない。

これまでの電凸と違う点
・直轄案件になるので、お客様窓口だけでは対応できない。
・再発防止策をとり、公表しなくてはならない。
※テレビの報道などでおかしいな?と思ったら、すぐに電話を!※

メディアへ:「コンプライアンスに違反している」「違法案件じゃないか?」
資金提供しているスポンサーへ:「調査を依頼します。再発防止はどのようにしてもらえますか?」

文 句 、ク レ ー ム で は 、 そ れ だ け で 終 わ り。
再 発 防 止 は ど の よ う に し て も ら え ま す か ? これが最後の言葉です。

日本よ!これからも世界のトップを走り抜こう!
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日本にはやはり教育勅語と国軍と自主憲法制定、失地回復が是が非。
お手通とは存じますが、いくつかのボタンを押していただきますと、
『普通の主婦が安倍政権を本当に切望してるんだ』ということが
皆々様にご理解戴け、お目に留まる可能性も増えて参ります。
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【大東亜戦争】英霊に感謝/日本人再生(original)

【硫黄島】忘れがたき壮絶な戦地/英霊に感謝と鎮魂
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私にしてはソフトな動画ですw。こんな日本を実際にこの目で見てみたかった。。。。
夢のような日本。かつて外国人が絶賛したのがわかります。

日本人の自虐史観払拭のための動画を自主的に制作しています(^^)。憂国の魔窟/護国道まっしぐら/愛国淑女の日本再生


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