「木村政彦を知っているか」そして「力道山が朝鮮人そのものだったことを知っているか」←後者は私見 | 憂国の魔窟/まつしたまさよの護国道まっしぐら

憂国の魔窟/まつしたまさよの護国道まっしぐら

日本には教育勅語を!自主憲法制定!自虐史観払拭!ギターボーカルで3つのバンドやってます。LED ZEPPELINのコアファン。4人子供。

↓護国道まっしぐらのページにお越し頂き、誠にありがとうございます!m(_ _)m
今日もみなさんのクリックに支えられています><♪皆さんがお楽しみ頂ける記事が書けるよう頑張ります!
ぽっちりお願いします。キラキラ

憂国の魔窟 護国道まっしぐら-人気ブログランキング~流星湘南堂←パソコン・スマートフォンから
人気ブログランキングへ
←ケータイから
ブログランキング←パソコン・スマートフォンから
ブログランキング
←ケータイから
にほんブログ村 政治ブログ 保守へ←パソコン・スマートフォンから
にほんブログ村 政治ブログ
←ケータイから

============記事はここから==========


たまに寄る近所の本屋に、気になる本があった。

「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」



力道山は知っている。日本のプロレスの元祖ヒーローといった人だろう。昔の雑誌に、子供を片腕にのせた力道山が表紙に使われたのを見たことがあった気がする。

【戦後の日本のヒーローとして、人々に愛された力道山。】しかし、それは後で、少々違ったことを知る。力道山は朝鮮人だった。まぁ、それは良い。朝鮮人だって日本人のヒーローになっていけないことはなかろう。

と、ここまではこれまでの私の認識だ。しかし、それも微妙に違っていたことを今知った。

そもそも、この本の題名に「殺さなかったのか」という物騒な文言が使われている理由が不審である。力道山は、子供を含めた日本国民のヒーローではなかったか?なぜ「殺されなければならない」理由があったのか。それは、単純に無知故のこと。今になって、その題名の意味も、力道山の人間性も、そして木村政彦という日本人のこともわかったところも多いし、大変に興味が湧いた。是非この本を買おうと思う。



折しも、オリンピックのメダルラッシュに沸く日本。
しかし、お家芸の『柔道』に金メダルは無かった。とれなかった。なぜ取れなかったか?欧米優位のルール変更のためだろうか?

それもあるだろう。しかし、そればかりではないかもしれないことに気がついた。欧米優位になるかもしれないことは、とっくの昔にわかりきっていたこと。それを見越して死にものぐるいの練習をしなければならなかったのではないか?


かつて「「史上最強の柔道家」と呼ばれた男がいた。「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」と讃えられ、今の柔道家にも最大限の経緯を評される男。それが、木村政彦であった。
憂国の魔窟/護国道まっしぐら/愛国淑女の日本再生-木村政彦 若

昭和12年から全日本選士権さん連覇を保持、皇紀二千六百年記念行事(昭和15年)の天覧試合でも五試合すべてを一本勝ちという驚異的な強さで優勝した。15年間にわたり不敗のまま現役を引退した。

詳しいことはWikipediaに譲るとして、ともかく桁外れのパワーと真似の出来ない程に濃密でしかも脅威的な練習量により、彼の強さは追随を許さぬ程であったと言う。そして、その闘う姿勢も並外れた精神力と潔さであり、なんと「負けたら切腹する覚悟で」臨み、実際試合の前日には切腹の練習をし、その覚悟のもとで試合をし続けたと言う。圧倒的な強さ故、腹切りはしなかったが、もし仮に負けていたとしても、彼は実際に原機を行っただろう。

そんなに強かった彼であるが、運命のいたずらは戦後すぐに始まる。GHQの通達により、武道の「柔道」等が日本人の闘う意欲やDNAを呼び覚ます事を恐れ、柔道を含む武道はまるごと戦後暫くは禁止されていた、そのために、木村政彦は人生の選択肢を他に見つけざるを得なくなるのだ。
とは言え、敗戦後の昭和24年には全日本選手権は開かれ、ここで彼は優勝はした。優勝はしたが、家族を安なうために、闇屋をやるなどし、練習不足の中での優勝だったらしい。

憂国の魔窟/護国道まっしぐら/愛国淑女の日本再生-木村政彦 老



少し端折ってきたが、この間はWiipediaや紹介した動画をご覧いただくとよりわかりやすい。
師匠の牛島辰熊にプロ柔道家に誘われ、後に巡業に出る時期も続くが、客足は次第に衰え、スポンサーの経営不振などもあり、生活はジリ貧状態だったようだ。その上、妻が肺病になり、その治療費を稼ぐためにハワイに飛び、柔道巡業の要請に応じたりもする。とにかく、戦後は『生きるために、得意の柔道をどう生かしていくか』ということが、木村政彦の行動の規範になっていくのだ。そして、柔道家としてではなくプロレスラーへと転身も余儀なくされることになる。

伝説のグレイシー柔術創業のエリオ・グレイシーとも対戦し、2R開始3分で大外刈りから腕がらみ(キムラロック)をかけ、エリオを骨折させ、エリオはタオルを投げられ完敗したと言う。それほどまでに強かった木村政彦である。しかし、プロレスラーへの本格的な転身を経て、ある人物と関わることで、人生は予想も出来ぬ不遇の坂を一気に転がり落ちていくことになるのだ。

その人物とは、力道山。

憂国の魔窟/護国道まっしぐら/愛国淑女の日本再生-力道山
前述したように、彼は日本国民のヒーローで、しかも類いまれな才能のある格闘家。強さと誠実さを持つ完璧なヒーローなのだろうと、私は彼のことを認識していた。

人の良さそうな笑顔。変な髪型だとは思っていたが、決して悪人ではないその外見から、勝手にヒーロー像を作り上げていたのかもしれない。


しかし、彼は根っからの朝鮮人だった。今でも生前の力道山の性質を述べる生き証人もいる。それはwikipediaから引用したい。



力道山の人間性逸話
---引用はじめ-----------------------------------------


性格的には粗暴で、感情の起伏が激しかった。機嫌が良いときはボーイに1万円(当時の1万円は相当な額である)のチップを渡すこともあったが、機嫌が悪いと飲食店での暴力沙汰は日常茶飯事であり、そのつど金で表ざたになるのを防いだ。1957年(昭和32年)10月18日の『読売新聞』朝刊や、同年12月5日の『朝日新聞』夕刊に「力道山また暴れる」と報道されたこともあった。可愛がられたという張本勲は、飲むと暴れて大きな手で木やガラスのテーブルを叩いて割る、薄いガラスのコップを美味しいと言って食べてた、などと話している。

山田智彦(作家)「力道山は確かに純粋で人の良い一面も持っていたし、笑ったときの表情など忘れがたいものがあるが、それはほんの表面だった。猜疑心の強さ、傲慢さ、酒癖の悪さ、金銭への執着など、調べれば調べるほど一ファンとしては戸惑うことが多い」

ジャイアント馬場(プロレスラー)「人間として何一つ良いところの無い人でした」

山本小鉄(プロレスラー)「とにかく気分屋で、(力道山)先生が帰ってきたら部屋の電気を消して寝たふりをするか、風呂場や物置に隠れるしかない。万が一顔を合わせたが最後、猫がネズミをいたぶりつくすように虐められるんです」

古賀政男(遠藤幸吉を介して知り合った作曲家)「力道山は直情径行で竹を割ったような性格。しかし頑固で人の意見を聞かないところがあった。話題の多いスポーツマンらしい、大粒の人物だった」

このような粗暴な性格のため、多数のトラブルを引き起こしている。例をあげると山口組ともめて監禁寸前にまでなったり、安藤組に対して誠実な対応を取らなかったため付け回され家に帰れなくなったり、フィリピンマフィアの顔役を橋から川に投げ込み揉めるなど、当時のプロレス興行がヤクザと密接な関係にあるにもかかわらず、配慮に欠けた行動を繰り返したため、命を狙われることも多かった。どうも力道山は酒を飲んでのトラブルが多かったようで、暴力団山口組組長田岡一雄は「酒を飲まなければ・・・」と自伝で嘆いている。
力道山本人も自身の性格がよくわかっていたのか、猟銃を合法的に数丁所持し、また妻の自伝によると拳銃まで所持しており、趣味の他、護身も兼ねての所持だったと思われる。

弟子教育
力道山の死後プロレス界を支えた両巨頭であるジャイアント馬場、アントニオ猪木も彼の弟子であった。力道山は、プロ野球出身で知名度もあり、肉体的に恵まれていた馬場をスター候補としてデビュー当時より特別扱いしていたが、猪木への対応は「靴べらで顔を殴る」「飼い犬を番犬として教育する際の実験台にする」「少年の猪木に一升瓶の日本酒を一気飲みさせる」「意味もなくゴルフクラブをフルスイングして側頭部を殴打する」「灰皿を投げつける」など、極めて冷酷なものであったと言われている(猪木自身が一部語り、古いスポーツ紙の記者もそれを書いている。近年でも、当時は本気で殺意を覚えたと語る事も)。その一方で、弟子の中で、力道山が本心から一番可愛がっていたのは馬場でも猪木でもなく、同じ朝鮮民族出身の大木金太郎であったともいう。


---引用おわり-----------------------------------------

とまぁ、あまりに黒いヒーローだ。今では「力道山は朝鮮人」というのは誰もが知っている事実だろうが、当時はまだその事実は伏せられていた。しかし、後年に韓国に凱旋帰国をした歳に、新聞にでかでかと「故郷に帰る」などと書かれたものだから、忽ち烈火の如く怒りだしたらしい。彼の肝っ玉の小ささがよくわかるエピソードである。


そして、問題の「木村政彦 対 力道山」の動画。当時は「昭和の巌流島」と呼ばれ非常な話題になったようだ。(昭和29年12月22日)奇跡に近く、今でも動画も残っていて、youtubeでも一部がご覧頂ける。格闘技好きな方ならもしかしたらご存知かもしれないが、格闘技のなんちゃらもわからない私のような人間は、勿論初めてであり、大変に驚いた。見ているだけで自分が殴られているかのような痛さを感じる動画である。

これは酷い。( ̄□ ̄;)


君は木村政彦を知っているか 8-7
http://www.youtube.com/watch?v=POgQkQN4_os&feature=relmfu
(その動画は、こちら。是非他の動画もご覧になってくださいね。下にあります)

当時のプロレスも、興行は八百長。興行上うまく見せ場を作るべく、話し合いによって勝敗が決められていく。しかし、そういった暗黙の了解は、当時の視聴者はマスゴミにはあまり知られていなかった。この試合で木村政彦がメタメタに負け、彼は惨い負け方をした敗者として人々の記憶に刻まれ、対して力道山は国民的なヒーローになる。偶然に力道山の急所を蹴り上げたことを契機に、予定調和な試合を続ける筈だった力道山が途端にキレまくり、殺人的な技を繰り出していく。意図的にかそうでないかは不明だが、現存する動画には、木村政彦優位な場面は残されておらず、後半のリンチのような力道山からの一方的な応酬が長くのみである。動画をご覧頂ければおわかり頂けるが、木村政彦側は。約束と違う猛攻をふいに力道山が始めたことに不意を突かれ、少し狼狽していたようだ。しかし、そんな虚をつく場面も見逃さず、昭和の汚れたヒーロー:力道山は憤怒に駆られたように、ひたすら殺人的な攻撃を木村にし続けていくのである。

これを見て、力道山ってヤツはすごいなぁ。人間じゃないなぁ。と思った。こんな理不尽な反撃を喰らい、マットに沈められ無念の敗北を喫した木村政彦は、その後の人生も大きく脇に逸れてしまったようだ。

約束を反故にし、自らの栄誉を傷つけた力道山を殺すことで決着させようとしても無理は無い。私には、その木村政彦の気持ちは理解が出来る。そういったエピソードがあっての、先ほどの本の題名『木村政彦はなぜ力道山を殺せなかったのか』なのだ。是非、この本は読んでみたい。かつてこの件について様々な人物が描いたことがあったらしいが、木村政彦側の観点から書いたものはあまり無かったようだ。


私でよければ、彼の汚名が返上できれば、何度でも紹介させて頂きたい。



木村政彦氏も、人生の順当なレールから外されたのように見える晩年だったように思えるが、彼を慕う柔道家は未だに多い。それだけでも、少しは暗く沈んだ気持ちが晴れるような気持ちが芽生える。


方や、力道山もその粗暴な性格や酒癖の悪さや、ヤクザとの交友関係などから、何度も命の危険があったらしい。勿論、命を狙われかけたことも多々あったろうし、それについては同情はしない。朝鮮人らしい生き様ではないか!などと言ったら、亡くなった方に対して不謹慎だと批判されるかもしれないな。

力道山の亡くなり方も、ヤクザに刺されたことが原因だと言う話もあれば、いやそれは違い、ヤクザに自分から喧嘩を吹っかけて殴りに殴って、相手の顎をぼろぼろにするなどしたため、ヤクザに「殺されるかもしれない」という危機感を煽らせた上の怪我だったらしいが、これが致命傷なのではなく、実際は、手術後に医者から止められているにも関わらず、病院で寿司やアルコール、炭酸などをたらふく食べた上の傷の悪化が元で亡くなったという話もある。



とても愛すべきヒーローとは思えない。こんなヤツに、日本人は今まで「昭和のヒーロー」だったとだまされてきたのかと、恐ろしく怒りを覚える。今も韓流上げ気味のマスゴミだが、当時はまだ朝鮮勢力はマスゴミの中枢には入り込んでいなかったろうから、おそらく「同胞への批判記事は朝鮮人への差別だ」だのという恫喝が功を奏した結果なんだろう、と私は個人的に考える。


「八百長に手を貸した時点で、木村も悪い」と言う人もあるかもしれない。
しかし、戦後皆が貧しく、国も敗戦間際で、とにかく生きていくだけで精一杯。自分一人ならまだなんとかなるが、彼には病気の妻がいた。家族を養わなければならないとなれば、たとえ見せ物興行のプロレスだろうと、とにかく食い扶持を見つけなければならなかったというのがわかるかな?現代とは全く違う差し迫った理由があったのだ。今の尺度でものを見てはいけない。



彼がもし昭和のあの時代に活躍していなければ、もっと彼は評価されて良かったかもしれないし、不遇な時代を過ごさずに、「木村政彦こそ柔道の英雄だ」と賞賛され続けていただろう。



wikiより死後の評価

---引用はじめ-----------------------------------------

プロとしての活動期間があるため、後に柔道界に復帰し、母校拓殖大学の指導をした後も、講道館は最後まで木村を七段から昇段させず、柔道殿堂にも入れていない。

いずれにしても、当時のことは、後年木村氏本人も奥様も話さなかったのだから、木村氏本人の気持ちも真相も薮の中なのだ。

---引用おわり-----------------------------------------


貴重な動画がyoutubeにあったので、紹介させて頂く。
長いが、是非ご覧頂きたい。
かつて、真面目に勝負に取り組んできた素晴らしい柔道家が、鬼畜の朝鮮人レスラーに約束を破られ、人生を狂わされた事実を知り、きっと嗚咽するかもしれない。。。。。

朝鮮人は今も昔も、勝つためにはどんなエゲツナイことも平気でする生き物。


君は木村政彦を知っているか 8-1
http://www.youtube.com/watch?v=JzitL_UOd6M


君は木村政彦を知っているか 8-2
http://www.youtube.com/watch?v=1Lq3ddb3NkI&feature=relmfu


君は木村政彦を知っているか 8-3
http://www.youtube.com/watch?v=YDHrgQyU8cY&feature=relmfu


君は木村政彦を知っているか 8-4
http://www.youtube.com/watch?v=649mGMM_ZaA&feature=relmfu


君は木村政彦を知っているか 8-5
http://www.youtube.com/watch?v=V3l_HWIdi-c&feature=relmfu


君は木村政彦を知っているか 8-6
http://www.youtube.com/watch?v=JKqrHLSMMpg&feature=relmfu


君は木村政彦を知っているか 8-7
http://www.youtube.com/watch?v=POgQkQN4_os&feature=relmfu


君は木村政彦を知っているか 8-8
http://www.youtube.com/watch?v=Tynwi841XME&feature=fvwrel








木村政彦 わが柔道


わが柔道―グレイシー柔術を倒した男 (学研M文庫)
憂国の魔窟/護国道まっしぐら/愛国淑女の日本再生
うわ。。朝鮮人同胞としては、パチンコ業界は力道山をタダで置いておく筈がありませんわね。


JWA - Rikidozan vs Masahiko Kimura 22.12.1954
http://www.youtube.com/watch?v=lxpljYPgZYA




吉田豪が語る「木村政彦のバンカラ」に小島慶子どん引き
http://www.youtube.com/watch?v=x0HKhOy4jNQ


力道山死の真相(wikiより)
---引用はじめ-----------------------------------------


女性と話していた力道山の横を暴力団員村田勝志が通り掛る際、力道山が「足を踏まれた」と、後ろから村田の襟首をつかんだ。村田は踏んでいなかったので、「踏んだ覚えはない」と反論するが、口論となり、「あんたみたいな図体の男がそんなところに立っていたらぶつかって当然」と言い放つ。この時、村田は懐中に手をやる。それを見て、刃物を取り出すのではないかと思った力道山が、「わかった。仲直りしよう」と言い出す。それに対し村田は「こんな事されて俺の立場がない」と仲直りを拒否。和解を諦めた力道山は村田の顎を拳で突き飛ばし、壁に激突した村田は顎がガクガクになった。さらに力道山は村田の上に馬乗りになり激しく殴打する。村田は「殺される」と思い、ナイフを抜いて下から左下腹部を刺した。ナイフの刃は根元まで刺さったが、出血は衣服の上に染み出ていなかったという。
(略)
2日目に症状が悪化したため入院、外科医に山王病院へ来てもらい30針縫う手術を受け成功。(略)
7日目に腹膜炎による腸閉塞を理由に午後2時30分再手術。これも成功したと報告されるが、その約6時間後午後の9時過ぎに力道山は死亡した。死因は正式には穿孔(せんこう)性化膿性腹膜炎とされている。
しかしながら他にも諸説ある。
ある説は、手術の際、麻酔を担当した外科医が、筋弛緩剤注射した後に気管内チューブの気管挿管を失敗し窒息したという医療事故のためという。(略)
また他の説は力道山の腹膜炎はほぼ完治に近い状態まで回復していたが、腹膜炎を患っている期間は食事は勿論のこと、水の服用も厳しく制限される状態にあった。ところが食欲が非常に旺盛であった力道山は、空腹に耐えきれず、付き人に行きつけの寿司屋に寿司を注文するように命令し、序でに酒も買わせた。届けられた寿司と酒を飲食して空腹感を抑えた力道山であったが、飲食した生ものである寿司やアルコールが完全に完治しきっていなかった患部に障り、これを以って病状が急変、急死したという。力道山が最初の手術後、サイダーやコーラ等を飲用しているのを目にしたという者は多く、上記のようなこともありうる話だが確証はない。



---引用おわり-----------------------------------------

日本よ!これからも世界のトップを走り抜こう!
--------------------------------------------------------------------
日本にはやはり教育勅語と国軍と自主憲法制定、
失地回復が必要だと思う方は、ぽちっと応援お願いします。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
憂国の魔窟 護国道まっしぐら-人気ブログランキング~流星湘南堂←パソコン・スマートフォンから
人気ブログランキングへ
←ケータイから
ブログランキング←パソコン・スマートフォンから
ブログランキング
←ケータイから
にほんブログ村 政治ブログ 保守へ←パソコン・スマートフォンから
にほんブログ村 政治ブログ
←ケータイから
↑いつもご覧頂きありがとうございます!m(_ _)m
今日もみなさんのクリックに支えられています><♪


憂国の魔窟 護国道まっしぐら
流星湘南堂プロフィール

サンダル過去にはこんな記事を書いています右矢印右矢印右矢印過去の記事一覧

--------------------------------------------------------------------
流星湘南堂制作愛国動画拡散♪
応援よろしくお願いします!↓

【侍ニッポン】日本人よ気概たれ!TPPは現代の黒船、不平等条約だ!

【大東亜戦争】英霊に感謝/日本人再生(オルゴール)

【大東亜戦争】英霊に感謝/日本人再生(改訂版)

嵐 Green    日本再生バージョン

南京大虐殺は捏造だった/自虐史観払拭

【硫黄島】忘れがたき壮絶な戦地/英霊に感謝と鎮魂
祝!HD版で動画復活!

私にしてはソフトな動画ですw。こんな日本を実際にこの目で見てみたかった。。。。
夢のような日本。かつて外国人が絶賛したのがわかります。

世界各国との情報戦を、我々一般の日本国民がネットで戦うのです!
どうぞまたご覧になって下さいね。

゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆
ハートClubTにTシャツショップを作りました。
憂国の魔窟/護国道まっしぐら/愛国淑女の日本再生-clubTバナー
Tシャツ屋はじめました。覗いて下さると嬉しいですニコニコhttp://clubt.jp/shop/S0000034310.html