かたみ歌/朱川湊人 | もん・りいぶる21(21世紀のレビュー三昧)

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雑食性のレビュー好きが、独断と偏見でレビューをぶちかまします。

古今東西の本も音楽も映画も片っ端から読み倒し、見倒し、ガンガンレビューをしていきます。

森羅万象系ブログを目指して日々精進です。

2008年 新潮社(新潮文庫)


「Always三丁目の夕日」の原作もずいぶん昔の商店街の生活を描いた作品だったが、個人的にはあの雑誌で唯一ネグレクト対象としていた漫画だった。

庶民性を履き違えると陳腐の塊になり、それを繰り返すとマンネリズムを超えた不快さを呼ぶからだ。
あの雑誌の中の盲腸のような存在だったから、あっても仕方なしに雑誌は買うがないことにしているから読まない、そんな扱いだった。
当然その映像化作品も大嫌いといいつつ映画を観て嘔吐。
これは個人的な感想のブログだからここまで書くのも自由だろう。
お好きな人は好きだろうが。

と、そんな古い庶民の話を嫌っていそうな雰囲気を作っておきながら、ずいぶん時代背景も舞台仕立てもよく似たこの小説にはシンミリと引き込まれるのだから、細かなニュアンスの違いやマンネリに堕しない誠実さがやはり欠かせない要素なのだと思う。

舞台は東京の下町アカシア商店街。
そこで起きる7つの小さな事件が連なる短編集なのだが、推理仕立てや幽霊譚などバリエーションも豊かで飽かせることがない。
この工夫こそがこの小さな商店街から誰の頭の中にも残っている自分自身の商店街につながるのだろう。
いまや、日本全国の商店街がことごとく崩壊していて、そこにある生活も人生もガランドウやら閉まりっ放しのシャッターのように否定されて、無残な姿を晒していて、時代の移り変わりの過酷さをしみじみと感じてしまうのだが、本書にもその片鱗がきちんと覗く。

この今に繋がる、という設定がもうひとつの活写の理由なのだろうか。
今はなくなってしまったものへの惜別の思い。
人は人に、人はモノに、人は街に、それぞれの思いを託しつつ日々を過ごしているから、それらが今の自分にきちんと繋がる痕跡を魅せられるとなおさら惜しく感じてしまう。

今はなくなってしまった店。ここでは主人公格の古書店だが、その不在に惜別の情を感じるならば、今ある身近な商店街に出向いて、キャベツでもトマトでもコロッケでもパンツでもマンツーマンの対面販売で買おうではないか。

惜しむなら、今、自分自身ができることを通してその悲しみを増やさぬよう行動で示すしかない。