モンゴルだるま@モンゴル語通訳・エコツーリズム普及仕掛け人兼業遊牧民です。
先週の土曜日(2012年3月31日)に春営地(ハバルジャーХаваржаа)にお引越ししました。
急激に暖かくなり、飲み水に使っていた雪が融けて消えるギリギリのところで、なんとかお引越し、間に合ったー!
また山羊の出産前に平地に引っ越せたのもよかったです。
ほんとは羊も4月になってから出産するように、交尾期を11月すぎに設定していたはずなのに、去年生まれた子羊のチェリーボーイを去勢しそこなったため、そいつが、夏中、あっちこっちの御姉さまに「のっかっていた」ため、11月末から出産が始まってしまいました。(羊の妊娠期間は約5-6ヶ月)
そのため、放牧中の雪の中で産み落とされたとき、たまたま人が近くにいなかったりすると、そのまま凍死しちゃったり、肺炎や風邪を患って虚弱体質になったり、衰弱した母羊の乳の出が悪いなどで死んじゃったりします。今回の冬はわりとがんばって準備したのに6頭ほど(多分、トータルで10頭は死ぬんだと思います)既に失っています。
都会での仕事も貴重な現金収入源であるため、ほったらかしにもできず、遊牧民に委託契約を結んで世話をお願いしているのですが、今、奥さんが身重でちょうど真冬が妊娠2-4ヶ月となってしまい、悪阻とか貧血とか体調不良であまりちゃんと放牧できていなかったみたいです。
人間の生活も大事ですが、ほんと、モンゴルの越冬の厳しさを感じます。
でもって、身重の山羊も身重の奥さんも、アップダウンが激しい山の中にある冬営地で子ヤギの世話をするのは大変だ、ということで、はやく平地に行きたいって焦っていたのでした。
ちなみに冬いたところはこんなところ。
で、今回引っ越したところはこんなところ。
なーんもないただの平地。
引越しで最初に移すのは家畜囲い。
夜はこの囲いの中に羊や山羊を入れておきます。
ほかにちょっと離れたところにたたみ2畳分くらいの子牛囲いも作ります。
実はまだ終わっていません。
まず物置きとして使っていた、オラーナ君の自宅ゲルを建てました。
後ろで家具がほっぽり出されているあたりに私の持ち家ゲルが建ちます。
この日は3月30日。風が強すぎて、ゲルを建てられず、オラーナゲルに避難中。
本当は、風が強いところでカシミア採りなんかしたくないから、冬営地で5月までいて欲しかったのです。
でも、オラーナ君がとにかく平地にこだわり、「夏営地の近くにあった廃屋の家畜小屋のあたりに移る」と主張したので、私もしぶしぶ納得・・・
ところがこの廃屋、他にも目をつけていた人たちがいたみたいで、既に誰かに使われてしまっていました。
そんなわけで、こんな何にもない、ふきさらしのところにポツネンと引っ越すことに。
ちなみに冬はカザフ人一家、オラーナ夫妻、ゴビアルタイ出身の赤の他人のおじさん一家の3世帯で同じところで越冬していたのですが、春の移動はカザフ人一家は別のところに移ることになりました。
で赤の他人のおじさん一家は、家畜は牛中心で男手がおじいさんだけってことで、若いオラーナ君に牛や馬の放牧を負かせ、女子供でも世話ができる羊・山羊をオラーナ君奥さんと同世代の娘さんが交代で放牧するって作戦を取ることになったようです。
水は、近くに農場が多く、個人所有の深井戸(モーターで水をくみ上げる)が点在しているので、水質検査を受けた井戸の水を分けてもらっているそうです。
夏営地とはそれほど離れていません。
といっても、夏営地も去年とは違うところを使う予定のようです。
草と水と人間の居心地と携帯電話が安定的に使えるかどうか、といった条件を満たす場所をみつけて、点々とする・・・
ほんと、遊牧生活って引越し文化なんですね。
ちなみに次の冬営地は、オラーナ君名義で地元の村役場から冬営地権をもらった場所があるそうなので、そこに新たに家畜小屋を移築し、家畜の寝床となるホルズと呼ばれる乾燥させた家畜糞を設置することになります。
で、4月1日の初日帰り乗馬ツアーは、ほんとはこうした「遊牧民の引越し文化と春の兆し」を感じる旅にする予定だったのです。
春営地を拠点に、次の夏営地、秋から使う新しい冬営地、古い2011-2012年の冬に使った冬営地をめぐり、立地条件なんかを説明しつつ、体感してもらおう、なんて思ってたのですが、春の馬との旅は予想外な方向に・・・

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先週の土曜日(2012年3月31日)に春営地(ハバルジャーХаваржаа)にお引越ししました。
急激に暖かくなり、飲み水に使っていた雪が融けて消えるギリギリのところで、なんとかお引越し、間に合ったー!
また山羊の出産前に平地に引っ越せたのもよかったです。
ほんとは羊も4月になってから出産するように、交尾期を11月すぎに設定していたはずなのに、去年生まれた子羊のチェリーボーイを去勢しそこなったため、そいつが、夏中、あっちこっちの御姉さまに「のっかっていた」ため、11月末から出産が始まってしまいました。(羊の妊娠期間は約5-6ヶ月)
そのため、放牧中の雪の中で産み落とされたとき、たまたま人が近くにいなかったりすると、そのまま凍死しちゃったり、肺炎や風邪を患って虚弱体質になったり、衰弱した母羊の乳の出が悪いなどで死んじゃったりします。今回の冬はわりとがんばって準備したのに6頭ほど(多分、トータルで10頭は死ぬんだと思います)既に失っています。
都会での仕事も貴重な現金収入源であるため、ほったらかしにもできず、遊牧民に委託契約を結んで世話をお願いしているのですが、今、奥さんが身重でちょうど真冬が妊娠2-4ヶ月となってしまい、悪阻とか貧血とか体調不良であまりちゃんと放牧できていなかったみたいです。
人間の生活も大事ですが、ほんと、モンゴルの越冬の厳しさを感じます。
でもって、身重の山羊も身重の奥さんも、アップダウンが激しい山の中にある冬営地で子ヤギの世話をするのは大変だ、ということで、はやく平地に行きたいって焦っていたのでした。
ちなみに冬いたところはこんなところ。
で、今回引っ越したところはこんなところ。
なーんもないただの平地。
引越しで最初に移すのは家畜囲い。
夜はこの囲いの中に羊や山羊を入れておきます。
ほかにちょっと離れたところにたたみ2畳分くらいの子牛囲いも作ります。
実はまだ終わっていません。
まず物置きとして使っていた、オラーナ君の自宅ゲルを建てました。
後ろで家具がほっぽり出されているあたりに私の持ち家ゲルが建ちます。
この日は3月30日。風が強すぎて、ゲルを建てられず、オラーナゲルに避難中。
本当は、風が強いところでカシミア採りなんかしたくないから、冬営地で5月までいて欲しかったのです。
でも、オラーナ君がとにかく平地にこだわり、「夏営地の近くにあった廃屋の家畜小屋のあたりに移る」と主張したので、私もしぶしぶ納得・・・
ところがこの廃屋、他にも目をつけていた人たちがいたみたいで、既に誰かに使われてしまっていました。
そんなわけで、こんな何にもない、ふきさらしのところにポツネンと引っ越すことに。
ちなみに冬はカザフ人一家、オラーナ夫妻、ゴビアルタイ出身の赤の他人のおじさん一家の3世帯で同じところで越冬していたのですが、春の移動はカザフ人一家は別のところに移ることになりました。
で赤の他人のおじさん一家は、家畜は牛中心で男手がおじいさんだけってことで、若いオラーナ君に牛や馬の放牧を負かせ、女子供でも世話ができる羊・山羊をオラーナ君奥さんと同世代の娘さんが交代で放牧するって作戦を取ることになったようです。
水は、近くに農場が多く、個人所有の深井戸(モーターで水をくみ上げる)が点在しているので、水質検査を受けた井戸の水を分けてもらっているそうです。
夏営地とはそれほど離れていません。
といっても、夏営地も去年とは違うところを使う予定のようです。
草と水と人間の居心地と携帯電話が安定的に使えるかどうか、といった条件を満たす場所をみつけて、点々とする・・・
ほんと、遊牧生活って引越し文化なんですね。
ちなみに次の冬営地は、オラーナ君名義で地元の村役場から冬営地権をもらった場所があるそうなので、そこに新たに家畜小屋を移築し、家畜の寝床となるホルズと呼ばれる乾燥させた家畜糞を設置することになります。
で、4月1日の初日帰り乗馬ツアーは、ほんとはこうした「遊牧民の引越し文化と春の兆し」を感じる旅にする予定だったのです。
春営地を拠点に、次の夏営地、秋から使う新しい冬営地、古い2011-2012年の冬に使った冬営地をめぐり、立地条件なんかを説明しつつ、体感してもらおう、なんて思ってたのですが、春の馬との旅は予想外な方向に・・・

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