モンダンヨンピル第5授業でイ・ジサン共同代表が寄付の話をされました。

その中で、タイからの寄付の話がありました。

この方は従軍慰安婦被害者のノ・スボックお婆さん。

この話が発表されると、会場は厳かな雰囲気に包まれました。

ノお婆さんは、ご自身が生活費からためたお金を、在日のウリハッキョに使ってくださいと、5万バーツものお金を寄付して下さいました。

なんと、感動的な話でしょうか。

お婆さん達が、今までどれだけのご苦労の中を生きてこられたのか、我々が想像すらできません。

長い間祖国にも戻れず、タイで生活されてきたノお婆さん。

お婆さんが、大切に、大切に貯めた、貴重な、貴重なお金です。

何と感謝を言ったら良いのか言葉さえ見つかりません。

また、この場には日本の従軍慰安婦被害者で、この度の大震災で被災されたソン・シンドお婆さんも参加されています。
ご自身の悔しい思いを語られています。

統一ニュースの記事と共にお伝えいたします。

慰安婦被害者ノ・スボクお婆さん、在日朝鮮学校への資金提供-もう一つの感動的な話

モンダンヨンンピル第5授業のコンサートでイ・ジサン共同代表が、これまでに寄付してくださった方々を紹介する場がありました。

インターネットチャリティーオークション、イッグルリン事業をしているミディアレ、韓国初の陶磁器博士のジョン・ジョンヒョク博士の展示会「ホンチョンモク世界を開く」での収益金、韓国最高のB - BOYグループ「ラスフォーワン」の公演の募金などを紹介しました。

その後、しばらく呼吸を整えてから発表された話がありました。
みんな粛然とする話でした。

花の様な年頃に慰安婦として連行され、日本軍の性奴隷として生きて、解放されると、祖国に戻ってくることができず、そのままタイに滞在し、残りの余生を暮らしていたノ・スボクお婆さんが地震で大変な状況に置かれた朝鮮学校へ5万バーツを寄付されたという内容でした。

解放がされてから60余年が過ぎた今でも、お婆さん達の恨(ハン)から解放することができない私たちは、瞬間、心の片隅の恥ずかしさと、それよりも大きな感動をどうすることができませんでした。この伝達式に行ってきたクォン・ヘヒョ代表におかれましても、再びこの場を借りて感謝のあいさつを伝えてくださいました。

ノ・スボクおばあちゃん!長く長くお元気で。

以下の関連記事を添付します。


モンダンヨンピルcaffe
▲日本軍「慰安婦」被害者のノ・スボックお婆さんが自身が集めた生活費5万バーツを在日朝鮮学校支援団体に伝達した。(写真-統一ニュース チョ・ジョンフン記者)

日本軍「慰安婦」被害者のノ・スボクお婆さんが東北の大地震で被害を受けた在日朝鮮学校の学生のための資金を寄付した。

13日午後、ソウル・ヨンジドン韓国教会100周年記念館で伝達式が行われた。

この日のノ・スボクお婆さんは、自分が大切に集めた生活費5万バーツ(約180万ウォン)を「日本の地震被害、朝鮮学校と一緒にする人々 - モンダンヨンピル」に届けた。

基金を伝達された「モンダンヨンピル」共同代表のクォン・ヘヒョ氏は、「大切なお金である。大きな助けになるだろう」とし「在日朝鮮学校のためのモンダンヨンピルも、私たちの民族と国家が覚えていないことを記憶し、忘れないための活動している。長い年月苦しんで悔しさの中にある日本軍「慰安婦」のおばあさんたちも忘れないように努力する」と感謝の意を伝えた。

ノ・スボクお婆さんは、クォン・ヘヒョ共同代表に資金を提供し、ずっとタイ語で「気分がいい」と話した。

ノ・スボクさんは1921年、慶尚北道安東生まれで1942年の釜山ヨンド橋近くの井戸端で洗濯していた時、強制連行、1945年までにシンガポール、タイなどの地で日本軍慰安婦生活を強要された。その後1945年に国連軍の捕虜収容所で生活して脱出、これまでにタイに居住している。

ノ・スボクさんは1988年当時ユン・ジョンオク全大協共同代表との出会いを通じて、日本軍「慰安婦」だったことが明らかになった。当時、国内で日本軍「慰安婦」として初めて明らかになった彼女達は、日本、沖縄ベ・ボンギお婆さんとタイのノ・スボクお婆さんだけだった。

お婆さんは1984年、1991年に続き、今年三回目に祖国を訪問し、訪問期間中に在日朝鮮学校を助けたいという意思を明らかにされた。

これに先立ち、日本の東北の地震で被害を受けたソン・シンドお婆さんも、記者会見で訪韓所感を明らかにした。

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▲ソン・シンドお婆さん。 [写真 - 統一ニュース チョ・ジョンフン記者]

ソン・シンドお婆さんは、「悔しい気持ちを言うこともできなく、韓国に行って日本政府にわからせるために来た」とし、「朝鮮の女性を「慰安婦」として過酷に扱っておいて、今は関心がない。その心が憎い」と心情をと述べた。

彼女は「今、私の背中には、当時、日本軍に斬られた刀の跡がある。彼らは、獣以下だった」とし「日本政府が解決しなければならない。さもなければ悔しくて死ぬこともできない」としながら問題解決を訴えた。

ソン・シンドお婆さんは、1922年、忠清南道ノサン生まれで1938年に、戦場に行けば結婚しなくても一人で暮らす事ができるという言葉にだまされ、中国武昌に連行、日本軍慰安婦生活を強要された。

1945年の解放以後、日本軍についていって、日本に移住、今まで生活しており、今回の訪問は14年ぶりだ。

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