私は経済学者ではありませんし、そもそも経済学を勉強したことがありません。しかし経済の一主体ではあり、経済と恐らく密接な関係にある資本市場に四半世紀、身を投じてきました。そんな一介の町のエコノマー(?)が思う資本主義について。

 資本主義の定義とは、或いは資本主義の必然の帰結とは、得意分野で分業することであり、その結果”なにかしらの”偏りが出来ることではないかと。分業をしなければ経済が強くならないことは比較的自明です。何も交換しない時代→市場(いちば)で物々交換をする時代→貨幣を通じて時空を超えて交換をする時代、と人類の経済は成長してきました。この背景にあるのは、それぞれが得意分野で生産し、即ち分業し、それらを交換する方が全体の生産性が高くなるということです。

 この分業は、例えば家族という小さな系の中でも発生するし、世界という大きな系でも発生します。そして系の中のある単位は、系の中の他の単位とは”なにかしらの”意味で(お互いに)違う存在になる。そういう分業、偏り、差が、系全体の力を強める。例えそれが、単位だけに注目すると、強弱が付いているようでも、それは系の力を強めるための分業の帰結だと思うのです。このような分業、偏りを作ること、その結果経済力を強めることが即ち資本主義の根底にあるのではないかと感じるのです。

 全国金太郎飴にすることが果たして経済に資するか。民意を錦旗に票を目当てに全体経済力を無視する政策が果たして妥当なのか。平均化を進める日本の力は落ち、平均化を抑えて(一部地域の)都市化などを進めている中国経済の力は確実に伸びています。日本はそろそろこの贅沢な落とし穴から抜け出さないといけないのではないかと、一介の町の男は思います。