マーケットの混乱が止まりません。通常マーケットや経済、人の営みは全て『波』の一種ですから、寄せては返し、返しては寄せて、を繰り返します。海辺の波がそう云った小波を繰り返しながら満潮・干潮があるように、マーケットにもトレンドがあります。しかしそれも、長い目で見ると波の一種で、トレンドはどこかで逆向きに戻ってくるものです。

 しかし稀に、非連続的に、あたかも断層のように、波の存在座標軸が変わることがあります。細かいものは「レンジが切り替わる」と云いますが、大きなものは「ニュー・テリトリーに入る」と一部の人は表現します。ここで問題は、世界経済や世界の金融市場は今、「ニュー・テリトリーに入ってきたのか?」と云うことです。

 少なくとも日本経済はニュー・テリトリーに入っているとは到底思えませんし、アメリカを含め、世界の経済はニュー・テリトリーには入っていないでしょう。余程大きな戦争でもその域内で起きない限り、1929年の世界恐慌以来、経済のニュー・テリトリー入りはなかった筈で、今回がそれに当たると云うことは、先ずあり得ないと思います。

 では金融市場はどうか?これは未だ分かりません。ニュー・テリトリーの議論は、「もう底をついたか?」などの波の形やタイミングを分析したり云い当てる議論ではなく、もっと本質的な議論です。世界の資本市場の基礎的要因や構造が、根底から変わってしまったのではないか?と云う議論です。恐らく、この手の議論がこれから活発になり、その考えを普及しようとする人が闊歩することになるでしょう。特に著名な投資家などがそう云う発言をすると、心理的な影響は大きいものです。

 しかし経済だけでなくマーケットにしても、未だかつてニュー・テリトリーに入ったことなど、為替の変動相場制への移行などを除けば、実はないのです。箱にビー玉を入れて、箱を様々な方向に斜めにすると、ビー玉は低い方へと移動します。箱の中に迷路が切ってあると、ビー玉の動きは悪くなる時がありますが、最後は必ず動きます。マーケットへの類似で云うと、迷路は流動性の阻害と云えるでしょう。現代の金融市場は、とても流動性の高い市場です。下がったところにはお金が入ってきて、お金が入ってくればいずれその市場は上がり始める。楽観的なことばかりを云うつもりはありません。本質的に何が起きているかを注意深く見つめる必要があります。しかしマーケットの本質は波であることを、どこかで決して忘れないようにすることも、等しく大切だと思います。