今日、中国の友人からEメールが来ました。

 「山重水複疑無路 柳暗花明又一村」
 (さんちょうすいふくみちなきをうたがい りゅうあんかめいまたいっそん)

 南宋の詩人・陸游の、遊山西村という詩の一節です。

 この友人と出会ったのは2年2ヶ月前。それ以来、ひょんな経緯から、中国での或る個人的な用事を済ますのに、この友人に手伝ってもらうことになりました。古くから知っていた訳でもなく、何度も会ったことがある訳でもありません。しかし数少ないやりとりの中から、手探りで用事の形と在処を確認し、足掛け3年の用事を、途中で諦めることなく、先週なんとかやり遂げることが出来ました。

 友人はこの27ヶ月を「長旅」と呼び、「信頼」が長旅を乗り切らせてくれたと云います。今日送られてきた陸游の詩は、この長く複雑で困難な旅を終えた喜びを表したものです。

 友人の云うとおり、確かに信頼が長旅を支えました。友人と私の間には、極めて短い接触しかないにも拘わらず、しっかりとした信頼の綱が張られていたのです。しかしそれは何故だろうかと考えてみました。

 今日送られてきた詩が、その答えのような気がします。初めて会った日には蘇軾の詩を私が書き、「用事」に関しては李白の詩で形を確認し合い、そして旅の終わりには陸游の詩がお互いの気持ちを表現してくれました。共有する古典が、お互いの間を早く、正しく埋めてくれたのだと思います。

 これからも更に長い旅を、お互いに楽しんでいきたいと思っています。