たとえば、陶器は一度作ってしまうと大きさを変えることはできないけど、人が内側に持っている器はいつでも変えたければ変えることができるんだと思う。
自分が受け取っていいのはこれくらい、と思っていると、自分が用意した「これくらい」の器に入るものしかやってこないし、自分はもっともっと受け取っていいと思った瞬間に自分の中の器はグワっと巨大化して、その巨大化した器に入るだけのものがやってきたりする。
「する」と断定形で言ったのは、そう確信が持てたから。
私たちは、自分が想像する以上の幸せを享受する資質を生まれながらに備えてこの世にやってくるんだけど、様々な体験を通じて、一時それを忘れてしまう。
その忘れることにも意味があって、今、自分が「この程度」と思い込んでいる遥か果てしないほどの幸福感を味わうため、「この程度」と思う時期は、真実(遥か果てしない幸福)を思い出した時の感動というエッセンスになるのだろう。