今、思うこと | 小山田モナ 人生(たび)の地図
昨夜はぐっすり眠れました~
一昨日別の仕事でトラブルが発生して、その対応に時間を取られゆ
っくり休むことができなかったのですが何とか消耗した分を取り戻
せました!(^^)!

今回のトラブル対応で常々感じていたことが浮上してきました。
なんとなーくですが、お金をたくさん持っている、たくさん入って
くる人がエライ!的な思考に陥りやすいのか、そういう人が言うこ
とを盲目的に信じたり、自分がそうなると勘違いして生きてる人が
いますが、役者やっているとつくづく人の人格というのはそういっ
た物理的なものでは判断できないなーと感じます。
... 一方で「役者は食えない」という集合意識に見事にハマり、素晴ら
しいものを持っているのにその場に留まっている役者もいます。
いずれの中にもトンチンカンな「美意識」が働いているのではない
か?と思います。

・・と言うと、それは全て自分が映し出しているものだから自分の
中にそれがあるのだよ、と答えが返ってきそうですが、じゃ、それ
が見える自分て何なのだろう?と思った時、自分はなぜ役者をやっ
ているのか?の答えがそこにあるような気がします。
どうしようもなかったり、やるせなかったり、、
そんな微妙な表現を見せていく仕事です。
世の中のそんな部分が見えなくては演じることはできないし、理解
することもできない。
理解できなくても、たとえ苦しくても一度自分の中に取り込み、理
解したうえでないと、演じることはできても観る人には届かない。
そこには「自己満足」はないし、もしかすると「達成感」すらない
のかもしれません。

「そんなお金になってないなら仕事なんて言えないね」と、がっぽ
がっぽ稼いでいる方に言われたことがありますが、お金が面白いく
らい入ってくるんなら仕事も楽しくって仕方ないでしょうね~至っ
て普通ですねー、と思わず私の(あまのじゃく版の)心がつぶやい
てました。

もはや、別に「清貧の誓い」をしているわけではないと思うんです
けど、チヤホヤされていると見えないこと、勘違いすることってた
くさんあるのを目にしてきたから、そういう言葉を聞くと説明のつ
かない「???」が生じてきます。

表現の仕事は、文系であり理系であり、ホワイトカラーでありブル
ーカラーであり、どっちかだけに偏れるものでもないのでは、と思
います。
京都にいた頃、舞踏の世界の不条理をよく茶道の先生に相談してい
ました。
その時仰った先生の言葉。
「どっちかに偏るのは簡単。中庸をいくのが一番難しいのよ」
その先生はまさに中庸を生きておられ、その数年後に準教授となら
れました。
そのお話を聞いてからは、中庸を生きる、これが私の人生のテーマ
となりました。

だからってお金が入ってこない生き方選んでるってワケではござい
ません。
がっぽがっぽ入ってくる人生を生きてますよーヽ(^o^)丿
ただ、「そんなお金になってないなら仕事なんて言えないね」では
なく、わずかなお金で人を楽しませようと、悩みもがき苦しんで、
でも自分がやっていることに誇りを持ち楽しんで生きる人を「素晴
らしい生き方だね!」と言える自分でいたいな~と思います。

なかなか体験してみないと解らないですからね♪
体験したことないけど、それを体現するのが役者ですからね♪

役者を続けて年々、自分に対する自尊心の念が強まっています。
時に揺れながら、揺るぎない人生に向かって生きている自分の姿が
ハッキリ見えます。
「私は素晴らしい!!」・・こんな”根拠のない自信”て、特にこ
れからの世の中とっても大事だと思いますが、いかがでしょうか?